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コクリコ坂から(2011年 監督:宮崎吾朗 スタジオジブリ)

ジブリパーク開園から思い出したので、安いDVDを買って11年ぶりの再鑑賞。

NHKの朝ドラみたいな世界観ですが、演出で雰囲気はずい分違いますね。劇場公開から11年経ちましたが、やっぱり良い映画で感動しました。

 ジブリ映画『コクリコ坂から』は、アニメ『ゲド戦記』が不評で叩かれまくった宮崎駿の長男・宮崎吾朗のアニメ監督2作目です。アーシュラ・K・ル=グウィンの原作『ゲド戦記』を全巻読んだ身としても、『ゲド戦記』はダメな映画だったと思いますが、良くなかったのはあくまでも原作からの切り抜き方です。
 全く経験して来なかったアニメの初仕事で映画監督をするというのは、やらせる方もやる方も一種の冒険です。いくらスタッフたちが優秀だったとしても。子供の頃からの付き合いらしい押井守監督が言っていたように、そんなド素人が初めて監督をやり遂げたこと自体が奇蹟であり、名作『ゲド戦記』としては失敗作でも、ただのアニメ映画としてはそれなりの完成度になっているという驚きを私も感じました。
 雑な批評家たちにはそこの所が見えていなかったと思います。父親の宮崎駿に至っては自分自身が一番思い入れのある原作だっただけに赦せなかった部分もあるでしょう。原作者も怒らせてしまいました。

 だから、再度監督に挑戦した『コクリコ坂から』が気になって、公開されてすぐに観ました。そして予想以上に感動できたので、宮崎吾朗を応援したい気持ちになりました。少し子供っぽい性質の宮崎駿という人物と、物凄く大人の印象がある息子・吾朗との対比は、NHKでドキュメンタリー化されたように、何か人を魅了するものがあります。二人と今後のジブリの方向性が気になります。(全く違いますが、なんとなく今の自分と父親が被って見えるのです)

(あらすじ)

 1963年初夏の横浜。女子高生の松崎海は、海の見える丘に建つ"コクリコ荘"を切り盛りしている。海は、朝鮮戦争で機雷に触れて亡くなった船乗りの父を偲んで毎朝庭に国際信号旗(意味はU旗とW旗で「ご安航を祈る」)を揚げていたが、高校の学級新聞に"旗を上げる少女"の詩が匿名で掲載されると、それが自分のことではないかと胸をときめかせる。
 海の高校には、男子文化部の部室棟“カルチェラタン”があり、老朽化による取り壊しの是非が論争になっていた。海は、取り壊し反対の論陣を学級新聞で張っている風間俊と知り合い、2人は淡い恋心を抱くようになる。俊に協力したいと思った海が、カルチェラタンの大掃除を提案すると、高校では女子生徒たちをも巻き込んだ一大掃除作戦が始まる。
 ところが、コクリコ荘に下宿していた北斗の送迎パーティで、亡くなった父が友人2人と撮った写真を俊に見せてからというもの、俊は急によそよそしくなってしまう…(Wikipediaより)

物語の舞台となる1963年と言えば、丁度自分が生まれる東京オリンピックの1年前という背景…

 声優ではなく俳優がアニメ作品を演じると、普通は違和感を覚えます。こだわりの強いオタクたちは、洋画DVD(あるいは海外のゲームの日本語音声)に場違いなタレントや俳優がキャスティングされると度々怒って炎上させますが、ジブリ映画はその違和感があまり気にならなかったりするのは少し不思議です。たぶんそれが演出の違いということなのだと思います。
 アニメ『コクリコ坂から』が上映されたことで原作漫画も沢山売れたらしく、一度だけブックオフで見てパラっとめくりました。その時には既に映画を観た後だったので、原作はやたらとコミカルな印象でした。本作はジブリ映画らしい空気感であり、結構シリアスに進行します。

 よく考えたら本作も宮崎駿が好きな「ボーイミーツガール」譚であり、彼が企画したのも当然だったかなーと思いました。また劇中「ガリ版を切る」というシーンを観て、自分の若気の至りでバカみたいな学級新聞書いていたことを思い出しました。まさに黒歴史ですが、それがブログの原点かも知れません。
(中古DVD 商品の小計:¥ 499 配送料・手数料:¥ 350 注文合計:¥ 849 Amazonギフト券:-¥ 849)パッケージはレンタル専用でしたが、冒頭に映画予告は入っていませんでした。ジブリDVDだからなのか…

DVD『コクリコ坂から』のレビュー評価は上々。物凄く良く出来たハッピーエンドのシナリオはあざといですが、素直に良かったと思えるストーリー。

 宮崎吾朗はとりあえずこの作品でアニメ監督としての地位を確立できたと言えるような仕上がりだったと思います。宮崎駿ともジブリの他の監督とも異なる個性は感じられたのではないかなと思いました。個人的にも、ジブリ映画として結構好きな作品になりました。
 残念ながらこれ以降の宮崎吾朗の活躍はまだ観てません。NHKアニメシリーズ『山賊の娘ローニャ』、アニメ映画『アーヤと魔女』を手掛けた後は、また本業に戻って、現在進行形のジブリパークを監修しているようです。

『ゲド戦記』製作時に吾朗が描いた絵コンテを鈴木敏夫が庵野秀明に見せたところ、庵野は「これは完全に宮崎アニメですね」と語ったとされる。また、庵野は吾朗が38歳だと知ると、鈴木に対して「どうしてもっと早くやらせなかったんだ」と言った。同様に吾朗の絵コンテを見せられた大塚康生は、当初吾朗が絵コンテを切ったとは信じられず、鈴木に対して「ところで誰が描いたんですか」「いや、そうじゃなくて、吾朗君が指示して描いたのは誰ですか」と繰り返し質問した。しかし、吾朗本人が描いたと知ると「蛙の子は蛙だったんだ。びっくりしたなぁ」と言ったとされる。(Wikipediaより)

 個人的にはまたアニメに戻って、いつか彼自身のオリジナル映画が観られたら良いなあと思います。作家はしていませんが、自分のアニメの歌詞を沢山書いていますので、物語が作れないことはないような気もします。宮崎駿は死ぬまで宮崎吾朗の作品を認めないでしょうが、吾朗自身は子供の頃から宮崎駿作品のファンであることを公言しているようです。
『コクリコ坂から』を観たことがない方は、一番上のリンクで予告編をご覧ください。恐らく予告編だけで映画の出来が分かります。


<(ↀωↀ)> May the Force be with you.