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黒面の探索者 BlackDiver 第二話

CASE 01 人類特使誘拐未遂事件(2)

「そ、の、姿は」

 町中、とあるビルの屋上。一人の青年が呟いた。

「黒面の探索者《ブラック・ダイバー》……!?」

 青年の名はカドシュ。彼は黒い鎧套《メイルコート》の男――仮称エルガディオの、ブラック・ダイバーの立ち回り一部始終を、ここで見ていたのだ。

「いや、それよりも」

 我に返るカドシュ。いつまでもこうしていられない。魔法で強化していた視覚を戻し、持っていた封筒を開く。仮称エルガディオから先程言われたとおりに。
 果たして現れたのは、彼が指摘した通りの保護ケース。透明な蓋の中には、二つの物品が収められている。

 一つは、仮称エルガディオが見せた物と同型の情報端末《プレート》。
 もう一つは、青色をした手のひらサイズの直方体。

 例えるならバタフライナイフ。二つに開きそうな可動部が、良く似ている。
 そしてカドシュは知っている。その内側に格納されているのは、ナイフ刃よりももっと危険なものである事を。

「これ、は」

 戸惑いながらもカドシュは思い出す。そもそも、この状況に至った始まりを。

◆ ◆ ◆

「さて、ここか」

 少し前。カドシュはこの屋上へやって来た。

 今から指定する人物に会え。そのような指令と共に、指定された場所がここだったのだ。
 時刻は夜。窓、街頭、ヘッドライト。『星の向こう』からもたらされた文明の光に、輪郭を浮かび上がらせる町並み。

 それを臨む屋上には、誰も居ない――いや、端の方に一人いた。彼がそうなのだろうか。近づきながら、カドシュは名前を呼んでみた。

「失礼。君が、マット・ブラックかい?」
「はい?」

 男は、マット・ブラックは振り向いた。
 どこか、奇妙な印象を受ける男だった。

 その名の通りつや消し《マット》ブラック、というよりベンタブラックを思わせる鎧套。髪と瞳も同じ色。
 腰には細長い変わった剣を下げており、背丈はそこそこ高く、首元には黒い線が一本ぐるりと回っている。イレズミだろうか。

 夜よりも黒く暗い、モノトーンの立ち姿。
 それだけに柔和な顔立ちと、酷く赤い双眸が、どうにも不釣り合いだった。
 とにかく黒い男は、マット・ブラックは頷いた。

「そうですけど。ええと」

 マットはコメカミを小突く。小首をかしげる。

「暗森人 《ダークエルフ》の知り合いは、そう多くないんですが。貴方とは初対面、ですよね」

 今度はマットがカドシュをまじまじと見た。
 暗森人に共通する浅黒い肌。銀の長髪は後ろでまとめられており、双眸は青。顔立ちは例にもれず整っており、背丈はマットよりも高い。

 だが何より重要な事実に、マットは片眉を上げる。
 鎧套。色こそ青色であるが、造りがマットのそれとほぼ同じである。
 ということは、つまり。

「暗《ダーク》、森人《エルフ》?」

 だがマットが指摘するより先に、今度はカドシュが首を傾げた。

「? 何か、おかしいですか?」
「いや別に? ただ、珍しいと思ってよ。今日日俺の種族をきちんと暗森人って呼ぶヤツなんざ、同類の中でも減ってきてるってのに」
「……ああ」

 そうだった。
 あちらとこちら。檻の中と外。それから遥か遠い『星の向こう』

 世界がそのようになってから、もう二百年近く。暗森人の対となる森人《エルフ》があちらにしか居ない現代では、そうした区分を行う事自体が廃れて来ている。
 故に、今。正面にいる青年は暗森人ではなく、森人なのだ。少なくとも、この檻《せかい》の中では。

「ま、俺はイイと思うけどな。時代の流れがどうなっても、正式な呼び方をした方が、なんていうか気分がいい」
「おや、そうですか」
「そうだよ。かのブラック・ダイバーもそう言われてたからなあ」
「えっ。そうでしたっけ」

 マットは再びコメカミを小突く。記憶をたぐる。思い出せない。
 ので、マットはさり気なく話題を変える事にした。

「ところで、ええと。お名前は?」
「ああ、悪い悪い。まだ名乗ってなかったな。俺はカドシュ・ソ……いや、ただのカドシュだ」
「そうですか。ではお聞きしますがカドシュさん。貴方はそもそも、何故ここへ来たのです?」
「え? それは」

 言い淀むカドシュ。気持ちは解る。初対面の相手にCSDFの話をどこまでしたものか、測りかねているのだろう。
 だが、状況はいつどう動くか分からない。
 故に、マットは手早く切り込む事にした。

「当ててみましょうか。霧幻迷宮探索者《ゾーン・ダイバー》による新設部隊に関する何か、と言った所でしょう」
「お、おお。そう、そうだよ。なんだ詳しいんだなアンタ」

 戸惑いながらも、カドシュは懐から一通の封筒を取り出す。

「ここに居る男にコレを届けろ、って言われたのさ。そうすりゃ分かるって話でよ。正直何が何だか」

 差し出された封筒を、マットはじっと見る。大きい。A4用紙が余裕で入るサイズ。厚く平たい何かが入っている事が一目で分かる。だが本ではない。保護ケースの類だ。

 その中身に、マットは概ね察しがついた。あいつの仕業だろう。封筒の口の近く、よく知るエンブレムが答えのようなものだ。下地が整ったのは知っていたが、それで選出された一人目をいきなり現場へ送り込んで来るか。大した説明もせずに。

「なるほど。確かに分かりました」
「そうなのか」

 カドシュは封筒を軽く揺らす。首をかしげる。

「で?」
「で、と、言われますと?」
「いや、行けってだけでロクな説明もされてないからさ。さっきも言ったけど。てか受け取ってくれないのかよ。怪しいのは分かるけど」
「ふむ。そうしても良いのでしょうけども。二つほど理由がありまして」
「へえ? どんな?」
「一つは、単純に僕が今仕事中だからです」
「あれ、そうなの? そりゃ悪い事したなあ」
「構いませんよ。今はまだそれほど忙しくないですし」
「そうか? なら良かった、のかね」

 封筒をひらひらさせながら、マットは更に聞いた。

「ついでに聞くけどさ。そもそも君は、一体ここで何してんだ?」
「勿論、車を待ってるんです」
「クルマ?」
「そう、車。正確に言うなら『自動車』というヤツですね。『星の向こう』からもたらされた技術の産物です」
「ああ、まあ、それは分かるんだけど」

 カドシュはマットの横に立つ。フェンスなどはない。縁が少し高くなっているだけだ。地上は簡単に見下ろせる。
 ビルの合間を縫い、網目のように走る道路。思い思いに歩いていく通行人達。立派な角の竜人《ドラゴン》。ヒゲが特徴的な山人《ドワーフ》。様々な耳や尻尾の獣人《ビースト》。魔人《イーヴィル》、は流石に居ないか。

 更には行き交う車、車、車。
 乗用車。トレーラー。バス。ワークローダー。色も車種もとりどりであるが、概ね共通する点が一つある。

「どのクルマも、飛べるようには見えないけど」
「もうじき分かりますよ。まあ分からない方が世間的には……と、来てしまいましたか。やっぱり」

 手でひさしを作り、正面の通りを見下ろすマット。カドシュもつられてそちらを見る。

「え」

 そして、絶句した。
 直下に伸びる道路の向こう。信号と交通法規を無視し、前の車を次々に抜いていくライトバンが一台居たから、というだけではない。

 そのバンの後方から。奇妙な霧が追いかけて来ていたからだ。

 それはブロックノイズに似ている。ビル、路面、車両、通行人。バンが通って来た空間、全てに存在したものの解像度が、著しく下がる。とは言え、それは数秒だ。焦点はすぐに合う。風景は鮮明になる。

 ただし、今までとは全く別の形に。

 ビル壁は、苔むした石壁へと。舗装路は、湿っぽい土の道へと。車両は、引く馬の無い荷車へと。
 そして通行人は――異形の、モンスターへと。それぞれ有様を変えてしまっていた。

 四つ足で吠え猛るドラゴン。鉱物じみた筋肉塊のドワーフ。狼、豹、猪などの頭をした毛むくじゃらのビースト。他にもぞろぞろと。
 変異の差こそあれど、誰一人として元の姿を、人間《ヒューマン》のカタチをしていない。知らず、カドシュは一歩引いていた。

「これ、は」
「そう。二百年以上前、人型定義《ヒューマナイズ》が施される以前の姿です。つまりはこれが――」

 言いつつ、マットは周囲の状況を確認。変化した領域は、あくまで正面にある道の近くのみ。派手ではあるが、区画一帯が変じるようなものではない。

「――霧幻迷宮 《ゾーン》、という事ですね。さてさて」

 よいしょ、とマットはビルの縁に登る。カドシュは慌てた。

「お、おいアンタ何するつもりだ!? つか危ねえだろ!?」
「仕事ですよ。さっきも言ったでしょう。ああそうそう、さっき言った理由の二つ目ですけど」
「いやそんな話する前にまず降りろよ!」

 泡を食うカドシュだが、マットは聞かない。振り向く素振りすらしない。

「その封筒の中身。貴方に必要なものが入ってますよ」
「何を、」

 そこで、カドシュは言葉を失った。

「恐らく。コレと同じ一式がね」

 いつの間にか、マットが取り出していた二つの物品。それを、良く知っていたからだ。

 まず大きい方。それは情報端末だ。『星の向こう』に存在するスマートフォンに似た形状だが、こちらはガラスのように透明な物質の一枚板である。
 更にその待機画面にはエンブレムが表示されてる。金色の、封筒の口に描かれているものと同じ文様が。

 これだけでも驚きだが、それ以上にカドシュを混乱させたのが、小さい方だ。
 それは、黒色の小さな箱である。複雑な文様が刻まれた、女の手のひらでも隠せてしまうサイズの直方体。されどこの世界において、指折りに有名な危険物。
 それの名を、カドシュは知っている。

「それ、は。Lキー!? なんでそれを!?」
「なんでも何も。仕事道具ですから」

 にこやかな表情で、マットはプレートを鎧套の右胸に固定。次いでLキーを構え、言い放つ。

「起動《ウェイク》」

 音声入力を認識した直方体、もといLキーのロックが外れる。マットは手首を振る。バタフライナイフのように展開。現れる銀色の鍵状部位。

 その鍵で、マットは虚空を切る。横一文字。魔力の光が軌跡を残す。

 軌跡は変形し、形を変える。組み上がる。扉のようにも見える、大きな長方形。電子回路にも似た精緻な文様。自律して駆動する、魔力による装置の一種。即ち、術式陣へと。

 その中に、マットは飛び込む。躊躇なく。
 屋上の縁なのに。

「えっ待っ」

 反射的に身を乗り出したカドシュは、その目に見た。
 マットを包み、変形する術式陣。それは一瞬で砕ける。ガラスのような音。甲高い。だがそれすら、今のカドシュには届かない。

 舞い散る魔力の光。術式陣の破片。その只中に、カドシュは見た。
 首元、立ち上る紫色の炎。その中に浮かぶ髑髏のような仮面。

 彼は、マットは見向きもしない。地上の一点、バンを見据えながら落下していく。当然の重力。はっきり見えたのは数秒程度。だがその姿を、勇姿を、カドシュは知っていた。痛いくらいに。

「そ、の、姿は」

 言葉を失いながらも、カドシュは魔法で視覚を強化。姿を追う。
 その合間にもマットは、スティアにエルガディオと呼ばれた男は、自由落下――いや、地面に向かって加速している。鎧套の腰部、光る何らかの機構が速度を生んでいる。
 そして着地。危なげなど無し。正面に暴走ライトバン。マットは動じない。動じる筈がない。

 マットは抜刀。ニホントウ、と呼ばれる片刃の剣を。
 逆手でその刃を撫でる。素早く。鍔元から切っ先へ。
 撫でられた刀身は、光を帯びる。酷く鮮烈な赤色の。

 そして、振るわれる刃。即ちイレイザー・ブレード。両断されるバン。無力化される誘拐犯達。
 そうした一部始終を目撃しながら、目撃してしまったから、カドシュは呟く事しかできなかった。

「ブラック・ダイバー……!?」

 種族不明。
 年齢不明。
 正体不明。
 されど何件もの迷宮事件を踏破して来た、顔無き探索者《ダイバー》の通称を。

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