七年前の自分へ

 七年前にFacebookに書いていた自分の文章を見つけて、少し今思うことを急に書きたくなりました。

がんばって、という言葉、なんて無責任で無力なのだろう…
これ以上ないほどに努力している人、苦しんでいる人を、応援したり、励ましたりするとき、がんばって、なんて、本当は使えない…配慮が足りない…それでも、応援したり、励ましたりするときに、他にどんな言葉で勇気づけることができるのだろう。わからない…悩みに悩んだ結果、結局いつも使ってしまっている。または、伝えずじまいになってしまっている。

言葉って、難しいなぁと思う。まだ、実際に会ってなら、もう少しくらいは気持ちを伝えられるような気がしないでもないけど(それでも真意はなかなかうまく伝えられないけれど)、言葉だけで相手に思いを伝えようとするのはなおさら難しい。悩んで、選んで、結局陳腐な言葉にしかならない。言葉にならない思いがもどかしい。

言葉が、言語が大好きで、だから言語学を学んでいて、日々とっても学びがいがあって楽しい!言語学が楽しくてしかたないです(*^^*)言語学を学べて幸せだなぁと思います。まだまだひよっこなので、わからないことだらけで大変だけれど(^^;)
その反面、日々の生活の中で、だんだん、言葉って難しいなぁと思うようになりました。言葉でうまく表せない思いが増えてきて、悔しい。

言葉にも、限界があるのでしょうね。言葉で伝えられないことは、他の何らかの手段をもって、なんとか伝えようとすべきなのかもしれません。それができるときはそうしたい。でも、言葉でしか伝えられないときもある。そんなとき、どんなに思って、思いを込めても、思いを届けたい状況であるほど、相手には余裕がないから伝わりにくい。難しい問題です…

私自身は、がんばって、と言われると、相手が応援してくれてる、心配してくれてるって伝わるから、とってもうれしいです。でも、一方で、その言葉が重く感じられる人が多くいて、むしろ苦しめてしまうこともある。自分と感覚が違うからこそ、余計難しいのです。

言葉の力の大きさも、同時に感じます。言葉一つで、相手を幸せにすることも、反対に傷つけてしまうこともある。

だから、相手のことを真剣に考えて、伝える最大限の努力をして、言葉にしたいと思います。そうしながらも、壁にぶつかってばかりで、なかなか難しいですが(^_^;

言葉を使うことに苦しめられてばかりではありません。確かに万能ではなくて時に不便ではあるものの、やっぱり言葉ってとっても面白いんですよね。奥深くて、楽しいものなのです!なかなか私の言語愛は理解されませんが(-ω-;)笑

今できることは、たとえ思いが全て伝わらなくても(むしろ伝わらないことのほうが多いだろうけれど)、相手のことを考えて、言葉を使おうと努力することなのかなと思います。人の思いを汲み取ったり、人を幸せにしたり楽しませたりすることが、残念ながら正直あまり得意ではないなぁと自覚しつつありますが、その分もっと努力したいし、しなければと思います。

 これを思い出させてくださったのは、横山小寿々さんのこちらの記事。
(初めまして。突然の引用失礼いたしました。)

 横山さんの記事は、横山さんの優しさ、思いやりがにじみ出ていて、たくさんの方から想われていて、おつらい状況でもご家族との交流がありながら明るくあろうとなさっており、本当に素敵だなぁと思いながらいつも拝読しております。ご病気大変だと思いますが、どうぞご自愛ください。これからも記事を楽しみにしております。

 今回、優しいみなさまから、前の前の記事とその前のつぶやきにたくさんのスキとコメントをいただき、本当に救われたのです。誠にありがとうございます。今日もちょっとしんどくて、予定をつぶして薬を飲んで寝ていたら夜でした。休んでだいぶ楽になり、ぽつぽつとみなさまの記事を拝読し、コメントを拝読しております。(まだ読めていない方申し訳ありません。ゆっくり伺います。)
 コメントをくださるみなさまのお言葉から、顔も本名も知らない私を心から思って、温かいお言葉をくださっているなぁとひしひしと伝わってきて、本当に涙がこぼれました。今、noteをしていて本当によかったなと思っています。
 温かい応援と、無理しないでいいんだよ、ゆっくり待ってるよというお言葉をいただき、今の私から当時の私へ、思うことをしたためたいと思います。

七年前の自分へ

 あなたがそれを語った一年後、あなたはインターンで苦しみ、大学の授業もきつくなり、「がんばって」という言葉がプレッシャーでつらくて苦しむんです。それから数年後、社会人になって仕事量と責任が増え、また同じ苦しみを味わいます。
 でも、少し余裕ができたとき「がんばって」という言葉自体より、それを誰が(どういうお人柄と関係性の人が)どんなとき、どういう風に伝えてくれるかで、受け取り方も違うと私は感じました。もちろん、一番は伝わるときの心持ちだと思います。また、人によって感じ方が違うというのはその通りです。だから、なるべく今も、私自身はその言葉をなんとか言い換えて伝えています。でも、結局その言葉も、相手の心持ち次第でかえってプレッシャーになっているかもしれません。かなり苦しそうなときは、言葉自体伝えず、話を聞いてみたり、そっと差し入れを贈ってみたりしています。言葉がすべてじゃないんですよね、コミュニケーションって。
 あなたがもがき、苦しみ、その経験からいろんな感情を知って、今の私がいます。あなたががんばって生きてきたから、前より人に寄り添える人間になっていると思います。まだまだですので精進します。自分が思いの外生活能力が低いことを知り、挫折を味わい、たくさんの人と出会い語り合うことで多様な考え方を知り、それを受容していった。だからこそ、昔大切な友人たちを傷つけてしまっていたことを知ります。反省し、今後気をつけようとする姿勢を忘れないようにしようと思います。
 あなたが当時から、このように言語化して頭を整理してくれていたから、未だにそういう風に癖づいています。言語化するって大事。最近、人と話すことで、自分でも気づいていなかった自分の考えを知ることがあります。不思議なものですね。
 あがき悩みいろいろ試していった先に、正解はまだ見つけられていないけれど、成長したあなたがいます。言葉に残してくれていてありがとう。昔から疑問を母や父に投げかけては会話し思考していましたね。それを先生や友人とするようになり、社会に出ても続けています。疑問を持って、持ったままで終わらせないその姿勢。ちょっとめんどくさがられているかもしれないけど、付き合ってくれる人たちを大切に、ほどほどに続けていきますね。

             七年後の自分より

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