[小説]作品

○○へ

作品ってなんだ。

そんなことを最近考えている。

世の中には作品として生まれたものと作品になったものがあると思う。

例えば全集とかがわかりやすいかもしれない。
全集というものには作家が生涯に書いた全てのものが入っている。世に出した小説も誰かに向けた手紙も入っている。
ではその中の小説は作品だろうか。おそらく多くの人は作品だと答えるだろうし、作家自身も作品だと答えるだろう。
ではその前方の中の手紙は作品だろうか。これは人によっては作品だと答えるし作品ではないと答えるだろう。作者としては作品として書いた気持ちはないのかもしれない。しかし、実際現在そういったものがその作者の全集として、作品として本屋に並んでいることも事実だ。

じゃあ作品を作品たらしめているのはなんなのだろうか。

誰かがそれを作品だと言えば作品になるのだろうか。

もしそうなら全てのものは作品になり得ると言うことになる。


ここで話を少し変えて、作品の価値というものを考えてみる。

どういったものが良い作品でどういったものが悪い作品になり得るのか。

たくさんの人が良い作品だと言えば良い作品であり、良い作品だと言ってもらえない作品は前者に比べて劣っているのだろうか。

そんなことないと言う人も少なくないだろう。
誰かは一番売れてるものが最高なら世の中の最高のラーメンはカップラーメンになる的なことも言ってたしね。

どんな熱量で作られたか、どんな複雑な技術で作られたのかも作品の価値に依存しないと考える人もいる。

少ない時間でサクッと作られたシンプルな曲が名曲だとして語り継がれているものもいくつもある。

僕は全ての作品は同等な価値を持つのではないかと考えるんだ。なぜなら僕らに作品の価値を測ることなんて出来ないからさ。どうやら僕らの脳みそのCPUでは作品の価値がわからないらしい。つまり全ての作品は傑作に見えるし凡作に見えてしまう。

だから小さな子供が描いた絵とモネの絵は同じくらい素晴らしいし同じくらいくだらないものなんだと思う。

話を少し整理しよう。まず最初に僕は全てのものは意図していようがしていなかろうが作品なりうると言った。そして次に全ての作品は同じ価値があると。

つまり全てのもの、事象は同じ価値を持つということなんだ。

僕の散らかった机の上も芸術作品なりうるし、それはシェイクスピアのマクベスと同じだけの美しさ、素晴らしさ、空虚さ、くだらなさを持っているんだ。

そんな風に世界を見ると僕らはなんて幸せな世界に生きているんだろうと僕は思うんだ。

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