無差別級バトルロワイヤル「ボカコレ」と、肥やしになる私

 いよいよ狂騒の気配を帯びていく、ボカロ界隈の大イベント「The VOCALOID collection」、通称ボカコレ秋。
 「祭り」と銘打たれたこのイベントの概要説明は、恐らくこの散らし書きを読む隣接界隈の方々には不要であろう。

 大体十ヶ月前、私もひっそりとボカロPとして活動を始めた。故にこの祭りは、やはり大きな関心事となる。前回のボカコレ春に関しては全く存在ごと知らなかったために不参加だったが、今回はルーキーとして参加予定だ。こうした投稿祭の参加は、無色透名祭以来、二度目である。
 その時のレビューや参加した感想を踏まえながら、ペーペー新人の所感を交えて、ボカコレを考察してみる。申し訳ないが、ここにデータや統計と言った裏付けの証拠はないので、話半分に読んでいただきたい。

 無差別級バトルロワイヤル

 まずハッキリ言えるのは、やはりこのことに尽きる。そもそも、ボカロPは何を以て階級分けすべきかという議論から始めよう。

 ズバリ、「総合力」である。正直当然の帰結ではあるが、詳しく示すと三つの要素と、三つのフェーズに大別される。

1.クオリティ
 後述の2.プロデュース力と切っても切れないのだが、ひとまず先に挙げるのはクオリティである。単純な楽曲の良さだけでは語れず、「楽曲の精度」「サムネイル」「動画の完成度」「歌詞」の総合点がクオリティとなる。これはもはや誰が言うまでもないだろう、ここに命を懸けて突き詰めるのはもはや基本となっている。
 ボカコレにおいてのみならず、日頃のボカロ界隈、ひいてはあらゆる創作において、クオリティが無ければ継続的なファンはつかないし、売れる確率も確実に落ちる。大原則、星の数ほどアーティストが存在する世界では上に登るためのチケットとして高度なクオリティや技術があるのは間違いない。
 この要素は大局の伏流として常に存在し続ける。

2.プロデュース力
 ここの視点が抜け落ちていることも多いが、私たちが普段最も影響を受けている部分かも知れない。特にボカコレは、(よっぽど全曲リスナーでも無い限り)このプロデュース力がキーワードとなるだろうし、ここが不平不満の溜まり場となることは想像に難くない。
「楽曲の精度」「サムネイル」「動画の完成度」「歌詞」……これらクオリティそのものがプロデュース力になることがあり、それはまさにSNSによる告知に繋がったり、或いは冒頭数秒の掴みもプロデュース力に分類出来るだろう。実際私たちは、曲を聴く前に、現時点での反応、サムネイルやイラストの出来、或いは追いかけているアーティストだから、といった音楽以外の要素で聴く音楽を選んでいることが多い。音楽を聴いてもらうためには、極論として音楽よりイラストに手間を掛けた方がいいのだろう。そのくらい重要なファクターになる。
 それらに新たに加わるのが、時の流行を意識した「ジャンル、方向性、流行」となる。
 例えば、高速低速、エレクトロかアコースティックか、コード進行やドラムパターンなど、どうにせよ流行しているジャンルや熱を持っている方向性が必ず存在している。流行に則る場合、それは時世を反映していたり、先の流行曲を追いかけていたり、とにかく大切なこととしては「確実に後手」であることを留意すべきだ。つまり前例が居て、似たような物が大きな流れを作っていて、それに後乗りをするということで、ある意味王道戦略であり激戦区である。当然、流行というのは聴者の趣向や意識が再生数などの数字に明確に反映されて初めて生まれるので、需要が確かに存在する。

 と、これがプロデュース力の前半で、言うなればこれらは「掴まえた後で離さない為のプロデュース」になる。しかし、プロデュース力の本懐は寧ろ後述の「とりあえず掴まえる」即ちインプレッションを得るための技術にあり、ここにボカコレの魔物が潜んでいる。
 「フォロワー数」「固定のファン」「誰がサムネや動画を手掛けるか」「広告費」……。これが勝負の大局、特に初速において如実に効果の出る部分となり、故に売れているとされるアーティストはここの管理を惜しまない。フォロワー数は言わずもがな、告知をひとまず見てくれる人の母数の多さ、固定ファンに至っては確実に得られる反応の数字やレビュー数に直結する。既知の層が広いと言うことは、最初の伸びに直結する。
 これは今までの活動で培える盤石な土壌であるが、ここに加えて曲者となるのが「不意の炸裂を生み出す広域爆撃に似たプロデュース」の、サムネや動画制作のアーティストの存在だ。サムネイルやイラストを見てひとまず動画を見る層、或いは動画の良さで見る層、はたまたそれらを手掛けるアーティスト目当ての層……。その視覚的なクオリティや、そもそもネームバリューの吸引力はボカロの世界では特に重要な要素となる。つまり、通行人が一見して足を止めるような広告媒体を視覚情報が担い、特にコンテンツの氾濫するボカコレではこの比重がいつもよりも特に重く傾く。
 極めつけは広告である。否が応でも視界に作品を焼き付ける手段として、ニコニ広告やYoutubeの広告がある。こうして無理矢理にでも作品を見せる層を増やせば、そのうちの数%であっても足を止める。そこから数字に直結する要素としては特に強く、ここに力を入れれば入れるほど効果は大きい。

3.運
 直球だが、これは紛れもない事実である。特に「リスナー自体の趣向」や「目に留まる人の性質」は無視できない上に、「コンテンツが何処に表示されるか」というもの。即ち、自分を知らない人に作品を届かせる不可視の力とでも形容しよう。
 この点は、先の投稿祭である「無色透名祭」の最重要要素だった。無色透名祭はプロデュース力のうちとりあえず掴まえる部分の大半が欠落していた土壌であり、そのプロデュースの代わりに担った要素が紛れもなく「運」であった。特に参加者は強く意識しただろうが、「目に留まる人の性質」と「コンテンツが何処に表示されるか」が、言ってしまえば明暗を分けたものである。言い替えれば、誰がレビューして、誰の琴線に触れてという部分がTwitterの土壌で広告の役目を果たし、コンテンツが検索上位に存在するというたったそれだけでニコニ広告のように否応なく人の目に留まるのである。
 同じように、レビューやコンテンツが何処に表示されるかの位置関係も重要となるが、ここはボカロP自身が干渉できる位置にはない。祈りしかないのだ。
 ボカコレについては、これが突沸の最大要素となるだろうと予測できる。レビューや他薦を介して、指数関数的な広がりを見せることは、何もボカロ界隈で珍しいことではない。その機会が特に多いのがボカコレであるだろうし、だからでこそ登竜門と呼ばれる。


 反応に対しての概算

 以上の三つの要素を掛け算して、その値が最も大きい者がのし上がる無差別級バトルロワイヤルがボカコレであると考える。
 予想できる要素の掛け算の式を、三つのフェーズと共に簡潔に考察する。

[ 序盤 ]
クオリティ倍数1~3倍
プロデュース倍数1~20倍
運倍数1~5倍

 各ボカロPは、再生数を稼ぐという単純な目的を果たすとして、それに寄与する要素をざっくり概算するために、各能力の高さに応じて倍率を定めていく。
 極めて思考実験的な手法なので、これには当然誤算もあるだろうし見落とした要素もあるだろう。飽くまで簡単に概算するためなので、正確性は欠いている。

 まず、最初期。ボカコレ開始から6時間以内として考える。
 クオリティは、1~3倍を変域とする。クオリティが高ければそれだけ倍数は高くなり、多くの人の琴線に触れるだろうが、今は技術の底が高いためにどの人も2~3倍の辺りを推移すると考えられる。そのために、ここが決定的に大きな差を生むことは、少なくとも初動のうちにはないだろう。
 それよりも大切なのはプロデュース力で、開催のスタートダッシュに合わせての広告の注ぎ込み、固定ファンによる最速視聴、Twitterでの告知、また一見してすぐに目を惹くようなサムネなど、即座に作品を拡散できるような土壌のある者がここで一次爆発を見せる。フォロワー数や広告が特に大きな比重を占め、1~20倍という凄まじい差を見せるが、これは下層に蠢くボカロP(私含めて)ならば納得なのではなかろうか。同時刻に投稿したとしても、三十分立つ頃には宣伝力の有無によって如実に数値に差が出ている。この初速の差を埋め再起を図る機会があるならば、後述の中盤フェーズに一つだけだろうか。ここで得た層は、確実に今後の土台として存在し続ける大きなアドバンテージであることは、もはや語るまでもない。
 運の占める割合も大きく、これは全曲リスナーやとりあえず聞き漁る浮動層にヒットするために、楽曲が検索やおすすめのうちどこに表示されるかに依る。そこから派生して、最初のうちに如何に琴線に触れてレビューを通して告知してくれるか、という不確定要素がある。これは1~5倍であり、ここの倍率が突沸の引き金となることも有り得る。が、殆ど神の導きに近いだろう。

 序盤戦においては、このようにプロデュースが非常に大きな要素となるが、六時間から二日程度の中盤戦以降には再生数の呼び方にある程度の落ち着きが見られる。その中で二次爆発を起こせる要素を含むと、おおよそこのような式に当たると考える。

[ 中盤 ]
クオリティ倍数1~3倍
プロデュース倍数1~10倍
運倍数1~10倍

 中盤戦以降にこそ、真に炸裂する要素が混じっており、これがやはり運である。クオリティ倍数はやはり一定の水準を保っており、つまるところある程度クオリティを高めればそれだけ基礎的な倍数が高い=評価を継続的に受けられることに繋がる。これは終盤以降も変わることのない指針である。
 プロデュースについては多少なりを潜めるが、それでも定期的な告知やサムネイル引力は新規層を引き入れる主要戦略になる。依然として大切な要素であるが、およそ中盤戦には新曲開拓もひとまずの落ち着きを見せるために、1~10倍となる。
 運の倍数についてだが、これは所謂「評価され始めたことをきっかけに更に増えていく」という二次爆発を司る。多少序盤に埋もれたとしても、この時期にはレビューやDigが充実する頃合いであり、それを見て連鎖反応的に誘引することがある(のではないかと考えている。今はぼかれびゅやkiite cafeなどのDig機能が充実しているため、それらが大衆の目線の位置まで引き上げる例がちらほらと見られるためだ)。本人の介在しないところで話題を呼び、それが周りに伝播し始めるのがまさにこの頃で、ここの話題性を掴むと一気に駆け上ることになる。ここの倍率は1~10倍だが、無色透名祭の時にはこの倍率が更に高かったと思われる。もっとも、こうしたレビューはそもそもある程度の再生数と、人の心を掴むだけのクオリティ、またはジャンルなども介在する要素なので、一概に運だけでのし上がることは殆ど不可能であることも補足する。結局のところ、人事を尽くして天命を待つように、出来ること全てを突き詰めた先に神は微笑むのだろう。

 基本的に、序盤中盤での動向が全てを決すると言って過言では無い。終盤は非常に緩やかな動向を示すのだが、それについても式を表す必要がある。

[ 終盤 ]
クオリティ倍数1~3倍
プロデュース倍数1~4倍
運倍数1~2倍

 クオリティについては省くとして、ここで特に重要な要素が「固定ファン」であり、何度となく熱心に聴いてくれるリスナーがここでの数値の増加に最も作用する。相応のクオリティ、相応のプロデュース、そしてリスナーの好みといった複数要素の果てに固定ファンが初めてついてくる。この終盤戦の伸び率が総合的なバランスの高さと言っても差し支えなく、初速が良くても終盤に失速する場合は固定ファンが付かなかった場合が殆どだ。逆説的に、初速に乏しくても複数回と繰り返し聴かれるような場合には長く伸びていき、即ち名曲と呼ばれることになるかもしれない。
 運の要素は限りなく減衰する、レビューも飽和し始め、中盤の積み上げの残滓が緩やかに寄与することになる。もはやこの時点では新曲ではなくなり、余程の話題性を伴わない限りは新規のリスナー層は減少することになる。或いは、余程の話題性を伴う怪作があるならば、予想されるような状況を飛び越えて羽ばたいていくかも分からない。

 
 売れるか否かは、恐らく
[序盤の倍率の総和]×[中盤の倍率の総和]×[終盤の倍率の総和]
で、単純に求まる。
 例えばフォロワー数が多く、クオリティもある程度担保されたアーティストがいるとして概算する。
 クオリティ倍数は常に変化しないため、2と仮定する。また、フォロワー数も多く、固定ファンも相当数ついている……例えるならTwitterのフォロワー1000人以降の中堅を想定すると、プロデュースの力は相当であるから、序盤は15、中盤は5、終盤は2と仮定する。しかしレビューや表示には恵まれず、運は中間よりやや下になり序盤は2、中盤は4、終盤は1とする。これで求めてみよう。
 各フェーズの式に当て嵌めると
[2+15+2]×[2+5+4]×[2+2+1]=1,045
 ざっくりと、有名指数と命名して、このアーティストは1,045の有名指数である。

 では、次にレビューにより炸裂する例を見てみよう。
 クオリティは同程度だが、プロデュース力はフォロワー数や映像クオリティの関係で前者の半分以下という風に仮定する。しかし、曲が何の因果かリスナーに刺さり、それが拡散するという「運」や「発掘」が強かった場合を概算する。
 クオリティ倍数は相変わらず2を示す。Twitterのフォロワー400人程度の中堅手前を想定し、更にサムネイルなどの質を加味して、序盤は7、中盤は3、終盤は2と仮定する。しかし中盤終盤にてレビューに掲載されることを考慮し、運は序盤3、中盤9、終盤2と仮定する。
 こうして式に当て嵌めると
[2+7+3]×[2+3+9]×[2+2+2]=1008
 プロデュース力において圧倒的に劣るが、運も言うものに引き揚げられてほぼ同等の数値にまで上った。運によるハネ、つまりリスナーの働きかけや広告活動は、ある程度の差に対して互角に戦えるポテンシャルを付与してくれるのである。

 ボカコレに限らないが、少なくとも動画と音楽での土俵であるならば、クオリティ、プロデュース、運の総合力に依って勝敗が決する。そのうち運を除く二項目は、人により雲泥の差があり、上記の二つの例のようにライト級とヘビー級の殴り合いが行われることとなる。これがまさに、無差別級バトルロワイヤルと形容した所以である。


 課金すれば強くなる

 今更ではあるが、運を除く各種ステータスは課金すれば幾らでも上げられる。つまるところ、本気で勝ちに行くならまず働いて、その後金を積んで着々と整えていくのが一番手っ取り早く確実である。
 例えばクオリティなどは、楽曲についてはMIX依頼や調声依頼、有料音源や編曲依頼で際限なく上がる。プロデュースについても、ある程度の金額を積めば広告を出せるし、イラストや動画制作を有名クリエイターに依頼すればクオリティもネームバリューもある。対価さえ払えば、一番とまではならずとも(一番を取るならやはり、クオリティに関するセンスや売り込み、また運の要素が大きい)評価は相応に伸びるだろう。結局金を掛けてでも売り込む意志を持つ者は強いという、至極単純な話だ。


 ボカコレ・ドリームは有り得るのか?

 ボカコレという土俵が如何なる戦闘となるかをここまで考察してきた。その上で、今度はボカコレ・ドリームについて考察する。言わばアメリカンドリームのように、一発逆転と言うニュアンスだ。つまり、零細ボカロPは、ルーキーやTOP100にて駆け上れるのか? という命題を問う。
 零細ボカロPの定義付けをするなら、まさにこの私、夜風見が適任だろうか。固定ファン層が比較的薄く、フォロワー数も約300以下、かつ過去の実績は高くなくニコニコ動画の再生数にて四桁の域まで到達しないボカロPのことを指すと仮定する。もちろんそのこと自体が楽曲の良し悪しや、ひいてはアーティストの優劣に直結はしないため、ここで言う零細ボカロPの抽象的な意味は、「プロデュース力に乏しいボカロP」ということになる。

 結論から言えば、不可能では無いが厳しすぎるという着地点になる。
 分かりきったことだが、第一にアドバンテージが零細ボカロPには皆無である。勿論「発見してもらうためのボカコレ」ではあるのだが、少なくとも即応的な数値を跳ね上げるような発見や発掘は運によるものが大きいため後述する。プロデュース力や、ファン層の厚みは初速に関係し、その時点で多くの楽曲に埋もれることが多い。土台がない、というのが実情だ。
 第二に、運の間口が狭い。というのも、実際レビューについてはおおよそリスナーの数に比例して増加する上、ニコニコのオススメ動画はある程度の数値を稼いだものが表示されやすい。即ち、流れてくる運の総量すらも少ないということすら言える。リスナーを百発百中で射止めてレビューさせるような怪作を産むことこそ、まさに突破口と言えるのだが、リスナー自身の好みに適合するかもまた運である。既にお分かりだろうが、三要素はそれぞれ独立している訳では無く、互いに干渉し合っているのだから、一つでも著しく欠けている場合は全体が上手く作用しないのである。或いは、それすら凌駕するほど突き抜けたクオリティや運を以て、上位に食いこむ例は無いわけでもない。
 
 余談だが、新人発掘のボカコレではあるものの、それは恐らく無名の新人が突如彗星のように現れて頂点をかっ攫うような意味でのスター発掘ではない。今までの活動や楽曲を総合して、ある程度の能力を既に周囲に認められているものたちの天下一武闘会なのだ。むしろ新人発掘というものが示すのは、芽吹き始めた小さな芽を複数人が見つけて、それにちまちまとした人たちが水を遣るようなものである。固定ファンの獲得イベントと言えば良いだろうか、そうした意味での発掘であろう。

 ということで、基本的にボカコレドリームは難しい。コツコツと蓄積をしてきたもの、楽曲のプロデュース力で支持を集めてきたもの、或いは資金力に注ぎ込んだものの中で、運という乱数に揉まれながらも頂点を掴むのがボカコレであろう。そもそも、先程の概算に零細ボカロPを当て嵌めればすぐに理解できることだが、プロデュースの欠落が如何に致命的であるかは直感的に理解できるだろう。


 ここまでを総括すると、結局人脈やクオリティも大切であり、そこから運による補正を掴み取れる足掛かりとなるということだ。至極当然の話をしているに過ぎない。
 再度申し上げるが、本当に申し訳ないことにこの話はデータなど裏付けとなる証拠も無く、単なる仮定の連続で出来たグラグラの理論だ。零細でしたがボカコレでルーキーTop100に乗れました! という猛者がいれば是非とも教えて欲しい。


 肥やしとなりて、ズブ

 かく言う私も、ボカコレルーキーに参加する。勿論端からTOP層に食い込むことは念頭に置いていない。まさに肥やしとなりて、ニコニコ動画の下層に沈む所存だが、かと言って手を抜いたわけでもない。
 私自身は、動画、イラスト、音楽まで全てを一人で完成まで仕上げる。周囲のように、動画師や絵師のネームバリューを使うわけでもない。また、歌唱は重音テトで、こちらはUTAU最大手のキャラクターであるが、初音ミクなどの比べてしまえば認知度は低い。つまりは人脈やネームバリューに頼る要素が少ないのは一つ理由としてある。
 また、各面のクオリティにおいても本職の面々には当然及ぶはずもない。自給故に、完成度や練度の面で他人の協力を仰げないのだ。
 広告や固定ファン層は……どうだろうか、ファンがいるなら応えて欲しいが、これを読むファンなどほとんど知らない。
 私はまさに、総合力の低いクリエイターの典型だ。必然的に楽曲の質のみで勝負をするが、先程の計算式に照らし合わせたならば、大した数値にならないことは目に見えて分かる。
 故に肥やしとなる。勿論伸びないからと言ってスレて拗ねてグレる訳ではない。こちらにも目標はある。
「レビュー4件」……これが妥当だろうと立てた小さな目標である。レビューは運が絡む、その前にクオリティが必要となる。再生数が多くても、何故か高評価やマイリストが少ない曲がある。反対に、少ない再生数でもそれらの多い曲は、やはり比較的クオリティや好みへの適合性が高いのだろう。そうしたクオリティを測りたいのである。
 



 終わりに

 いよいよ戦乱のボカコレが幕を開ける。各々の野望や信念を携えて、曲で曲を殴る一大暴動が始まる。どんな結果になるかはまるで分からないが、全てのボカロPの健闘を祈ることで、結びに代えさせて頂く。

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