葉月の俳句
葉月(はづき) 八月の異名
「葉」は「葉落ち月」から来ている説があるんですね。
旧暦のため、秋らしい異名が並んでいます。相変わらず、他の素敵な異名もいいですね。
「月見月」なんて回文みたい。月を愛でる人たちの様子が見えますね。「紅染月」は情景が目に浮かびます。
みなさんはどの異名がお好きですか?
さて、一年ぶりにやってみます。フォロワーさんがずいぶん入れ替わり、初めての方もいらっしゃると思います。月名で詩歌を詠もうという一人遊びです。「はづき」で遊びますよ。拗音、濁音→清音は許容するゆるさがあります。
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廃品をうんと集める朝寒し
季語 朝寒し
廃品回収。もう使わないものを再利用するためにせっせと集めてまわります。子どもの頃、毎月一回母と子ども会の行事としてしていました。寒い朝に新聞紙を綴じた紐が食い込んで痛かったり、冷えた瓶が手を凍えさせたり。集めるうちに徐々に気温が上がっていき、動いて体温も上がっていきます。
集まった廃品の山が生まれ変わって活かされる。冷えた廃品に温もりが生まれる。エコじゃないリサイクルもあるけれど、エコなリサイクルもある。リユースだってできる。使命を果たした廃品にまた命が吹き込まれることに、大人になって希望を感じました。
ちょっと使うには早い季語でした。
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釣瓶落としに駆ける子ら見守る目
季語 釣瓶落とし
水原秋桜子 釣瓶落としといへど光芒しづかなり
暮れる日の光と静けさ。もの悲しくて、愛おしい。秋は夕暮れとも称させられたように、秋の暮れの空は哀愁漂う美しさがあるように感じます。
この前までまだ明るかったのに、いつの間にか暗くなる。子どもたちにはあっという間に感じます。公園に迎えに来る親、はよ帰り~と促す近所の大人たち。慌てて親に駆け寄ったり、家路を急ぐ子どもたちの行く末を見守る目があった子ども時代を懐かしく思い出しました。
そして、「空から元気もらおう」という文章を書くきっかけとなった夕日を親子たちで見たのも、秋のある日のことでした。
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休暇明けつながる命讃えたい
季語 休暇明け
休暇明け。宿題が終わらず朝まで終わらないと涙目で手を動かすのが常でした。どうしても終わらずびくびく通学したのも懐かしいです。怖い先生の宿題を早めに終わらせ、甘めの先生の宿題を残す不届き者の高校生でした(部活が忙しかったと言い訳をしておく。部活のない小中時代も九月一日までやっていた←)。
それならかわいいものですが(?)、下記記事に悲しい資料があります。
私も居場所がない経験がありました。それでも意地で通っていましたが、来られなくなるだけならまだしも…。書くのもつらい現実があります。
学校も会社も、どんな環境も、生きることを投げ出したくなるくらいつらいなら、変えていいから生きてほしい。そう願わずにいられません。今年の九月二日(月)につながる命を全力で讃えたいです。
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今月の番外編
胡瓜の薄さ努力の成果
季語 胡瓜
胡瓜を薄く切れない私と違い、母や妹は薄く切ります。透けるほどに。母は子どもの頃から料理をし、家庭科で胡瓜の薄切りで一等だったと誇る。妹は大学の調理実習の試験のため、猛練習。無事合格。しばらく薄切りの胡瓜が食卓に並びました(胡瓜は好きなのでうれしかったです)。私は未だに切れません。母や妹は、時が経っても、当時の技術には及ばずともその片鱗を示す手さばきを見せます。
暦の上では秋ですが、胡瓜がおいしい八月末です。また不定期に遊んでいけたらいいなと思います。
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▼水無月の俳句(前回の同ジャンルを貼るコーナー。しばらくお休みでした)
葉月の詩歌
▼葉月の短歌
後日更新できたらいいな。
(これがお決まりなので書いていますが、たぶん間に合いません)
▼葉月の川柳
後日更新できたらいいな。
(上に同じく)
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