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働き方改革は、出発点を間違えたんじゃないの?  〜「働き方の祭典」を終えて感じた私見〜

今年で7年目となる働き方の祭典「Tokyo Work Design Week」(以下、TWDW)が終了した。東日本大震災以降、新しい働き方の選択肢づくりが必要だと「働き方のフジロック・フェスティバル」を標榜し、毎年毎年叫び続けている。今では韓国・ソウルでの開催を含めて、のべ3万人以上が参加したアジア最大の働き方にまつわるカンファレンス・フェスティバルまでになった。


僕はその言い出しっぺとしてオーガナイザーの役割を担い、企画や運営の面倒を見ている。全てのプログラムに参加できたわけではないし、その全てのプログラムがグレートなのだが、TWDWの代表として特に印象に残ったプログラムがある。それは厚生労働省で働き方改革プロジェクトをリードしてきた人物・高橋亮さんに登壇してもらったものだ。働き方改革なんて言葉が世に溢れ返るよりも以前から僕らは「これからの働き方はああだ、こうだ」と言ってきた手前、高橋さんの登場はラスボス感が拭えない。僕がモデレーターを務め、前・WIRED日本版編集長の若林恵さんと3人で「働き方改革とは何なのか」「これから働き方はどうなるのか」と多岐に渡って、参加者らとディスカッションをさせてもらった。


そこで、印象的だったのが「働き方改革は、出発点を間違えたんじゃないの?」という若林さんからの問いかけだ。


働き方改革を説明しようとするとき、常套句のように「労働人口の減少&少子高齢社会の到来」といった大きな2つの課題提示に対して、生産性向上を合い言葉に「女性やシニア活躍」「長時間労働の是正」などの解決手法を伝えることになる。しかし、課題&解決手法のセットだけでは人々の共感やモチベーションを組み上げることに無理があるのではないか、という指摘だ。(確かに、いきなり「女性やシニア活躍」と言われても、女性やシニアからしたら「ん、何で?」とハテナマークも多かっただろう)


実際に、会場にいた参加者らに働き方改革の印象を聞いてみても、「会社からの制限ばかりで働きづらくなった」「残業代が出なくなった」などの本来の働き方改革の意図とはズレたカタチで不平不満が表出されていた。少し話はズレてしまうが、「働き方改革」における企業の取り組みについての調査結果がある。この結果によれば、50代男性からある程度の評価があった一方で、20−30代から不平不満の声も多いようだ。「働き方改革は誰のためなのか?」を考える上で味わい深い結果である。


話を戻すと、働き方改革を伝える上で出発点に間違いがあるとしたら、それは「未来」の提示の不在である。課題と解決方法から導き出しただけの働き方改革からは、僕たちがワクワクする未来の姿は見えてこない。これからどんな時代になっていくのかを見立てた上で、自分たちの生活や働き方の未来像を伝えていく必要があるのではないか。そのような未来の提示があった上ではじめて、国や企業・市民が知恵や力をあわせてやる意味が生まれてくる。ちなみにここで、若林さんが語った成り行きの未来は2つ。簡潔に紹介すると。


1つ目は、世界はデジタル・トランスフォーメーションの波によって、グローバル規模で雇用の分散化が進むということ。Uberをはじめとするギグ・エコノミーやタスク・シェアリングと称される新たな雇用形態・環境を促進するプラットフォームの台頭は、現状の雇用形態や生態系を破壊することも示唆されるが、一方で難民流入の問題を抱えた国をはじめ、労働人口減少を食い止めようとする国にとっては雇用の枠組みをアップデートをするための有効な手段となる可能性を秘めていること。


2つ目は、「自己責任」化が最大化される社会について。混乱する社会情勢や終身雇用制度の崩壊が眼の前にある昨今、今まで以上に自立した個人・強い個が求められる。人生100年という長いマラソンのなかで、自分の能力を高めるために自己啓発や自己研鑽が求められ、その都度のキャリア選択を選び続けないといけない。「好きなことで働く」を標榜し、自分らしさを追求して働くことと引き換えに、僕らは良くも悪くも自己責任という重石と共に生きていくことになる。(参考記事=「全て私の無能さが原因です。家族のみんなごめんなさい」←コレ


これらの若林さんが語った未来が到来してもしなくても、いずれにせよ、僕らの働き方の未来においては「働き方はひとつではない」ということだ。今までの働き方や制度の維持に固執するのではなく、多種多様な働き方や生き方があることを認め、そのすべてがいずれも自分らしく、幸せであるということを感じ取ることができる社会をつくる必要がある。働き方改革の出発点には未来の姿があってほしいと思うのは僕だけではないはずだ。


では、なぜ現状の「働き方改革」で未来が語られていないのだろうか。それは高橋さんの話を僕なりに解釈すると「国があなたの未来を決めていいのか?」という官僚としての健全なる葛藤からきていると思っている。働き方改革において、未来にあえて”余白”を残したと言ってもいい。決して未来を語り忘れたわけではなく、未来を強制することを避けたかったのだ。働き方改革や官僚の肩を持つわけではないが、未来の主導権は僕らが握っていることに改めて気付かされることになった。

加えて、ディスカッションの最後に高橋さんはTWDWに対して、こんな期待を込めてメッセージを投げかけてくれた。


(現在、高橋さんは働き方改革の担当から異動しているとした上で)
「まだまだ語れていないことがたくさんある。一緒に未来をつくり、語っていくためにみなさんの力が必要です」


そう、未来を政治家や官僚だけが語るのではなく、僕ら一人ひとりが未来を語っていかないといけない時代である。


・・・


改めて、TWDW2019を振り返ってわかったことがある。僕らの敵は「人口減少」ではないということだ。人口減少という現象を嘆いても何にもならない。僕らの敵は「無関心」だ。誰も未来に関心も持たず、希望にしがみついたままで口を空けて無気力、無感動に働き続けることに対してNOを言い続けないといけない。未来に対して僕らが関心を持たなくなれば、未来はいつまでも空白のままになる。決して未来は空から降ってくるものではないのだ。


TWDWは、自分たちの欲しい未来を創造する場だ。いつまでもお上や官僚だけに任せるのではなく、選挙投票しても何も状況が変わらないと悲観するのではなく、一人ひとりが自分自身の働き方を変えていくことで、この状況を変えていくことができる。未来はいつだって自分の動いたその先にある。

未来を語るのは誰なのか。今一度、自分に問う。

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