お弁当

行きつけの居酒屋さん。定食屋さん。レストラン。喫茶店。お昼休みに、仕事終わりに、日々の仕事の疲れを癒しに向かう。おいしくて、会社と雰囲気も違って、別の私でいられる。仲の良い先輩と、周りを気にせず語り合える。お店でのひとときは、大切な時間だった。

日常が一変した。
いつしかそんな日々は非日常へと変わった。
お店は休業。立ち行かなくなり閉店してしまったお店もある。
大好きな場所。なのに何もできない。行きたい、できることをしたいのに。
また伺います。はい、またお越しくださいね。お待ちしております。
その約束は、すぐ果たされるはずだったのに。

ちらほらと、お弁当を始めるお店が出てきた。
私は早速買いに行った。
お元気でしたか。はい、お客様こそ、お元気そうでよかったです。
そんなたわいもない会話がうれしくて。
ポイントカード始めたんです。お作りしていいですか。ぜひお願いします。じゃあ、今日の分、サービスで二個押しておきますね。ええ、こんなに安いのに、いいんですか。いつも来てくださるから。
今まで以上に、会話が弾む。いつもお忙しそうで、人見知りの私は、他の常連さんと違い、注文とお会計のときにしか話せなかった。今日は、ふたりで会えた喜びを分かち合う。何気ない会話を噛み締める。
また来ますね。お待ちしております。
いつもなら、おいしいってその場で伝えられるのに。いかに伝わるか考えてお伝えしたり、自然と口から言葉が漏れ出たりするのに。でも、次、必ず伝えるんだ。

手を洗い、席に戻り、手を合わせる。
ふたを開けば、いつものおいしそうなおかずが並ぶ。見たことのないものも、いつもは頼んでいなかったものもある。
いただくと、口いっぱいにうま味が広がる。
ああ、おいしい。心の中でつぶやく。
行きつけのお店の数々のお弁当は、どこのも、味、彩り、バランス、どれをとってもよく、とてもおいしかった。

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お弁当というと、やはりまた母を思い出す。
運動会、ピクニックという特別な日のお弁当。
家族と祖父母の六人分、おっきくて、重たい箱の中に、母の愛情たっぷりの丹精込めて作られたおいしいおかず、おにぎりが並ぶ。
飾り切りやかわいい工夫を施した目にも綾なおかず。茶色いけどこれがおいしい特別なおかず。定番の安心するおかず。炊き込み、混ぜ込みご飯のおにぎりやお稲荷さん。
手元に写真がなくても、当時のお弁当がありありと浮かぶ。毎年工夫を凝らして作ってくれた。
このお弁当をみんなで語らいながら食べる時間が楽しみで、徒競走も、ダンスや組体操も、団体競技も、騎馬戦も、大玉転がしも、応援合戦も、全力でがんばった。

高校生になってからは、どんなに忙しく疲れていても、三年間欠かさずお弁当を作ってくれた。
朝課外があり、寝坊してバタバタ出かけようとしても、卵かけごはんと具だくさんのお味噌汁の朝食をとらないと行かせてもらえない。やっと流し込み出かけようとすると、お弁当!と持たせてくれる。ありがとう、行ってきます!と駆け出すのが日常だった。
一人暮らしを始めたとき、これがどんなに当たり前でなく尊いことだったかに気づかされた。

お昼休みにお弁当を開けるのが楽しみだった。
お昼休みがずっと楽しみだったわけじゃない。高校三年生のとき、仲良しの友だちと疎遠になり、お昼休みが苦痛だった。クラスに好きな子がいたから、ひとりぼっちのところを見られたくなくて、無理やり誰かとごはんを食べ、終わった瞬間職員室に逃げ込んだ。
お昼休みが憂鬱な三年目でも、悲しく辛いときでも、母お手製のお弁当はおいしくて。涙を堪えながら、黙々と噛み締めていたのが懐かしい。母の愛情が、より沁みた。

母が作るお弁当には、魔法がかかっていた。

***

今、そんな母のお弁当の写真は手元にない。
そもそも、高校のときは撮らなかったし、撮ったのは運動会のときくらいだと思う。
父が早朝に場所とりに行ってくれ、両親がカメラ席で人の合間を縫って私たち姉妹を収めてくれ、お互いへとへとでごはんを食べるとき。立派で健康的なお弁当を、忘れないように撮ったんじゃなかったかな。まだフィルムだった、大きなカメラで。
年末に帰省できたら、写真を探してみたい。

お弁当の写真で手元にあったのは数枚。

社会人になって初めて作ったお弁当。


大学四年間でたまにしか自炊ができなくなったのを、心機一転、再開しようとはりきって作ったのを覚えている。
そこから何度か作ったお弁当は三ヶ月続かず、自炊も一年続かなかった。
(余談だが、後の写真の三枚目、三色弁当のそぼろは、肉でなく豆腐である。少し味気なくて、やっぱり肉がいいと思った。もちろん、豆腐は大好きだ。揚げ出し豆腐に厚揚げ、お味噌汁、麻婆豆腐なんかは最高だ。
 六枚目は見ておわかりの通り、オムレツは冷凍食品である。この冷食のオムレツ、野菜たっぷりでおいしかった。)

それでも、ふたり暮らしを始めて、基本私が稼ぎを、妹が家事を担いながら、たまに週末にごはんを作った。
本当にときたまだけど、人のために作るって、やりがいがあるし、人と食べるとこんなにもおいしいんだなと、ごはんを作り、一緒に食べる喜びを再確認するときがある。

妹とふたり暮らしを始めて、妹が作ってくれたお弁当。

折り紙が好きな妹が、箸袋まで折ってくれた。
私のと違って、彩りもバランスもすばらしい。母のお弁当とも少し違う、妹のお弁当もおいしかった。食堂でみなさんから羡ましがられた。
でも、職場のみなさんが作るお弁当も、奥様旦那様の愛妻・愛夫弁当もみな、とてもおいしそうなのだ。
お弁当やさんのお弁当もしばらく頼んでいたが、それだっておいしい。
誰かが、食べる人を思い、健康に気を遣い、おいしい工夫をして作って詰めたお弁当は、冷たいのにあったかい。ちょっと濃ゆくておいしい。
それを好きな人たちと一緒に食べれば、もっともっとおいしい。
仕事の合間の45分、忙しない休憩時間の中で、お弁当を味わうひとときは大事な時間だった。

***

今は、食堂でなく、個人のデスクで黙食。
少し落ち着いてきてお店で食べることもできるようになったが、消毒し、人と距離をとり、静かにいただく。たまに誰かと行ってもアクリル板越しに小声で話す。
簡単に帰省できず、隣県が遠い。県境の見えない壁が厚い。
定期的に遊びに行っていた関西も、東京もはるか遠くに感じる。新幹線、飛行機代を貯めて、友だちに会うことが仕事のモチベーションの一つだったのに、それも容易に叶わない。

家族で、友だちや同僚と、和気あいあいとしゃべりながら食べたい。
いつの日か、当たり前だったあの日々が、また戻ってくる。そう信じ、今日も外出後にお弁当を買い、持ち帰って食べたいと思う。

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