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エチエンヌ=ルイ・ブレ「劇場」、『建築/芸術論』より

劇場

 劇場は、喜びに捧げる記念碑です。趣味というものが、どれだけ繊細に、どれだけ注意深く、この建築を仕切っているでしょうか。
 この芝居のための公会堂は、かの有名なモンテスキューが描いたグニドの祭典に匹敵するものです。お互いの魅力を競うため、人々の心を魅了できる影響力を示したくて、好ましい性別の方々は芝居小屋に集まっているのです。またそれは、愛と上品さに喚起された魅惑的な性である、その魅力を味わい、その才への賛辞を受けるためでもあるのです。演劇は趣味の殿堂と言われていますが、まさにその通り! 才能と趣味が、一体となり、華麗な好敵手たちが競い合う、この美しい殿堂の中に、円形劇場を作り上げるのです。
 この才能と趣味こそ、その魅力の結果を享受するために、至高の玉座に座るべきなのです。真髄において、喜びの放蕩を生み出すこの甘美な乱痴気騒ぎを広め、人間を叫ばしめるのです。「いや違う、魂が足りないんだ!」と。
 私は今でも、この殿堂の内部を飾る装飾こそが、人々を喜ばせる、最も好ましい、誘惑的なもの全てであると思っています。それは、いたるところで祭典の性質を醸し、保養の地や安住の地を連想させます。
 このような考えや洞察の中で、私は劇場の計画を立てました。それを人々に話してみたところ、好評価でした。そこで私は、かつて大きな池で占められていた場所である、革命の庭園の中央に、劇場を施工できないか、と考えたのです。このアイデアに魅惑され、私を魅了するすべてのものを使いながら、劇場をアレンジしようとしました。
 防壁を作ってしまうと記念碑を際立たせることができません。古代人は記念碑に威厳を与えるために、それを独立させました。また独自性を与えるために適した要素を増やすべく、記念碑の周りを装飾するよう心がけました。
 この一体化の有用性を容易に想像することができるでしょう。宮殿を囲む快い庭園の中にある会場=ホールを想像してみてください。その素晴らしい建築は、四方八方から客が来ても、魅了されるような柱廊や回廊で飾られています。人々は芝居によって魅了されるだけではなく、プロムナードに魅力されたり、この素晴らしい場所を美化するお祭りのイメージを与えるたくさんの人々を見ることに駆られたりします。この美しい景色にある会場=ホールを描いたタブローほど魅力的なものはありません。
 ただ私はこの美点を捨てて、カルーゼルを選びました。ここは荘厳です。どんなものからも独立させるよう会場=ホールを配置しました。乗降所や付帯道路に隣りあっている、この広大な敷地は、あらゆる往来のための全てを備えています。この素晴らしい場所にある神殿のうちの一つは、その巨大さと豊かさによって、装飾にさえなっています。芝居の上演中に空になっている場所――宮殿の中庭ですが――の行路は、全ての馬車を入れることができます。会場=ホールが独立していることから、近隣を脅かす危険もありません。これに適切な敷地は、自然と大きな土地に見出されることになります。このような場所でないと取得費用が建設費用を上回ったりするような不利益が発生します。
 この会場=ホールは、劇場の商店に隣接しており、業務に係る有用性がたくさんあります。丸天井の地下商店と会場=ホールを連絡させるということほど、楽なことはありません。このおかげで、装飾品や衣服の輸送は、ほとんど費用をかけずに、可能な限り迅速に行うことができます。さらに大きな利点として、無防備な輸送に必ずつきまとう甚大な損害を恐れる必要もありません。
 この場所の良さに惹かれて、私はこの計画に没頭し、すべての要素に取り掛かることに専念しました。
 私はまず、ヨーロッパのほとんどの大きな都市で起きている悲惨な事件について考えました。その事件は、劇場の建て方に起因していると考えます。こう一考をするだけで十分です。劇場とは恐ろしい薪であり、火を点けるための火花であるり、すぐに全てが燃え尽きてしまう、と。その証拠は、旧パレ・ロワイヤルの場所にあった2つの劇場の火事です。
 楽しさのための場所で、観客は命の危険を感じなければならないのでしょうか!
 まるで昔のイタリア座のようです。不幸な事件のもたらすたった一つの不安によって、恐怖が精神を支配する、何と恐ろしい混乱、ぎょっとする不幸でしょうか!
 そう思うと身震いしてきたので、考えてみました。劇場を燃えないようにする方法を探すなり、それを企てられないのだろうかと。
 最初に考えたのは、できるだけ早く脱出できるようにすることでした。それは成功したと思います。劇場の正面玄関側には、長さ200ピエを超える巨大な階段が、基礎の高さいっぱいに立ち上がっています。この階段の踊り場から、つまり会場=ホールの列柱から、42枚の扉が続いています。ロッジ席は、廊下及びホワイエから分かれています。この階の全ての人は、一度に外に出ることができます。建物の外側へ出る安全を確保するために、ここには通用の廊下しかないのです。
 9つの開放された大きな扉は、一階の3つの前庭に面しており、平土間と客席後方にある小さなロッジ席にいる人にとって同じく有利です。この出口は、一階の出口とは通じていません。上のロッジ席は、他よりも高いところにあります。各降口は一階へ続いています。大階段を通ったその先に、最低限通り抜けられるだけの、小さい空間があります。
 肝心なのは、列柱に通じる42枚の開いた扉が、会場=ホール全体を開放するために、たった小さな警報さえあれば、紐一本引っ張るだけで同時に全て開く方法で設営されていることです。私が陸軍士官学校でのテストに成功した、この機構は、ラチェット機構によって、ラックギアレールを動かすことによって、錠の受け座を持ち上げるものです。
 実際、出口を多様化することと、劇場のファサードの近さによって、危険時に安全を保障することは素晴らしいことです。一方でそれは、危険を予期するものではありません。従って私は、恐ろしい危険性を取り除く方法を探さなければなりませんでした。火の危険とは、火種があるときだけなのです。火種を与えないために、木を使わず、ロッジ席も含めてすべて石やレンガで作っています。そのため、燃料として残るのは、劇場の床と美術だけです。これでも最悪の事態の際には、悲惨な結果を招かないことはないでしょう。ゆえに、あらゆる反対意見を予期し、全てのできる予防策を講じ、国民と政府を安心させるために、劇場の全敷地下に大きな水盤を配置しました。火災が構造体を壊したら、そこにすべての木材は流れ、消火できるようにしました。
 踏み込んで言えば、木の構造を一斉に落下させることも可能でしょう。ポン・ド・ヌイイの天井解体は、もっと大規模だったという証拠があるではないでしょうか? 私は、この建築に木を使わないことを明言しました。実際、客席と舞台は丸天井になっているので、円形の劇場の高所足場は、鉄の三角の形状にし、大きくて丈夫なフックで支えます。作業用のロープはすべて真鍮で、これらの力を受けるための留め具は、十分な数だけ丸天井のカーブ状に広がっており、すべての変更を容易にするよう適切に配置されており、作業のすべての要求を満たしてくれます。これらの予防策により、火災だけではなく、全体をとって見ても、この劇場は建物の本体へ、また観客へ、危険はないのです。さらに、劇場の丸天井が破損する恐れはないでしょう。私はこのことを確信しているので、もし私がこの劇場を建設していたならば、この有効性をすべての民衆に証明するために、床材と美術の塊に火をつけて、犠牲を犯そうと、決心していたでしょう。
 最大の安全性の問題が解決されたので、この記念碑の装飾と構成が残されています。
 4つの大きな外玄関は、1階の主要な入口へ通じています。これらの玄関のうち2つは、最初のロッジ席とそこにつながる二重欄干階段に続いています。3つの室内前庭は、各々3つのロッジ席の階段につながっています。この階段や前庭を増やしながら、相互に行き来できないように分割することで、今まで芝居の退場方法とは切っても切れない関係にあった、人々の騒動や困惑、混乱を予期することができるようになりました。
 1階は、建物の全周を占める広大な回廊を持ちます。この回廊は全てに通じるので、総合的な避難口にもなります。しかし、その主な目的は、芝居の終演を待つ召使たちを迎え入れ、嫌な雰囲気から守ることでしょう。この構成は、召使がどこにでも迅速に、少しの混乱もなく行けるようにします。
 初めのロッジ席の階段は大きく、そこに行くのは自由で単純で簡単です。この階段は大きな観客用ホワイエへつながっており、芝居の開演と終演時に、ちらと見た時に最も興味をそそられるように配置されており、素晴らしい美術となりうるものです。
 客席を十分な大きさの構造体で囲み、外の騒音を完全に抑えました。私は、外気が直接かつ即座に客席に入ってこないように廊下を構成しています。この予防策を怠ると、どれほど多くの危険な事故や致命的な病気が発生するかはよく知られています。
 役者の楽屋を舞台の外周、すぐ舞台に届くところに配置しました。最初の出番の出演者はすぐ通用路に通じています。他の者は業務の必要に応じて、楽屋に近くなっています。これにより、現場にいることが必要なディレクターは、舞台から離れることなく、指示を出し、必要に応じて出演者を呼び、これ以上ない容易さですべてを見渡すことができるのです。この構成が業務の改善にどれほど有利であるかが分かるでしょう。
 このような観点から、私は舞台側に2つの役者用ホワイエを構成しました。一つは歌い手のため、一つは踊り手のためです。これらのホワイエは、たとえ上演の最中であったとしても、またしかもお互いに干渉することなく、必要となるであろう全ての特殊な練習を行うことができます。
 舞台とは、想像力が生み出すことができるすべてのタブローを描き出すためのものですが、一つの舞台では美術家に大きなスペースを提供できません。しかし、このスペースは会場=ホールの大きさの比率に合ってなければならず、それ自体が芝居を見る観客の人体や観客の数の割合に区切られていなければなりません。この必要な境界線については、当然考慮に入れなければなりません。しかし、舞台はできる限り大きくなければならないし、美術の業務が最も簡単に行われるようにしなければなりません。さらに、この大きな部分について、幅に比べると深さは重要ではないということを知ることは大切です。
 人が多い場面や登場人物の大きな場面展開においては、舞台後方での動きや前舞台に向かって垂直的に行われる動きは、あまり感覚できません。1列目の俳優が2列目の俳優を隠す、その後ろもしかり、といった具合です。場面展開は、タブローに対して斜めまたは平行の方向でのみ行われることで、その効果を最大限に発揮します。また、劇場の奥行きは、美術の効果を高めるどころか、むしろそれを損ねます。複数のフレームが並んでいると、美術家は繊細になり、妥当な合意を得るために、細かすぎる劣化を余儀なくされます。それは必然的に単調なものになります。そして、これらのタブローを重ねることで、まとまりを大きくするどころか、逆に損なってしまうのです。
 こういったことこそ、ハッキリとしたコントラストによって生まれるものです。コントラストを生むには、背景幕から2~3枚の切り離されたフレームだけでは足りません。これが、イタリア座で私たちがしばしば賞賛してきた華麗な美術の秘密です。美点になるこの部門に注意を払った上で、管理業務のその指揮と実行を、第一級の芸術家に信頼すれば、私たちはこの美しく偉大な手法に戻ることができるでしょう。この、非常に興味深い部分は、これまでは様々な作家が浪費する、単なる皮肉的な部分でした。ついに、これは舞台において、イリュージョンを賞賛する適切な方法に取り組むタイミングとなることでしょう。
 この要素は恐らく、劇場に残されている不完全性、起こりうる計り知れない完璧さであり、これらを隠すことは難しいでしょう。イメージのように晴天を動かしたり、支点にならない丸天井の二重アーチを配置したり、洗濯女の移動式の物干しの姿には、何度も笑わったり、笑われたりしてきました。空や天井を作る方法はまだ見つかっていません。まだまだ特に完全な開発が必要なアイデアをここで発表することはしませんが、熟練したアーティストがこの部分を取り上げ、考察の対象とすることを強く望みます。
 これまであまり考えられてこなかった部分がまだありますが、多くの観察結果から私はこれを扱うことができるようになりました。つまり、そこに表現された作品が生み出すべき印象に貢献する、舞台を照らす方法です。陰気なアイデアの戯曲の題名を準備しておいて、一方で客席の中心を良く照らして座らされ、暗い舞台に背景幕が突如現れ、それが上がった時に、機構を満たすようなピカピカした光の感覚で気をそらさない人はいないでしょう。イリュージョンの夜のトーンに戻るために強いられる努力が必要であり、またそれがどの程度作品を損なうかは必ずしも明確ではありません。
 光量の少ない舞台から、突然、華やかなパーティーが見えてくるのと同じです。確かに、これらのコントラストは、一瞬の驚きや突然の騒動を必要とする作家の目的のために役立つ、準備のための手段のような場合もあります。しかし、これは、自在にこれら努力を予言したり、作り出すための方法を追及する以上の一つの考え方であり、この手段がイリュージョンや芝居の物理的印象にどれほど未知で強力な資源を提供できるかは想像できません。舞台の一般的な美術については、この文章の冒頭で、私が作業をした時に、いくつかのアイデアが生まれたのかを見てきました。私はできる限り、多様な刺激的なタブローをできる限り紹介することを探していました。そのため、私は建物内の会場=ホールの周りを列柱風で囲み、縁日のようにしています。建物の中央には、バレエの練習室とコンサートホールを実践しました。このように、これらを集約させながら、楽しみを表現しなければならないと思いました。このような見栄えのする舞台の囲い方は、正面にあるそびえる宮殿の効果と相まって、私には肯定的に思えました。
 私は劇場を、コリント式の秩序に囲まれたドームの形にしました。最も美しい形を与え、最もエレガントな秩序に影響を与えることで、それにふさわしい性格に十分であると思っていました。
 4つの主要な玄関は、外側の4つの大きな台座を形作っています。これは、趣味の宮殿にいる女神に付き添うために称えられた物事を、支えるために誂えられました。この台座は、建物全体を覆う広大な外階段を区切るためのものです。
 天気の良い日には、この階段の効果が、フランス女性のように、ことさら優雅な装をし、優雅に着飾った女性たちで埋め尽くされている様子を想像できます。
 私は部屋の内装を半円形にしましたが、これは間違いなく最も美しい形です。建築の世界では、美しい形式の公理とは、素晴らしい美術の原理的な基本形なのです。しかもこの形は、劇場という目的に適した唯一の形です。完全に等しい光線が耳と目に最大かつ均等な自由さを与え、どの点も他の点を妨げず、従って同じように見て、聞くということから座った観客を妨げず、この2つの目的を果たす形があるでしょうか。つまり完全に見て聞くということができるでしょうか。さらに、この形状は、舞台を球状の丸天井で覆うことができます。このアーチは、簡素で良い趣味の装飾であるばかりでなく、音の反響に最も適しているという利点もあります。
 私はまた舞台の室内を飾りましたが、柱を取り入れることで建築の豊かさを飾ることを恐れてはいません。私が与えた寸法と、他の配置によって、それが便利で好ましいものであり、十分であることを確信していたので、他にできる場所を考慮に入れながら芸術を堕落させたくはありませんでした。必要な分だけ行い、どれも満たしています。この二つの与えられた楽しみから、私は恐らくはできたのです。この活用方法のために、私の会場=ホールの効果をもたらす、素晴らしく、また類似する調和をもたらすことを考えなければなりませんでした。喜びの宮殿とは、感情を駆り立てるものでなければならないと考えました。
 最終的には、最も楽しいタブローを提供したいという嫉妬心から、観客席を配置しながら、会場=ホールを飾り、観客をその主な装飾品とすることで、それは実現できると考えました。私の建築物において浮き彫りの代わりとなるように構成された、美しい性別の出会いと集いによって、実際に、自分のタブローに上品さの刻印と特徴を与えたと確信しています。


・原本はArchitecture. Essai sur l’art、ピエール・ベレとアンドレ・シャステル編(1968年)、エルマン社による。「劇場」の章(97-107頁)の抜粋である。この論考は、火事で消失したパレ・ロワイヤルのオペラ座のための図案(1781年)の説明であると考えられている。原資料は、仏国立図書館(BnF)「Ha 55, pl. 4 and 6-14」及び「Ha 57, pl. 4」。

出典

エチエンヌ=ルイ・ブレ「劇場」、『建築/芸術論』より
(Étienne-Louis Boullée, Architecture. Essai sur l’art, Texte réunis et présentés par Jean-Marie Pérouse De Montclos, pp. 97-107, HERMANN, 1968.)
翻訳:横田宇雄(2021/8/14)

訳者より

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・特に注釈は付していない。

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以上。