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Airbnbのこと④(”民泊”を巡る人情と法律)

これまで、記事「Airbnbのこと」を読んでくださった方、ありがとうございます。そして、この連載までたどり着いてくださった方、本当にありがとうございます。

①~③では、一般的なAirbnbの利用方法の注意点を書いてきましたが、この記事では、本当に書きたかったこと、思っていることを書きます。

なので、いつもの私のことですが、長い記事になります。ご容赦ください。

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おばあちゃんのこと

思えば、私のおばあちゃんは、息子(つまり私の父)を大学に入れるために東京の自宅の一軒屋の半分を改装し、アパートにしました。戦後から10年くらい立った頃のことでしょうかね。木造アパートで、一部屋6畳ですが、その当時はおばあちゃんいわく、一人暮らしには広い部屋で、家族が住んでいたこともあったというそうです。……つまり、当時のおばあちゃんのアパートは、それなりに人気もあり、値段も高い、新しい世帯向けのアパートだったんですね。

時代が下り、高度経済成長期を向かえ、おばあちゃんの息子は日本が戦後最も豊かだった時代を過ごし、家族が暮らせるためのマンションの一室を購入しました。昔、人気で値段の高かったおばあちゃんの木造アパートは、今やお年寄りしか住まない、風呂なしトイレ共同の安アパートになってしまいました。年金をもらっていない、おばあちゃんは、その少ない家賃収入で一人で暮らしています。息子たち、孫たちのキレイなマンションには住まずに。

貧困時代の私たち

そして、その息子である私は、格差社会・貧困時代の日本の中でサバイブすることになりました。

私は、仕事の都合で東京の実家ではなく、日本のとある一地方都市に一人暮らしをしています。仕事はとてもハードで、年収も低いです。毎月260時間以上働いて、月の休みは4日もありません。労働衛生基準法的には、過労死をする基準を優に超えています。収入は、手取りで言うと17万円程度。小さい会社なので、有給もないし、福利厚生もありません。

ここで働き始めたときは、こんなに悪条件の仕事なんか存在するのか、と思っていました(というのは、私は中産階級の息子ですから)。しかし、あたりを見渡せば、そんな条件の仕事ばかり。もっと悪い条件の仕事すらあります。

もちろん、もっと条件の良い仕事だってあるのでしょうが、私と同じような、もしくは私以上にハードで、そして賃金の低い仕事をしている人は、日本に数多いるわけです。……なんというか、これはもう一企業の問題ではなくて、日本経済の構造的な問題です。

少しでも収入を

手取り17万円で、一体何ができるでしょうか。貯金はできないし、彼女とデートもできない。もちろん家族だって持てない。一人が今を暮らすためにギリギリの金額です。休業したり、入院すれば、すぐさま借金でもしなければならない状態です。つまり、その日暮らしの生活を余儀なくされているわけです。

年収200万円時代というのは、そういう条件で生きている人たちの時代なわけですね。

だから、減らせるお金は少しでも減らし、稼げるお金は少しでも稼ごうとするのは当然の考えです。いつも、12時間以上仕事場にいて、家には寝に帰るだけ、休みも週に一回もないような忙しい仕事をしています。だから自分の部屋を貸すことに何の抵抗もなかったし、むしろ社会にとって良いことなんじゃないかとすら思っていました。

Airbnbで月2万円でも稼げれば、貯金ができるかもしれないし、恋人と旅行にいけるかもしれない。車だって、軽じゃなくて普通車に乗れるようになるかもしれない。そういうお金なわけです。

……でも、もちろん家族を持てるほどの金額ではないし、息子を大学に進学させることができる金額でもありません。つまり、おばあちゃんがかつてやったような、自宅一軒屋を半分アパートにする、というほどのことではないのです。働けば家が買える、家族を養える、という男の背中を見てきた個人としては、「こんなに働いても、家族が持てないのか」と絶望的な気持ちになってしまうわけです。

封建制の21世紀

「神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。」(新約聖書「ローマの信徒への手紙」9章24節)

人を”受け入れる”ためには、身分や階級によらず、信じているものや気持ちのような目に見えないものを頼りにしなければならない。その中でも「土地」は、身分や階級を決定し、人々を分断する上で大きな力を有史以来持ち続けた。

約2000年の間、「資本所得」は「労働所得」を常に凌駕し、”働かない人”が豊かな生活を送り、”働く人”が貧しい生活を送るような固定した階級を形作った。

その階級が壊れたのは、20世紀の後半で、それは信仰によるものではなく、技術革命によるものだった。アメリカを筆頭に、ヨーロッパ、日本そして中国・ブラジルへと広がった(広がっている)「高度経済成長」が、唯一有史以来の二つの関係を逆転させたものだった。それ以外には、いわゆる”成り上がり”という、法律的なグレーゾーンをかいくぐってきたごく少数の人たちだけである。

トマ・ピケティは『21世紀の資本』の中で、21世紀に入ると「資本所得」の利益が「労働所得」を超えると分析している。つまり、また封建制のような時代が戻ってくると予言している。

今、私たちが置かれているのは、まさにグローバリゼーションから封建制へと至る、21世紀の封建制の鳥羽口である。

不動産屋の既得権益とマルチチュードの争い

今回なぜ、私が「Airbnb潰し」に遭ったのかを整理しよう。

①いわゆる”民泊”に抵触しているという通報があった。

②保健所が不動産屋へ確認の連絡をした。

③不動産屋が契約違反である旨を私に告げた。

「Airbnb」が”違法”であると言うことは簡単だ。なぜなら、現行の法律に違反しているからだ。しかし、このサービスが倫理的に悪かと言うと、そうではない。格安航空券が出現し、お金に余裕がある人でなくても海外旅行ができるようになった現代、ホテル代を節約して世界を見たいと思う海外旅行客は急増している。いわゆる観光業は、グローバル化の一つの象徴である。

海外生活をしたり、バックパッカーをしていた私としては、交通費と宿泊費を減らせば、どこまでも遠くへ行けるということを身を持って知っている。簡単な英語と体力さえあれば、世界のどこへ行っても生きて行ける。

そんな私だからこそ、ゲストとして私の部屋に宿泊した観光客の気持ちが分かる。泊まる場所がホテルしかない、一地方都市を観光しようと思ったら、どうしたってAirbnbのようなサービスがないか調べてしまう。

そして、部屋を貸す私としても、いつも自宅を空にして、低賃金で働いているのだから、少しでも資産を運用したいと思う。

だから、ゲストとホストの間には、完全に利害が一致しているのだ。

ではなぜ、この両者の間に第三者である保健所が介入してくるのか。衛生上の問題であれば、私は文句を言わない。しかし、それは口実に過ぎないのではないか。やはり問題は、「地主」の既得権益を守るためのシステムなのではないかと思うのだ。

「旅館業」への違法性は、旅館を生業としている領分を犯したことによるだろう。「転貸」への違法性は、不動産を生業としている領分を侵したことによるだろう。

しかし一方で、「賃貸アパートに住む人の権利」や「旅行客の権利」は何によって保護されているだろうか? 私たちは、アパートを”借りて”いるけれど、借りている施設を破壊するわけではないのに、どうしてこのアパートを自由に使ってはならないのだろうか。また、旅行客は、こんなにも誰も住んでいない部屋がたくさんあるのに、どうしてこんなに値段の張るホテルに泊まらなければならないのだろうか?

現行の法律だけを問題にしている限りでは、地主の権利を守る条項ばかりが目につくが、世界を回る海外旅行者・生活者たちの権利を守る倫理・道徳というものを考えることができない。

だから、現行の法律が”民泊”を禁止しているという理由だけで、Airbnbを規制することは、倫理的・道徳的な面を考えていないのではないかと思う。

photo by Arai Kosuke

格差社会を生き抜くために

長時間労働・低賃金に苦しむ低所得若年労働者は、社会的に弱い立場にある。Airbnbの一例はその具体例だ。保健所から通報があり、サービスを取りやめなければならないのは、資本による所得を増やそうとする私の活動を保護する法律がないからだ。少し過剰な言い方だけれども、賃貸アパートに住む人には、資本所得を持つ方法が根絶やしにされていると言っても良いだろう。だから私たちは、働くことを余儀なくされている。時給1,000円もいかないような対価で。

根本的に、この”対価”は見合っていない。だってこれは、労働の対価ではなく、限界収益でしかないからだ。そして、その境界線を決めているのは、私たちではなく、資本所得によって自分たちの権利を保護してきた人たちと歴史の集積だ。

別にAirbnbを許可せよとか、民泊を許可せよと言いたいわけではない。

もしも私のしたことを”違法”だと言う人がいるとすれば、私は悪意を持って法律を犯したことを認めるし、この悪意が私個人のものではなく、あなたたちが生み出した鏡に移ったあなたたちのイメージが犯したものなのだと、私は主張したい。