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めがね

2021年9月、新しいめがねを買った。

足の大きさに合わせて靴を買う。
身体の大きさに合わせて服を買う。
自分の身の丈に合った衣類を、身に着けることの大切さが少しずつわかってきた20代後半。

眼鏡についてはその仲間に入っていなかった。いつかはそのつもりだったが、順番は後回し。
やっと順番が回ってきた、今回はお気に入りのめがねの話。

当時わたしは病院で働いており、仕事で顔に眼鏡とマスクとめがね式のアイガードを装着していた。アイガードはコロナ禍の感染対策で追加となった。

耳に新たな重みが加わったことで、耳の上の部分の柔らかさに左右差があると気づいた。そんなことあるのかなと思ったけど、重みが過ぎると、どうしても右上耳が折れ下がる。ちょっと面白い。

折れ下がるだけなら我慢すればいいのだけど、マスクが頻回に外れ始めた。ここでやっと困りごととして認識された。仕事としてクライアントの生活のこと、心身のことには敏感に捉えられるのに、自分のそれらには鈍感だ。あるある?

このまま我慢し続けるか。耳は筋トレできないし、紐とかテープで固定するか。違う違う、いよいよ眼鏡を自分に合わせる番がきたんちゃうかとか色々と考えた。割とストレスだった。

そして決めた。自分の眼に、顔に、雰囲気に合っためがねを買おう。

買いに行く場所は決めていた。実は学生の頃から憧れているお店があったのだ。思い立ってから、実際に身に着けるまで1ヶ月経っていなかった。

念願のめがね屋さんでは、購入前に、自分の眼の特徴を検査して評価してもらえた。これは重要なできごとで、大げさに聞こえるかもしれないけれど、ちょっと肩の力が抜けた。

日常生活で「なんでこうなってしまうんだろう」と思う困りごとの原因に、もしかしたら眼の影響もあるかもしれないと分かったのだ。

「ささいな生きづらさ」は自覚していないとやり過ごしてしまえる。たぶん心か身体をすり減らしながら。たまに違和感として自分に自覚されるときもあるけど、もやもやを拾いあげないと他のことに意識は移っていく。

しかし、もやもやの原因のひとつかもしれない新事実がわかると、それきっかけに「ささいな生きづらさ」と向き合えるし、適切に逃げることができる。憧れのめがね屋さんはそういった、ちょっとドキドキな自己との対峙に寄り添ってくれるやさしい環境だった。

眼鏡が変わって、しかも自分の眼と骨格と好みに合った眼鏡を手に入れて、多分生活は大きく変わる。そんな気がした2021年9月。

あれからもうすぐ1年。
その後はというと、眼鏡を眼に合わせて、やはり生活がしやすくなった。自分の眼に自分が優しくなった。
そして、数ある中でもCONCEPT Yという眼鏡を勧めてもらい選んだことで「それどこの眼鏡ですか?」という楽しい会話が何度も生まれている。

CONCEPT Yという眼鏡はフレームとレンズが分かれていて、まさに顔や頭に合う。いまだに眼鏡を磨きながら、その細部に見入ってしまうことがある。惚れ惚れというやつ。

靴が色んなところに連れて行ってくれるという話をどこかで聞いた。わたしのお気に入りのめがねは、色んなものを見せてくれて、日常を彩ってくれている。