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男性とか女性とか、日本人とかなに人とか、もうなんでもいいから愛し合おう


3月8日、なんの日か知っていますか?

そう、今日は『国際女性デー』です。


1904年3月8日にアメリカ合衆国のニューヨークで、女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こした。これを受けドイツの社会主義者クララ・ツェトキンが、1910年にデンマークのコペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱したことから始まった。
Wikipedia より抜選


生まれてからまだ数十年しか生きておらず、社会人になってからは10年弱。
社会的に女性の立ち位置がどのように変わったのか正しく把握はできていない。
だけれど、両親や祖父母の話を聞くと今とはずいぶん違っていたんだろうんぁと思う。

女性では就けない仕事があったり、バリバリに仕事したり頭の良い女性は疎ましく思われたり、結婚をしていないだけで女性としての価値を疑われる時代だってあった。いまの時代からは信じられないことに。
その名残のようなものも今でもあるはずで、女性であることで悲しい気持ちになることだってある。

実際に女性として生きている中で、男性から「これだから女は…」とか「女性ってこうだよね」という発言がされると気持ちが沈む。
性別が違うということは、生物としても違うのだからしょうがないと思うけれど、生理とか出産とかどうしても分かり合えないことだってある。だからわかってほしい、というのではなくて。
同性でもわからないことなんて山ほどあるし、違いもあるからこそ、「女性はこういう生き物」というまとめ方をされると切なくなるのだ。
「生理中の女はヒステリックだ」なんて言われた日には、それ以外の期間に気持ちを取り乱しても生理中と思われるか、女性だからヒステリックなんだと思われるかのオチでしかない。一生この人の前では笑顔以外の仮面はつけないって思うけれど、一度ついてしまった偏見の芽はなかなか消えてはくれない。


男女平等が叫ばれがちな世の中だけれど、女性のことばかりをピックアップすると男性差別みたいに思われることもある。

だけれど、男女平等ってまるっきりイコールとして見ることではないはず。

特性も違う、特徴も違う、筋肉の付き方や、得意とする分野だって違う。
そのことを踏まえたうえで、補い合ったり助け合うことが平等という意味に含まれていて、男女平等なので一人30kgずつ持って歩いてください、というのは違うと思ってしまう。

やりたいことを自由にしやすくなったり、得意な分野への性別規制がないことが平等たるもので、平等なのでみんな同じ量ですよ、というものではないはずなんだよね。

そもそも、男性や女性である前に同じ人間なんだから、性別の壁とか取っ払って目の前の人と向き合えばいいじゃん、って思っている。


最近ではLGBTという用語も広まってきたけど、性別が男性と女性の2つあるだけで、こころの性別や恋愛対象の性別だって異なってくる。
自分の性格やありかたによっては、男性でも従来女性らしいというような性格が備わっていたり逆もしかり。

もっとシンプルに、ただ目の前の人を愛していこう。
そこに性別なんて思考は働かせなくていいはず。


同じことがいまの世界中にも言えることで、日本にいたら中国人や中国のことに敏感になりがちだけれど、視点を変えればアジア人やアジア圏にそのベクトルは変わってくる。

それでも、同じ人間で同じ地球っていう惑星で生きているんだから、もう国籍とか住んでいる地域とかで偏見や差別するのではなくて、平穏に過ごすためにも力を合わせていきたい。
自分の地域、自分の国を守りたい気持ちはわかるけれど、もっとシンプルに愛し合おう。



これからもきっと世界が変わっていく。
国籍も肌の色も、性別も言葉もなにもかも違いがあるから面白くて、そんな人同士で繋がったり話せることって奇跡なんだ。

こころのボーダーレスがすこしでも広まったらいいな。
みんなが笑顔になれればいいのにな。



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