December’s phantom──冬の孤独を描く

 新曲、December’s  phantomが出た。



 Mint以来の自分の視野から描いた作品である。
 そこにはノンフィクションとして自身の視野を混ぜ込むことを考えながらも、冬のシンボルを多分に含んだサウンドメイキングを心掛けている。


 第一構想としては、ブレイクビートを使っての曲を書いてみたいことが起因している。元々は、『Dracaena』(12/14時点未発表)の要所要所のフィルインに用いられているのだが、それを前面に押し出したサウンドを作ってみたかったのである。
 リズムセクションの極めて圧縮されたようなテンポ感に相反して、メロディラインがゆっくりと推移していく構図も初期構想の中にある。こうした二項対立に対して、歌詞の雰囲気や方向軸を決めていった。基本的に、サウンドの方向性は決まっていたため、制作時間は二日ほどのスピード完成である。

 歌詞については、街を散歩しながら十五分ほどで概ね完成している。十二月の幻、と銘打たれたこの曲は、こうした散歩の中で感じたものを書いていることになるのだが、それが単なる風景画であるのは些かつまらない。写実である必要は無いと感じたのだ。よって風景の切り抜きはややモンタージュ的に、心理描写に重なるような部分を取り出している。
 緑と赤色、イルミネイトの花火、雪も降らない街、焦げ付くような景色、一人違えた道、など風景に対しての具体性にぼかしが掛かったような言い回しにしてあるのも、一つ意図的に写実を避けた風景描写の意図となる。
 他方、不幸や僻みの要素を持った作品として立脚するためには、意図的に「安易に強くて広範な言葉」を使う必要があった。
 世界、嫌い、夢も見えない、非情な街といった語彙に含まれる要素として、およそ色眼鏡で拡大解釈した視野が含まれる。目に見える全てを世界であると捉える、不確実なものをあたかも無いように断ずる、知覚できる全てに敵意があるように感じること。それらはまさに不幸を模した幻に怯えているようなもので、しかし誰の心の中にでも現れうるものだろう。怖れや不幸は、そうした強くて広範な語彙の中に取り込まれて、必要以上に大きく見え、その上で視野を狭くする。一度そうした視点に立ち返って心を描くことには、大きな意義があった。とりわけ十二月の特別さを着込んだ雰囲気には華やかさがある一方、それらの恩恵を受けられない孤独感が大きな影を落とすことも珍しいことではない。その立場において描かれる、暗澹とした世界観というのは「後悔や心残り」に代表される自身の世界観にも地続きのものであるし、現在の音楽シーンの消費者における精神性の一端に歩み寄ろうとしたものでもある。

 歌詞及びメロディラインの面ではこうした仄暗さを生み出しているが、他方サウンドメイキングについては対比を取っている。
 サウンドにおいての中核は「コード進行」「ブレイクビート」「カウンターメロディ」にある。
 コード進行のうち、特にAメロについてはメロディに寄り添うような寂寥とした響きのものを扱っているが、そのうち特に異質かつ雰囲気の中心を担うものが、Ⅰsus2とⅥsus2……即ち四度体積和音だ。コードに置き換えるとこうした表記になるだろうが、実際に9thの音は根音……つまり最も低い音を担っているため、実際のⅠsus2などとは音の質感が随分と異なる。三度の響きが無いために涼しさより虚しさが勝る和声であり、この雰囲気こそが必要不可欠に冬の空気を生み出してくれる。
 しかしサビになると雰囲気が一変する上に、非常に馴染み深い聞こえがするだろう。ここにおいてのコードは、もはや世界一有名に違いない「カノン進行」である。とりわけクリスマス含め冬の楽曲において非常に印象深いこのカノン進行は、その響きだけで無意識的に冬感のするシンボルとして最強である。異論は認める。他方、下手したらその馴染み深いサウンドにメロディやサウンドが押し負けて、大いなるカノン進行の集合意識の一つにされかねない程のアイデンティティを持っている。至上命題の一つはこのサウンドに作品ごと喰われてしまわないような振る舞いの摸作であった。そのうちの一つの対比として、明るくも切ない響きを特徴とするカノン進行に対して歌詞のやるせなさを引っ掛けて、何とか作品としての自我を保つことであった。
 第二に洒落も甚だしいが、ブレイクビートによるサウンドの差別化を図っている。クリスマスならキリスト教、キリスト教ならアーメン……と来て、使うならアーメンブレイクというくだらない洒落の要素が意図的に含まれていることも一つ事実だ。その一方で、カノン進行の用法として最も多いであろうもののひとつに、比較的中速のBPMに乗せたメロディアスな楽曲に対しての使用である。それ故か、烈しいサウンドの中で使うことはそれなりに鮮烈である。そうしてブレイクビートには、クリスマス曲へのアンチテーゼ的な意味合いも含まれている。主軸のBPM176で、1サビに対してブレイクビートやドラムスを殆ど抜き去ってハーフテンポにして素直なクリスマスをしながらも、ラスサビにおいては容赦なくブレイクビートを仕込んでサウンドにトゲを出す。一層不幸さや、熾烈な心象を描く上でバラードの質感から逸脱してみることに試験的な意味を感じた故のアプローチでもあった。
 ブレイクビートの生み出す独特のノリや速度感、サウンドのざらつきはまさにこの曲がこの曲として存在できる心臓部にあたる。それほどに、一心不乱に打ちつけるドラムスが担う作品の色味は強い。
 第三にカウンターメロディであるが、これは一聴して分かるのではないだろうか。これはまさにカノンの主題部である。散々カノン進行に喰われないように、との理念の上でいよいよ辿り着いてしまったのは、敢えてカノン的な要素を強く描くパートを作ることだった。1サビ後の旋律、ラスサビの対旋律にはまんまカノンが居る。露骨にも君臨するカノンのメロディは、もはや皮肉の領域ではあるのだが、個人的な解釈としては「幸せな街」の比喩として位置付けられている。このメロディがあるだけで、それとなく橙色をしたイルミネーションの幸せな冬が見える……気がしている。僻んだ歌詞の背景ではこうした幸せが広がり、一層の孤独を増していくはず……と信じて突っ込んだ要素である。
 今思えば、普通にカノンが良い曲だという感想が出てくる。


 December’s phantomを以て、今年は24曲を書いたことになる。月二曲のペースなのだが 今年はもう二作出せる気がしている。一作は、現在動画制作中のDracaena、もう一作はこれから考える。
 ともかくとして、今回の曲はいつも作らない楽曲へのアプローチが上手く行った好例なので、それとなくお気に入りとなっている。次の作品も、このくらいのお気に入りになればいいのだが。

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