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もやしのために鶏モモをつかった日

10円だったもやしが、数日経ってしまって冷蔵庫で最優先事項だった。

もやしだけじゃ、子ども達は食べない。

やっぱり肉と合わせるか。

唐揚げにしようと思っていた塩麹漬けの鶏モモ肉を一枚、粉をつけて焼く。唐揚げにしたかった気持ちが捨てきれずに、油は多めに。

もやしをあんかけにして乗せてみた。

うん、悪くない。

でも、作りながらずっと考えていた。
私って、こう言うの多いな。

優先順位が、賞味期限だったり、誰かのスケジュールだったりする。

自分が何を食べたいか、何をしたいか、よりも、今一番「すべき」なことは何か、を考えてしまう。





Mちゃんが、帰国したらしい。
よく一緒に行ったお店で会おうよ、そんな話になったのはつい最近のことだ。

約束の日は、彼女の予定に合わせてのことだ。でも、直前になってその数日前にも彼女が近くに行く予定があることを知る。その日に行けば効率良かったんじゃないか? と、心配になって来た。

別に、私と一緒に行かなくても、その店には行けるよね? わざわざ忙しい彼女が時間作って私と会うメリットってあるのかなぁ…。


そんなことを考えてしまう。
私と会うより優先順位が高い人がいるんじゃないか、と。




周りの優先順位に、自分の気持ちがピッタリハマる瞬間が、とても清々しい気分になる。

たまたまその日にお店の近くで用事があるのよ、そういうタイミングが重なる時に、私の行くべき度合いが高まる。
点と点が線になるときに、初めてルーペを重ねてよく見てみようって、調べてみようって、なるわけ。


え、ちょっとよくわからない…って人の方が多いかもしれない。


なんていうか、大事にしているものが、そういうタイミングがうまく合うときの空気。ご縁だったり、一期一会だったり、引き寄せだったりする。今この瞬間、この場でうまく予定が合うこと。

そういうのが好きだ。


そのために、自分は常にフリーでいたい、そんな気がする。無理にいろいろ詰め込むより、余白が偶然を生む気がする。


そういうわけで、私の冷蔵庫には鶏モモともやししかなかったわけだ。


唐揚げにするはずだった鶏モモを、もやしを優先させるために使ってしまった私は、やっぱり優先順位が自分の外にある。他人本意か、いや、もやし本意か。


唐揚げ作りたいなら、唐揚げにしなよ。
自分の声を聞くってそういうことなんじゃないか。
他人本意じゃなくてさ、自分がほんとに何したいか、考えてみなよ。

ちょっと自分のことをまたチクチク責め始めて、ふと気づく。


「私、もやしのことを大事にしてエライじゃん」

唐揚げを作ると決めたら、唐揚げを作るまで夢中になれる人もいれば、冷蔵庫の中身を見渡して、忘れられた子はいないかな? 先に食べてほしい子はいないかな? そういう想像力を巡らせる人もいていい。


正解はひとつじゃない。



他人本意といえば、聞こえは悪いけど、それだけ周りのこと考えてるってことよ。



でもね、自分に言いたい。

もやしにだって価値があると思える私は、
私自身につながる価値があるって信じて良い。


Mちゃんとは、予定通りご飯に行こう。

だって、私が行きたいから!

そんなときがあっていいはずだ。

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