森の手入れは誰がする
1週間に1度、海の近くの森へ行っている。
半分仕事、半分は現実逃避。
森の中の中古の別荘を、DIYで自分たちの工房に改装しているのだ。
そこは山の斜面を利用した別荘地で、私たちの工房はそれほど山の上の方の区画ではないので家もまばらだ。
上の方にはお金持ちの立派な別荘が立ち並んでいる。
工房の窓からは海が見えて、夜になると鹿や猪に出会う。
夕方には猿の群れが遊んで行く。
見たこともない大きな蛾が窓に貼りつく。
私はその工房で昼寝をすることがお気に入りだ。
サワサワと揺れる緑を眺めながら鳥の鳴き声を聞いているうちに眠りに落ちる。
ただ、その森が最近荒れている。
そこの管理会社がどうしたこうしたで…と、この2年くらいはほぼ手付かずなのだ。
そうすると、森はただただ大きくなっていく。
木の枝は伸び、鬱蒼と下草が増え、数ヶ月前には見えていた隣の区画の家も見えなくなった。
地面は夥しい落ち葉でいつもぬかるんでいる。
「森が大きくなる」と言うと聞こえはいいが、なんだか不気味さを増して、昼間でも散歩をする気になれない。
ヘンゼルとグレーテルに出てくるような、オーロラ姫が隠れていたような森とは違う。
なんだか拒絶されてる…入ってくるなと言ってる…そんな森になってきた。
これがありのままの自然の姿である、と言えばそうかもしれない。
本来、山や森はそういうものだと。
私が思っているのは、管理された「作られた森」であると。
でも、森と親しくなりたいと最近強く思う。
親しさから、身近なところだけでも手入れを買って出るのはいけないことなんだろうか。
風の通り道を阻む枝を払い、流れを堰き止めて水を濁らせる土砂をどかして、いつも新鮮な空気が循環しているような森にしたいと思うのは私という人間のエゴなんだろうか。
森はそれを「大きなお世話」と思うだろうか。
「森は生きている」って言う児童文学があったよなぁ。
小さい頃、アニメで観た記憶。
どんな話だったか、振り返ってみたくなった。
明日、また私は森へ行く。
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