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メイドインアビスを見て考えたこと

サムネを見る限り、かわいい冒険アドベンチャーかと思っていました。まんまと引っかかってしまいました。

上昇負荷でリコの顔から血が出るシーンとか、ミーティとか、とにかく上昇負荷。恐ろしいです。

ちなみに劇場版、漫画はまだ見ていません。

アニメ版だけを視聴したうえで、考えたことがいくつかあります。


憧れと死について


リコは母であるライザが探窟家の最高上位である白笛であることにあこがれを抱き自分も白笛(偉大な探窟家)になることを目指します。作中ではライザ?が残したであろうメモ?によってアビスの最下層を目指すことになるのですが。。

作中でこんなアテレコがあった気がします。
“憧れを持たないことは死よりもつらいことである”的な。
したがって、私たちが生きているこの世界では別かもしれませんが、
アビスにいろんな意味で支配された作中では 憧れ>死への恐怖 であり、
これは 偉大な探窟家になる>アビス探窟 と同じであるということがわかります。

ここで一つふと浮かんだことがあって、
憧れを持たないことは死よりつらい
憧れを持ちアビスに向かうことは危険で死に近づく(死ぬ確率が格段に上がる)
とすれば、あの街に住み、育つということはということは、その先に高い確率でつらい未来が待っているということを意味します。

でも、子供たちが目指すのは探窟家だけではないはず、料理人や公務員もいるはずと思ったのですが、リコが住んでいたベルチェロ孤児院では探窟に関する勉強しかしていなかった気がします。(孤児院ではない学校は異なるかもしれませんが) そうなると、必然的に探窟家を目指す、または、探窟家でご飯を食べていこうと考える子が圧倒的多数で、やっぱりあの街に生きるということはすなわち辛い未来が待っている事を意味するのではないかと思います。

では、なぜリコ(夢見る子供たち)は偉大な探窟家(白笛)を目指すのでしょうか。
それは、我々の多くが一度はスポーツ選手を夢見るように、単にかっこいいからという理由もあるかもしれませんが、私は潜在的に別の理由も存在すると思います。
それは白笛が死を超越した存在であるからです。
白笛(偉大な探窟家)になれば、アビスの最奥地に行かない限り死ぬことはほぼない。(白笛になった瞬間そうなるということではない)それはオーゼンやその他白笛が証明しています。

憧れを持つか持たないかという問題は、聞こえは魅力的でかっこいいものですが、結局これは生死をテーマにしている気がします。

探窟と戦争


先程書いた内容と重なる部分があるのですが、アビス周辺の子供たちは探窟家になるための勉強をさせられていると考えると、それは戦争に駆り出される軍人を育成する軍事教育と通ずるものがあるのではないかと思いました。

私は戦争の歴史について詳しく学習しているわけではないので、そこらはお手柔らかにお願いします。

アビスにおける探窟と現代の戦争を対比させると共通点が多く見受けられます。

探窟の成功(価値のあるものを見つける)は裕福になり、それは戦争もほぼ同じです。
また、死ぬ確率が高いことも共通しています。
また、子供たちは、探窟(戦争)をすることは危険ではあるが正しいことと教わり(実際に悪かどうかは別として)、死ぬことはどちらも英雄死とみなされると考えます。

兵士にならなくても別の職業で現代の一般人は食べていけます。アビス周辺の住人は探窟家で生計を立てています。この点は異なりますがどちらにしろ、探窟も戦争もそれ自体やらざるを得ないことに変わりはありません。(戦争は起こった時に限るが。)

やっぱり探窟は命がけなんですよ。でもどんなに危険でもあの街では憧れを持ってしまう。
あそこに生まれた時点でアビスの呪いは始まっているのかもしれません。

戦争の裏側には腕組をし胡坐をかき、その様子をゆったりと眺め、結末はどうであれ大金を得るような首謀者がいると考えているのですが、アビスの場合、これに該当する人物はどのような人なのかはまだわかりませんので、また考えておきます。

上記の理由+リコたちの探窟経験が浅いことにより私は、リコたちのことを出兵する兵士、または近い将来死んでしまう存在として見てしまい、悲しい気持ちになります。実際リコは瀕死にまで追い込まれましたし。メイドインアビスは、幼児向けアニメっぽい絵柄と生死が隣り合わせになっている雰囲気が相まって鬱アニメっぽい感じになっている気がします。