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脳内インターフェイス【番外編】

ただただそのまま、何も挟まず、意味なんてない、結論もない、ありのままの、垂れ流し。

○ ○ ○

ちょっとどこにも吐露できないのでこの場を借りて有識者へ。

有料にはしない。

さて、明日も指導校の団体戦が控えているのだが(自身は引率なので監督席)団体戦というのはオーダーを決めなくてはいけない。

噛み砕いて説明しよう。

今回の団体戦ってのは2複1単という制度であり、
ダブルス、シングルス、ダブルスの順で行う。

一試合21点先取の3ゲーム制であるから先に2ゲーム取ったらその駒は勝ちということだ。
それが、2複1単だから3駒。内、2つ取ればその団体戦が勝ちということだ。
ダブルス、シングルス、ダブルスの内2つを先取しなくてはいけない。

さて、自分の率いるs高校バドミントン部は、技術が等しく高い選手が2人。

これが、2複3単ならある程度勝ち進める。
というのも、団体戦はチームに強い選手が2人居れば勝てると言われているからだ。
現にそうだ。
2複3単はダブルス、ダブルス、シングルス、シングルス、シングルの内3つを先取すれば良いから、ダブルス1つとシングルス2つを2人で取れば良いからである(厳密な順序やルールはここにおいての目的では無いので特記しない)。

話を戻そう。
2複1単の団体戦において、主軸が2名(a,bとする)。
そして2年生という同学年であり、ダブルスのペアである。
勿論ここを順当に出したい気持ちは山々だということはここに記しておく。
他の選手は1年生6人。
また、ルールとしてダブルスに出場した選手はシングルスには出れない。

スポーツの世界というのは相対評価であるため、ここにはその基準にて記すが、6人を単純に出してしまうと間違いなくチームとしての白星は期待できない。
シングルスをある程度戦えるのは1人(cとする)かもしれない。あとはニコイチ。

となるとだ。

ダブルスのどちらかをa,bペアで取り、シングルスをcで取る、これが恐らくノーマルであろう。
これを戦法Aとしよう。
いや、これでいきたい気持ちも山々なのだ。

しかしながらシングルスが危うい。
相手校は強い。
そうなってくると、ダブルス1つしか取れない可能性が出てくる。(そもそもダブルスが取れなかったらなんてことを言い出したら元も子もないわけで、取り敢えず勝つための確率を上げるための戦略を練っているということを改めて承知頂きたい。)
2複1単でダブルス1つしか取れない、これが意味することは即ち、チームの敗戦(団体戦自体における負け)である。
そこだけは避けなくてはいけない。
そうなってくるとダブルスの解体である。
a,bどちらかをシングルにぶち込んで多少なりとも勝率を上げる。
一方のどちらかをダブルスにぶち込んで、cと組ませる。
cはもともとダブルス志望なので多少は打てる。
これを戦法Bとしよう。
ただ、ダブルスの勝率は相対評価で下がる。
言うなれば、0-3(2つ先取なので厳密には0-2)での敗戦の可能性が出てくるわけだ。

上記以外にチームにとって別にメリットもある。
シングルスに戦力的信頼(勝ちへの期待)ができることはダブルスの1番手2番手の組み方にもアレンジが効かせられる。

というのも、シングルスが取れない確率が高ければ(戦法Aであると)ダブルスa,bは一ダブ(ダブルス→シングルス→ダブルスに於ける最初のダブルス)に出すしか無い。
理由としては、一ダブにd,e,f,g,hいずれか2人をぶち込んだ時に敗戦、シングルスc敗戦となると前述の通り2つ先取の団体なのでチーム自体が0-2で負けてしまう。防ぐにはa,bをバチバチの一ダブで最前線で相手を食い止めるしか無くなるからだ。

シングルスにある程度の可能性が出れば(戦法Bであると)勝率が下がる即席ペアであっても対戦チームの一ダブを避けるオーダー組をできる余裕を生むことで、勝率は実質そこまで下がらないとも言える。
二ダブにこっちの一ダブの片割れとcのコンビを当てれば取れる可能性は大いにある(後々の決勝リーグでは首を絞める形になるが、予選ブロックは抜けたい)。

さて、大顰蹙全敗リスクを背負い、やったことのない愚策じみたペア解体不慣れ戦法か、セオリー通りで行き現実な勝率に向き合うのか。

上手くいけば、奇策。名采配。
下手を打てば、愚策。迷采配。

勝利の味わって欲しさは1番であるし、
醍醐味は勝利である。
負けたがよく頑張ったというメンタリティーはスポーツにおいて必要か?

負ければ、2年選手は不貞腐れてしまうだろう。
もうついていきたくないと思われてしまうかもしれない。
人間なんてものは信頼するべきではないし、人生は裏切られることの繰り返しであるから、自分の心なんてものは到底ない。どうだっていい。

しかしながら、彼らには未来がある。
目の前の勝利を掴む、どんな手段も厭わないスタイルは指導者として、彼らに取って適切であり、そのような勝利至上主義は求められているのだろうか?

そんなことをひたすら考えているのである。
ここまで書き連ねることで辛さが減るかと思ったがどうにも変わりそうにない。
ただ読んだあなたに知って欲しいだけ。
共感して欲しいわけでもなんでもない。
スポーツなんて暇人の戯ではないかと笑ってくれてもよい。
どこかに記さなければどうにもならない気がしたのだ。

奇策か、愚策か。

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