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映像制作とFPVドローン

この4年ほど、FPVドローンを活用した映像制作に携わってきました。広告を中心とした映像制作の現場はとても新鮮な業界で、僕がFPVドローンで撮影をする上でたくさんの気づきを与えてくれたと同時に、もっとFPVドローンを因数分解して特性を理解する必要があるなと思い直しました。FPVドローンの特性の話の前に、より背景を理解するために映像制作に感じるちょっとした違和感について言及しておきます。

「演出」におけるある種の不自然さ

そもそも広告映像は目的があり人の主観をもとに作られています。商品やサービスがあって、それらの魅力を訴求して購買活動に繋げたり、ブランディングイメージを醸成するなどさまざまな意図があります。そして、その意図を汲むために、化粧品には透明感のある芸能人の起用したり、若者向け飲料水には青春を彷彿させる演出を織り込んだり、最近ではグリーンバックのスタジオで撮影したものがCGを駆使してど派手な背景に変わり世界観を表現したり、と様々な人の手で日々映像作品が生まれています。

そして、広告映像制作においては演出や環境の作り込みはほぼマストです。例えば車のCMを撮るとき、「気持ちいい見晴らしのいい風景のなか、爽快感のある走りで車がカットインする画を撮りたい」とします。多くの撮影では、その道路におじいちゃんが散歩していたり、ゴミが散らかっていたり、立ち入り制限のために赤いコーンが置いてあるのが普通ですよね。しかし、いざ撮影するとなると、絵作りのためにおじいちゃんが通り過ぎるのを待ち、赤いコーンは取り除き、撮影が終わればもとに原状復帰を施します。自然の景観や町並みを写す観光映像でも同様です。余計なノイズを取りたい、作品に没頭させたい、生っぽさを消したい、と表現を行うものが考えるのは当然だと思います。最近ではポスト処理で不要なものを消すこともできるけど意図は同様です。

しかし、この「表現」というのは、見方を変えると「嘘」になってしまうことがあります。嘘と認識されてしまうと、本来伝えたいはずの内容とリアルの世界にズレが生じます。そしてそのズレは表現という枠を通り越して観察者にとって嘘の事実になってしまうのです。

身近な例で言えば、有名な賃貸ポータルサイトでは、広角レンズを使い部屋を必要以上に広く見せることが多いです。実際に内見をしてみると「思っていた部屋と全然違うじゃん…」という経験がある人いますよね。レストラン口コミサイトでは、照明をしっかり使ってシズル感たっぷりで、画角を調整してボリューミーに見せる撮影もあります。しかし実際に食べにいくと「出てきたコース料理があまりにもしょぼすぎる…」というリアルとの差が発生してしまうこともあります。集客やエンゲージメントを高めるためにプロモーションをしたはずが逆効果を生んでしまう例は少なくないのです。

どんな映像でも嘘をつくのか?

最近読んだ本で面白いものがありまして、映像監督の森達也さんの著書『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』です。ドキュメンタリー映画は一見すると「事実」を伝えているように見えますが、嘘をつくのだと。一部抜粋すると、

ドキュメンタリーだけではない。映像はすべて作為の産物だ。ストレートニュースで紹介される十秒間の悲惨な交通事故の現場でも、道路脇に供えられた花から撮るか、傍らを疾走するトラックから撮るかで、映像の印象はまったく変わる。これを決めるのは撮る側の主観なのだ。

森達也『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』

では、何でもかんでも中立的に事実をいつでも俯瞰して見るべきかというと、それにも違和感があります。同著からも引用すると、

絶対的な中立地点を確定することなど神でないかぎり不可能だが、少なくともジャーナリズムという分野において、自らが知覚しうる限りの公正さを担保として呈示する姿勢を、欺瞞として切り捨てるつもりは僕にはない。到達は無理でも目指すべきとは思っている。  
ただし、ドキュメンタリーにも同様の公正さや中立さを求めるのなら、それは実に浅薄な勘違いだ。なぜならドキュメンタリーというジャンルは、徹頭徹尾、表現行為そのものなのだ。公正なピカソの絵や中立なベートーヴェンの交響曲を想像してほしい。誰がそんな作品に触れたいと思うだろう。

森達也『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』


これを見ると確かに映像と芸術作品はアプローチ方法が近いなと思います。観察者の解釈によっていかようにも受け取りは変わるし、それを表現者はいかようにもコントロールできる立ち位置にいるわけです。十人十色に観察者が違う意見を持つわけでもなく、感想を意図した方向性に仕向けることはできるのです。 

少し視点を変えて、ここで僕が思うのは、撮影者の主観が宿りやすいカメラでの撮影手法にこそ、嘘をついてしまう構造的な要因の一つがあるのではないかと考えているのです。

表現はとても難しいもの

広告の映像制作現場に話を戻すと、一つの映像を公開するまでにクライアントや代理店、制作プロデューサー、監督、カメラマンなどなど、たくさんの関係者の主観や思惑が密接に絡み合っています。

今回はこの芸能人を起用したい、この商品ロゴをもっと目立たせたい、この撮影機材を使いたい、など表面的な思惑もあります。撮影が良い流れで終盤に差し掛かったときに、クライアントの一声で撮り直しになりそうになることも珍しくないです。いつのまにか当初考えていた当初の目的や表現とは違う路線に進んでしまうことも往々にしてあるため、そこを何とか頑張って制作チームで盛り返したりしています。

一方、広告からは少し離れて、TikTokやInstagramを開けば、ショート動画が溢れています。「バズった」と話題になり、大衆に受け入れられやすいフォーマットが流行し、今度はバズることを目的に動画が量産されている現状です。「バズるためには…」という言葉が先頭に来て後付けで意義を付加することもあるわけです。映像の新しい形だなぁと思います。

観る側がそれを望んでいるのかは別として、この現代の映像テクニックの多くはぱっと見の「出来のいい作品」を作るのがとてもやりやすくなっているのだと思います。例えば撮影画角を決めて、映像素材をうまくモンタージュすれば、いくらでも「美しい映像」も「扇動する映像」も作れてしまうのです。本来の意図とは全然違うものになるかもしれないけれども。

動物本能的に動くFPVドローン撮影

ようやく本題に入ります。
僕は広告現場で撮影をする中で、最終的にFPVドローン映像が使われないという事態に何度か出会っています。現場では大絶賛だったものの、最終的には「画質が不足している」とか「今回の映像には合わない」などが表面的な理由でした。本当はディレクターの方々ともっと議論がしたいところですができずじまいです。だからこそ何がこの本質的な原因なのか?を考えていたときに出てきた答えの一つが、FPVドローン撮影は「人間の主観がふんだんに混ざり合う映像撮影手法とは反対の根本的特質を持っている」というのが大きいのではないかと思っています。

具体的にこれを紐解くために、FPVドローン撮影の3つの特性を説明します。

FPVドローンの特性①広角レンズ

まず、特性のひとつとして「広角レンズでの撮影」が挙げられます。
僕が使っているFPVドローンは超広角レンズ以外載せずらい、という機能的な事情があります。FPVドローンは元々広角レンズのGoProを載せることからスタートしているのもよく使われる理由の一つです。広角レンズは80mmや100mmのような狭い画角に比べてブレが目立ちにくく、景観を撮る際に好まれます。より被写体を強調したい場合には向かないことが多いです。「広い範囲を丸ごと写」してしまうゆえ、画角を調整しないと難しいレンズですが、反対に言えば、「都合の良い部分だけ写す」ことが難しくなるため嘘をつきずらいリアルな映像になりやすい特徴があります。

FPVドローンの特性②動物性

特性の2つ目は、「動物性」です。FPVドローンはピタッとホバリングができません。ずっと動いてなくてはいけません。カメラを三脚に載せて撮るときとは違い、一瞬でも操作をやめたら、そのまま落ちてしまいます。そのため前方向にずっと動き続けています。これは人間も含めた動物の移動の動きとほとんど一緒です。つまりFPVドローンで静止画を撮らないのではなく、そもそも撮れないのです。人間も見ている視点がフリーズすることはなく、常に微細なゆらぎを知覚しています。言葉にすれば当たり前なのですが、この動き続けている動作が前提となる撮影は他の撮影機材にはない大きな特徴です。

撮影する側が常に動いているため、被写体の演出自由度も大幅に減ります。つまり、機能的性質として演出をさせづらい状況にあり、瞬間の世界をありのまま捉えることに長けているといえます。鷹や伝書鳩にGoProをくくりつけて空を飛んでいる映像がありますご、この映像自体、演出のしづらさが顕著にわかります。実際の撮影では、FPVドローンパイロットが意図を汲んだ飛行ができるとはいえ、地上カメラや空撮用ドローンに比べ「非常に動物性が高い」状態だと僕は表現しています。

FPVドローンの特性③連続性

そして特性の3つ目が、「連続性」です。通常の広告映像作品も流れるように連続的に見えますが、基本的にはカットしたり編集したり、つなぎ方を工夫することで人工的な連続性のある映像にしています。全編ワンカット撮影でできた『1917 命をかけた伝令』のようにそもそもカットが入り込まないことで、没入感を生んでいます。
FPVドローンはワンカット撮影と非常に相性が良いので多くの映像で使われていますが、基本的には一度飛んだら撮りっぱなしです。そして、たった1秒の使い所でも10メートル以上も3D移動できるため、カット編集せずとも大きく画角を変えて表現することで、自然に連続性を担保し、没入感を生むことができるのです。

以上3つの特性をまとめると、
FPVドローン撮影は、「広角」で「動物性の高い動き」をしながら「連続的に3D移動する」ことができると言えます。FPVドローンはよく「鳥の視点に近い」と言われるのもこれらの特性があるがゆえです。

※ちなみに鳥は目が前方についているので、人間と同じように広角でかつ立体的に対象を捉えられます。(しかも鳥類4原色「赤・緑・青・透明(紫外線)」を見分けることができる!)シマウマは、顔の横に目があるため、360度方向は見渡せるものの距離感をつかみにくい特性があります。

何が言いたいかというと

僕はこの3つの特性である「広角」「動物性」「連続性」こそが、そもそもの機能的特性として主観や演出といった人間の意図を介在させずらい撮影手法にしているのではないか、と考えています。

つまり、意図的にストーリーを作ったり、余計なものを除去したりといったことがしづらいという特性が前提にあるということです。そしてこれが、既存の撮影手法と組み合わせようとしたときに、障害となってしまう要因と捉えています。ふわっとしたドラマチックな絵から、急に現実感の強い絵に引き戻されたり、人間に染み付いているスピード感と大きく異なる緩急に違和感を覚えたりしてしまうことが考えられます。

もちろん、撮影者としてのFPVパイロットがそれらの映像作品の意図を汲み取り、演出に寄りそうことで既存の映像制作に貢献できる可能性もありますし、それ自体は否定しませんが、そもそもの機能的特性が違うという点は考慮に値すると考えています。

映像ディレクターはどう思うのだろう

これまで僕も何十回と広告撮影を行ってきたんですが、様々な撮影技師がいるなかでどうして僕が(FPVパイロットとしての)選ばれてきたかというと、ひとつは「話題性」だと思っています。特に2017〜19年頃は、FPVドローンが移す映像は斬新そのものでした。「こんな映像が撮れるの?」「どうやって撮ったの?」と、たびたび言われ各種映像で使われました。

一般の人からすると、初めて見る驚きの映像であるがゆえに、表現する言語を持っておらず、だからこそ「話題性がある」「すごい」「なにこれどうやって撮っているの?」と抽象的な感想や撮影手法に対する感想でまとめられてしまうことが多かったと考えています。

しかし、近年では映像業界の人たちもFPV映像には見慣れてきているので、それだけでは少し物足りなくなってきているわけです。特に2021年以降は、「話題性がある」とか「新しい」だけではFPV撮影を入れるには足りない現場も増えてきました。(まだまだ話題性はあるしそれを売り文句にしてます僕も。)だから、カメラワークや表現方法、高画質の話に発展してきています。

最近ではFPVで撮った映像を、尺の中の「合間のカット」としてメリハリをつけたりするために使ったりします。しかし、そうすると上述したように全体で観たときに違和感が生じる場合が出てきます。

映像に対する違和感が言葉として表現されるときに代表されるのが「画質が悪い」です。本当は画質だけの問題じゃなくて、FPVの特性から生まれた表現の違いが根底にあるものの、見てわかりやすい画質の悪さが目立つことが多いのだと考えています。

数ある撮影手法のひとつ、としてFPVを捉えるよりも、動物的な視点の移動を活用できる方法としてFPVがあり、そこにカメラを載せ、理性のない動物と違って、意図を汲み取れるパイロットが操縦して撮影するのがFPVドローン撮影です。

撮影手法として考えると、どうしても既存の撮影機材と比較して、画質やレンズ交換性、カメラワークなどを考えがちになります。しかし、ここで一歩踏み込んで、使い手の身体的機能を拡張できるツールと考えると活用方法が変わってくると思いませんか?このように解釈すると、人間の視点で考えつくシナリオやコンテを取っ払って、従来の映像における常識やセオリーを捨てた先に、新しい表現方法が出てくるのではないか、と可能性を感じるのです。

そんな未知なる可能性があるということを少しでも感じてもらうためにツラツラと長文を書きなぐった次第です。

これについては同じFPVパイロットすら議論になったことがないので、ぜひ同業者や映像クリエイターの方達ともディスカッションしたいなと思います。ぜひコメントやメッセージもらえると嬉しいです。

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