[小説]不死身-氷菓

前の話




どれくらいこんな生活を続けてきたか、もうわからない。仕事を始めて数百年は経っただろうか。

あれから私の生活は変わって色付き始めた。たくさんの同僚、友人に囲まれ、パートナーとして過ごしてくれた人も何人かいる。みんなでどこかに行ったり、一緒にパーティーをしたりして楽しく過ごしてきた。

今日はいつもの朝だ。いつも通り支度をして仕事に出掛ける。朝、コンビニで仕事のお供としてチョコレートを買った。実の所私はチョコレートが大好きだ。コンビニを出るとき、出入り口の付近で一人の男性が座っている事に気付いた。服はボロボロで髭は伸び放題、髪はボサボサで何日も洗っていないように見える。明らかに仕事をしていない風の人だ。
まあ別に私たちは仕事をしなくても生きていける。なんたって私たちの体は不死身だ。何も食べなくても、体も弱ることなく永遠に生きてゆけるのだから、仕事をせずに何年もベッドに横になってボーっとテレビを見ている人も少なくないと聞いたことがある。
だから私はその人を見てもただの仕事をしてない人だと思うだけだった。

仕事が終わり、家に帰っている途中で無性にアイスが食べたくなり朝と同じコンビニに寄った。出入り口には朝と同じ男性が座っていた。
気にせず中に入りアイスを買って出てきた。お風呂上がりに食べよう。

ふと視線を感じた。やはり例の座っている男性の目線だった。しかし、その目線は私ではなく、コンビニの袋の中のアイスにぼんやり注がれていた。
「あの、もし欲しかったら一個差し上げますが」
「あ、、い、いえ大丈夫です」
掠れた声で男性が答える。それでも彼はアイスをぼんやり眺めていた。
「あの、アイスがどうかしましたか?」
「い、いえ、ただ羨ましいだけです」
「もう一度聞きますが、欲しいなら差し上げ」
「あ、違います」
彼はようやく私の顔を見て、話始めた。
「ただ私もアイスになれたらいいなと思いまして」
「はい?」
まずい、この男はわけわからんこと言い始めたかもしれない、私の顔には明らかにそう書いてあるのだろう。私の表情を読み取った彼はこう続けた。
「だってアイスはいずれ溶けるでしょう。そうすれば、それはアイスではなくなる。それに対して私たちはいつまでも私たちのままだ。食事がなくても生きていけてしまう。たとえ事故で大怪我にあってもすぐに肉体は再生してしまう。病気にかかることもない。永遠に生きていけてしまう」
素直に思ったことを聞いてみた。
「それが何か問題あるのでしょうか。ずっと変わらず楽しく生きていけるのならそれで良いのではないのでしょうか」
彼は私をまじまじと見るとこう答えた。
「なるほど。あなたは今までの人生に満足しておられるのですね。とても素晴らしいことだ。汚れのない純潔を表している、誰もが羨む、そのような存在だ。それならきっとそのようなお考えに辿り着くであろう。しかし、皆があなたのようであるわけではない。幸いにもあなたはまだ汚れていないのだけです。いや己の間違いに気付いていないだけなのかもしれない。それもきっと立派な間違い、罪であるのかもしれません」
背筋に汗が流れる。私の間違いに気付いていないことが罪。
「何を、」
「例えばそうですね、、、立派なお洋服を着ていらっしゃる。仕事を一生懸命にして得られたお金でご購入されたのでしょう。きっと今の仕事のポストに就くまでにさぞかし努力されたはずだ。それは誰の目から見ても賞賛に値するはずです。しかし、あなただけがそのポストに就きたいと思っていたわけではないはずです。誰かも同じようにその仕事をしたかったはずだ。だがその仕事はあなたによって奪われてしまった。つまり今のあなたは誰かの希望の屍の上に立っているということです」
「そんなつもりは、、、」
ゆっくりと彼は話を続けた。
「私はあなたを責めている訳ではありません。生きていれば間違いだったと気づく瞬間は等しく誰にでもやってきます。なぜなら生きているからです。私たちはお互い傷つけ合わないと生きていくことは出来ない。例え誰かを傷つけたくないと思っても、そう思っていることが誰かを傷つけることに繋がってしまう」
「...」
「そうして、その時になって後悔する。どうしてあの時もっとこうしなかったのだろう。それはやがて自分への重み、罪になる。いつこの罪から、苦しみから解放されるのか。昔は全ての生物には終わりがありました。だからこそ生き抜けたものもいるはず。この命が終わればきっとここから解放されるのだと」
「そんなのただの妄想です」
「しかし、その妄想があったからこそ生きていくことが出来た。だから太古の昔にホモサピエンスが創り出した神という概念が存在していた。それは誰かにとって神であり、希望であり、願いであり、可能性であるのかもしれない。ただ名前が違うだけです。あなたはそんなものを必要としなくても生きてこれたのでしょう。とても幸せなことです。いや、あなたもきっと知らず知らずのうちに縋っているはずです。じゃあ私たちの間違いは、後悔は、罪は、命の終わりなくして、いつ、誰がまたは何が救ってくれるのですか。」

私たちはお互い黙ったまま。しばらく向き合っていた。
「私にとって生きていることほどの地獄はないのです。そして今やその地獄から解放される手段も失ってしまった。文字通り生きる屍です。少し話過ぎました。わかったようなことも失礼なことも言ってしまいました。すみませんでした。それでは」
男性はそう言って立ち去っていった。
私も自分の家に向かって歩き始めた。

アイスはもうすっかり溶けてしまっていた。



続き


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