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[小説]不死身-春風

前の話





私の生活はまた変わった。
随分前に仕事も辞めて出掛けることは滅多になくなった。生活保護を受けながら公営住宅に住んで一日中ベッドの上から動くことはなくなった。

私たちの体は食べることを必要としない不死身の体だから何日でも動かなくても食べ物を食べなくても死ぬことはないし問題はなかった。公営住宅に住んでいる人は私のようになんらかの理由で自分の生涯に絶望した人が多く、ほとんどの人は私と似たような生活を送っていた。

だから最近隣に引っ越してきた人は少し変わっている。
その人は引っ越してくるなり自分の部屋の周りの住人に挨拶に回っていた。外で誰かと話している声が聞こえた。声の感じからして男の人だった。この公営住宅には似合わない、とても健康的で快活な声をしていると思った。会話相手に邪険に扱われていても変わらずの健康的な声で会話をしていた。私も隣の部屋だから当然挨拶に来てくれていた。しかし私はもう誰とも会いたくなかったので彼の訪問を無視することにした。

しかし、彼はその後も毎日のように私の部屋を訪ねてきていた。どうやら私が彼と挨拶をしない限り永遠と私の部屋を訪ねるつもりのようだ。二週間経ってこれ以上毎日訪問されるのも面倒なので、重い腰を上げて玄関のドアを開いた。

さっぱりした黒髪の聡明そうな青年がそこに立っていた。服は白いシャツにジーンズ、そして長年使用され丁寧にケアされているような革靴。本当にこの住宅には似合わない格好だ。ここの大半の住人は私含めて大体上下スウェットだ。しかし彼のジーンズは様々な色がついて汚れていた。ペンキ汚れだろうか。さらに彼は大きなリュックを背負っていた。
「こんにちは。しばらく前に隣の部屋に引っ越してきた者です。これまで何度か挨拶に伺ったのですがお部屋にいらっしゃらなかったようなので。何かと迷惑をかけてしまうかもしれませんが、これからよろしくお願い致します」
「はあ、どうも」
何度かじゃなくて毎日来てただろ、と心の中で突っ込みながら無愛想に返事をする。
青年は、それでは失礼します、と言ってどこかに出かけていった。

これでやっと迷惑から解放される、そう思ってまたベッドに戻り眠りについた。

起きるとまた夕方だった。空はまだ明るい。普段窓の外を見ることなんてないのに、なんとなく窓の外を覗いてみた。
この公営住宅は川沿いに建っていて、私の部屋の窓からはその川沿いの土手が見える。土手の上をランニングしてる人、犬の散歩をしている人などが見える。そこに彼がいた。そう隣の住人の彼だ。土手に座って膝の上に何かを置いて何かをしている。そう認識した私はまたベッドに戻った。

次の日起きるとまた窓の外を覗いた。彼は今日も土手にいた。そのまた次の日起きて窓の外を見ると土手にいる彼に気付いた。どうやらほぼ毎日土手にいるらしい。雨の日は土手じゃなくて別のところに行っているらしい。変な人だ。

それからしばらくたった。私は変わらずベッドの上で毎日を消化し、彼は変わらず晴れの日は土手の上でその日を消化していた。
なんとなく気分で彼が土手で毎日何をしているのか気になったので外に出て土手に向かうことにした。
数年ぶりの外は春かぜが生温かった。

「あの、、、」
話しかけると素直な青年の顔がこちらを向いた。変わらずの快活な声で、こんにちは、と答えてくれた。
「いつもここにいますよね。私の部屋の窓から見えます。いつも何してるんですか?」
そう訪ねながら彼の膝の上を見るとそこには画材が載っていた。
「絵を描いているんですよ。良かったら座ってはどうですか?とても気持ちいいですよ」
そう言いながら彼は自分の隣を手で示した。
言われた通りに座ってみる。座ると土手に生えている雑草の匂いと川の匂いが鼻腔をくすぐった。春かぜも相まって確かにとても気持ちが良い。
「ね?気持ちいいでしょ?」
「、、、うん」
彼は絵を描く作業を再開しながら会話を続けた。
「僕は昔から空と川が好きなんです。そして空と川を絵にかくことも好きなんです。だから晴れの日はここでこうやって絵を描いて、雨の日は近くの駅の近くの雨が避けられる場所で描いた絵を売っているんですよ」
「そうなんだ。、、、そんなに絵って売れるの?」
彼の穏やかな会話を聞いていると自分が敬語を使わなくなっていたことに私は気づかなかった。
「ううん。全く売れないよ。全然。ぜーんぜん。二ヶ月に一回売れればいい方かな」
笑顔で彼は答える。
「じゃあ、どうして絵を売ってるの?」
「うーん、さっきも言ったけど僕は空と川の絵を描くことが好きなんだ。だから僕は似たような絵をたくさん持ってるの。だからもし欲しい人がいたら分けてあげようかなと思ってね」
「絵が売れないと寂しかったり嫌だったりする?」
「それはないかな。僕は自分の好きなものを描くことが好き。だからあまり売れなくても気にならないね。もちろん誰かが僕の絵を買ってくれるのは嬉しいよ」
再び笑顔で彼は答える。
「なんだか幸せそうだね」
私はその青年を見てそう思った。そして自分が思ったことをびっくりするぐらい自然に口に出していた。
「そうだね。こうして好きなことをして毎日生活している僕は幸せなんだと思う」
青年が手を止めて私の顔をスッと見て訪ねた。
「君は幸せじゃないの?」
少し考えて私は答えた。
「私は多分この世界が、この命が好きじゃない。どうして私は終わってくれないのだろう。早く終わって楽になりたい。私も昔のホモサピエンスだったら良かったのに。いつもそんな事ばっかり考えてる」
彼は私の言葉をちゃんと聞いていたようだった。
「なるほどね。言ってることはなんとなくわかるよ。それに世の中には君みたいに考えてる人が少なくないことも僕は知ってる。よくテレビで僕たちが死ねないことがどれだけの不幸か説明してくれている人も見たことがある。僕たちは生きているとその罪というか、間違えたことをその後もずっと背負って生きていかなくちゃいけないのかもしれない。そして君のような考えの人は死ねばそれから解放されると思っている。リセットされる?みたいな感じかな。でも僕たちは死ねないからいつまでも解放されない。だから苦しい。そんな感じかな?」
「うーん、まあ大体は」
「そうだね。確かに君のいう通りかもしれない。永遠に生き続けるのは辛いことなのかもしれない。それでも僕はこの世界、この命が好きなのかもしれない」
遠くを見るように彼は答える。
「どうして?」
「なんだか、僕が僕の心のままでいれる気がするからさ」
私は彼の言っていることを理解しようとして時間がかかっていると彼は続けた。
「ごめんね。ちょっと言葉不足だったね。そうだな、、、。そう、僕は絵を描く事が好きだ。でももし昔のホモサピエンスのようになんらかの食事をして栄養を摂らないと死んでしまう生き物だった場合、僕は今のように絵を描いてはいられなかっただろうね。僕は働いてお金を稼いで食べていかなきゃいけない。でも絵を描いて食べていくなんて狭き道だ。僕は絵は好きだけど僕より上手な人なんてたくさんいるしね。そうなると僕はやりたくもない仕事をしてお金を稼いで生活をしていかなくちゃいけなくなるんだ。それって僕はちょっと嫌かな」
「そう、なるほど」
「もちろん、僕がそんな生活はちょっと嫌なだけであって悪いと言っているわけではないよ。どうやら昔のホモサピエンスの時代に僕たちの社会システムとテクノロジーはほぼ出来上がっていたみたいだし。どういうことかわかる?つまり僕たちがホモサピエンスのように死ななくなってから社会とテクノロジーはほとんど発展してないということだよ。まあちょっと考えればそりゃそうかもね。だって僕らは別に競争しなくてもいいのだもの。競争して負けても何か問題が起こるわけではない。でも昔のホモサピエンスは競争して負けた場合、例えば、二つの会社同士の競争で負けるともしかしたら片方の会社は倒産するかもしれない。そうなると倒産した会社の従業員は生活できなくなって死んでしまうかもしれない。それは大問題だ。だからこそ彼らは他社や他の者よりも優れた商品、技術、サービス、スキルを手に入れようとした。そうすれば自分の生存に有利だったからね。どうやら彼らの時代には今よりももっと多くの大学があって多くの人が大学を卒業していたらしいんだ。大学を卒業したことが自分が優れた人材の証明だったらしいからね。でも今はそんな必要はない。なんせ僕たちはそんな風に努力しなくても死なないし問題ないからね。だからこそホモサピエンスの時代に僕たちの文明はほぼ完成して、僕たちはその文明をこれまで大して発展させることが出来なかったという訳さ」
「、、、うん?じゃあやっぱり昔の方が良くない?」
「そうだね。文明的な側面から見ると君は正しいかもしれないね。でも文化的な面から見たらどうかな。また同じこと言うけど僕はほぼ毎日絵を描いて過ごしている。これは昔は出来なかったことだ。昔は今ほどたくさんの美術館はなかったらしいよ。今じゃ街の建物の三分の一は美術館だってのにね。それに今ほど色んな音楽も楽器もなかったらしい。きっとそんなことに時間を使っている場合ではなかったんだろうね。生きるのに必死で。僕はそんな今の世界が好きだよ。みんなが思い思いに過ごしている。君もそうでしょ?」
「え?」
「君だってこの世界は嫌いだからって言って働かずに過ごしていても。何も問題はない。公営住宅に住んで生活保護を受けているから何もしなくてもちゃんと生活出来ている。君も自分の心に正直にこの世界を生きている。僕も働かずに絵をたくさん描いていたいから生活保護を受けて毎日絵だけ描いて過ごしてる。僕も僕のやりたいこと心に正直に生きている。僕らに対して誰も文句は言わないし文句を言う権利もない」
確かに彼の言っていることは的を得ているように聞こえる。

「だから僕はこの世界が好きだ。みんなが自分の心に従って生きている。心だけが本物だ。僕たちを僕たちたらしめるものだ。きっと昔のホモサピエンスが僕らを、僕らの世界を見るときっと中には心底羨ましがるものもいるだろうね。きっと僕らはそういう世界にいるんだと思うよ」
また彼はそう言って笑って私の顔を見た。

春風が優しく私の頭を撫でてくれた気がした。

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