自爆

 睡眠時間を削りすぎた弊害として、いよいよ本日、体に力が入らないという感覚を経験している。辛うじて日常生活に支障はないのだが、自分の力加減に対しての感覚が一切麻痺していて、いつどこで何をやらかすのか分かったものではないため、今日くらいはちょっと足元に気を付けて生きていこうと思う。

 見事な不摂生と生活の瓦解により、着々と余命が縮んでいる感覚があるのだが、困ったことにもはや夜中に眠れない体になってしまっている。どれだけ眠くても、少なくとも夜の三時を越えなければ眠りにつくことがない。夜風見の名前の由来の一つに「いかんともしがたい夜更かし」があるのだが、近頃は特にそれが酷いのだ。

 基本的に夜型人間であるらしく、各種作業や集中力が深夜一時周辺でピークを迎え、朝方九時周辺で塵芥に劣る散漫な時間を迎える。そのため、極めて調子の良い生活リズムは、朝に眠り昼に目覚めて一日一食を貫き、夜中に重要事項を行うという、吸血鬼同然の形態なのだ。勿論、現代社会はそのようには出来ていないため、理想と現実がこんなしょうもないところで乖離し、私は丁寧に舗装された破滅の道を転がり落ちていくことを止められないのである。同時に、自身をもう少し現実のリズムに寄せる努力を怠り続けた、斯くも怠慢の産物でもある。


 基本、何かを作る人間は生活が破綻している。無論文字書きも絵描きも歌い手もソングライターも詩人も写真家も、とにかく不健康と生涯を添い遂げんとばかりの不摂生である。おまけに色恋沙汰において洒落にならない失敗や悪癖を持つことも珍しくない。社会性と創造性は、水と油のようなものなのかもしれないとさえ思えるほど、この傾向は顕著である。ほんの時々、見事に両者が乳化して混ざり合っているお見事な人間もいるが、それらはミュータントの類いなので一旦論じないでおく。
 ある文字書きは救いようもない恋愛下手であるし、ある絵描きは睡眠時間が時々半日を越えたりあるときは不眠であるし、ある役者は七つの大罪のうち六つを制覇している始末であるし、ある歌書きは鳩を怒鳴り付けるのであるから、社会的に何かしら欠陥のある人間を見つけたときは真っ先にTwitterかpixivで何か創作活動をしていることを疑った方がいいかもしれない。
 私も私で、勿論社会性が破綻している。一週間に一作、noteなり曲なりイラストなりが投下される時点で異常者の仲間入りであることは自覚している。数多の創作は、くずかごの中に放り込まれた社会性を補完しようとして生まれてしまったものとでも考えている。生活に必要なものを全てつぎ込んで、微塵も役に立たぬものを吐き出し続ける生活を続けて何年経ったか、正直覚えていないが、少なくとも後戻りは出来なさそうだ。これからも睡眠不足と腹痛とのランデブーが続く。

 こんなことになっても、毎日のルーティンワークの中に何を作るべきかという創作の精神と、何をアウトプットしてみるかという書き散らしの精神だけが生きている。どれだけ寝不足で思考が鈍り、夢と現の区別がつかなくとも、ひとまずnoteだけは書けている。案外体に染み付いている。
 さて、ひとまずオチをつけなければならないため、そろそろ区切りつつ、次に書こうと考えているnoteの案だけを書いておく。本当は今日、書き上げる予定だったのだが、このぼやけきった脳味噌ではどうにも形に収まらないと判断したために見送りだ。

 次は「祈り」について書こうと考えている。
 日常の中にある祈りが増えたことと、一人の人間に出来ることの小ささを知ることが、なんとも奇妙な相関性を備えていることの記事となる。


 寝たい気持ちでいっぱいだが、ひとまずは頑張ろうと思う。Twitterの更新が止まったらどこかで野垂れ死んでいるかもしれないが、割と夜風見はしぶといので気にしなくても良い。
 どうか皆は寝てほしい。お願いします、何卒。

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