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護られている感覚

暗い暗い螺旋階段を下っていく。
階段というより坂だ。だんだん急になってきた。

明るい場所に出た。
どうやら火葬場のようだけど何か違う。

「着付けがあるので~」

え、これから着付けするの? 他所のひともいるみたいだ。

迷惑な家族だな、と思ったら自分の家族だった。笑

そもそも火葬場で着付けとか意味が分からない。


とすると、炉から出てきたのは、3か月前に看取ったはずの東京のおばあちゃんだった。

銀色だ。

なんというか、この表現が良いかどうかはわからないけれど、まるでサンマが最高にうまく焼きあがった時のような色艶でありつつ、金属を溶かしたときのような無機質の鉛色のような感じでもあった。

しかも、火葬が終わった状態のはずなのに、おばあちゃんと話せる。
なんとも不思議な夢だった。


おばあちゃんは、着物を着ていた。
旅立ったときに棺桶にいれた、嫁入り道具の黒留袖。
私の結婚式の時に、母が着ていた鳳凰柄の、おばあちゃんの着物。


90歳で亡くなったときは、やせ細っていたのに、夢の中では50~60歳くらいに見えた。顔はパンパンで、染めていない真っ黒な髪は綺麗にパーマをかけていた。着物をピタッと纏って、背筋良く肩の丸みから帯にかけて美しいふっくらラインを作っていた。

「コントラバス体系なのよっ」生前よく言っていた。
バイオリンじゃなくてコントラバスね、と孫たちはツッコミをいれるのが常だった。



「死んだら魂はどこにいくの?」

私は聞いた。
はっきり意識して、この人は亡くなった人だとわかっていながら聞いた。
看取りの瞬間、確かにあのとき魂がそこに在ったと感じたからだ。


私の左側にいて、冗談ぽく、真面目に、優しく、ちょっとめんどくさそうに、笑った。

「だーいじょうぶ。あなたが想えばそこにいるわよ~」


文字にすると伝わらないが、オカマ言葉のイントネーションで脳内再生するといい。ちょっと、人を試すような、信じるかどうかはあなた次第です、的な、やっぱ嘘かもよ? と匂わせるような、そんな言い方だった。


でも、ちゃんといるんだなって思えた。
いろんなことが、根拠なくうまくいっているのは
当たり前に、毎日暮らせているのは、おばあちゃんのおかげなんだなって思った。

他にもいろんなひとが見守ってくれている、そんな温かさに包まれた。


そして看取ったときと同じ角度で、私はおばあちゃんの頭側にいて、息を引き取る瞬間にどんどん若く20代のおばあちゃんが、はにかんでいる絵になった。迎えに来たのはおじいちゃんだったのかなぁ。おばあちゃんのお母さんだったのかなぁ、そんなことを思ったか思わないかで私は現実に戻ってきた。


目が覚めてから涙が出てきたのか、
泣きながら目が覚めたのかはわからない。

悲しくはなかった。

深い、深い、愛情と感謝の涙だった。

時計の音が聞こえる。
チクタク、チクタク、ボーン。
深夜1時だ。

東京のおばあちゃんちにあったネジ巻き式時計。
夜間オフ機能なんてないから、夜中も休まず時を刻む。
ネジを巻かないと止まってしまうけど、電池は不要の優れもの。


************

15年近く認知症だった祖母は、2023年1月7日から食べ物を絶った。2月15日、ついに水も摂れなくなった。点滴はしないと母と母の姉は決めたようだった。通常、そこから3~4日と言われているらしい。

2月18日、もう危ないと言われて、ひとり飛行機に乗って東京へ向かった。近々葬式で呼ばれるくらいなら、生きているうちに会っておきたい、そう思った。

月島の施設にいたおばあちゃんは、もう何を言っても声は出せない、わからない状態だった。苦しそうな顔だったり安らかな顔だったり、毎回違って忙しい。

看取りの家族は1回1時間施設に入ることができた。毎日通って、1時間お部屋で一緒に過ごし、一度外に出て、月島もんじゃを食べてからまた再訪するというルーティンになっていた。


母と妹と私。子どもを置いて母娘3人で過ごせる時間は、今思えばおばあちゃんからの最期のプレゼントだったと思う。毎回、今日が最期かと思って覚悟したときに限って明日は普通にやってくる。

2月20日、我々の一番予想だった。だけど、こちらが覚悟を決めても、あっさり通過された。シテヤッタリという顔で寝ているおばあちゃんには、あっぱれだった。

2月21日。その日は父方の祖父の命日だった。意地でも越してやる、そんな気概を感じた。今日じゃないな、みんなそう思った。

「おばあちゃん、いつがいいの? 明日は、私の結婚記念日なんだけど~まぁ、被せてもいいけどさぁ。」
子どもを秋田において、仕事も休んで、でも帰るに帰れなくて、ちょっとぼやいてみる。

母曰く、そんな私のぼやきに目を見開いたらしい。その目は、認知症になるまえのハッキリしたものだった。

私たちは、しんみりを通り越して、その生き様に感謝して穏やかに最期を待っていた。


まるでお産はいつかと待つ、臨月のソワソワ感のようだった。


そして、唐突に呼び出された。
そこからは早かった。
あっという間に心拍、呼吸が上がったり下がったり、呼びかけると数値は上がり、何もしないとそのままゼロになる。

とりあえず、みんな揃うまでは…ここまで来たならもうちょっと待ってよ…! 大声で呼びかけて、10分、20分経っただろうか。

きっと身体を出たり入ったりしたんだろう。
たしかに、あの瞬間、中にいたはずのなにかが数分後に存在しなかった。

そう、確かに魂の存在を感じたんだ。




ありがとうをたくさん言う機会をくれて
コロナ禍を耐え忍びタイミングよく
残った家族の関係性を過去最高に高めて

見事な生き方だった。

自分で選んで旅立ったな、と。

あの顔が、夢の若々しくはにかんだ顔と重なった。



************

東京の家の時計の音が聞こえるからさ、あんまり遠くに感じない。チクタク、チクタク。ボーン、ボーン。

夢に出てきたおばあちゃんの言葉で確信した。



やっぱりいるんだねぇ。
ひとりじゃない。

大きな大きな護られている感覚は、自分の意思で作り出せるものなのかもしれない。


きっといろいろうまくいってる。



ありがとう、おばあちゃん。

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