日本酒とハワイの関わり

1868年(明治元年)、始めて148名の日本人がハワイの地に移民をしました。

ハワイ州の日系アメリカ人比率が13.6%と高いのは、その移民政策の流れから来ているのです。

現在もハワイでは多くの方に日本酒が愛飲されていますが、その理由の一つに、日系人が多く、日本文化が代々継がれていることが挙げられます。

歴史を遡ると、移民政策が始まった40年後の1908年、ハワイ州に初めての酒蔵である「ホノルル日本醸造会社」という酒蔵が誕生しました。

アメリカでは、サンフランシスコに1901年にアメリカで初めて日本酒の醸造所が創られているので第一号ではありませんが、醸造の規模や、革新的な取り組みなどにより、アメリカの日本酒市場に大きな影響力を及ぼした酒蔵という意味で、未だに現地の人々の記憶に残っている唯一の酒蔵とも言えるかもしれません。

ホノルル日本醸造会社は、広島県出身の住田多次郎という起業家の方が創業されました。当時日本酒は、辛い労働を強いられる日本の移民達にとって、労働後の心と体を癒し、故郷を思いながらほっとするひとときに欠かせない飲み物でした。関税が非常に高い日本酒でしたが、労働者たちは頑張って購入し、自分たちを癒していました。住田氏は少しでも安くみんなに日本酒を飲んでもらいたい!という想いで酒蔵を設立されたと聞いています。日本酒にかかる関税の異常な高さが、創業の動機となりました。

もちろん「常夏」という状況で造る酒ですから、数々のハードルが待ち受けていました。

この前例のない常夏醸造を行う上で試行錯誤して生まれた技術というのが、なんと現代の日本での酒造りに応用されているのです。

例えば四季醸造。日本では大体気温の下がる秋〜半年間くらいの酒造りが行われていましたが、現代では多くの酒蔵でクーラー設備を利用しながら通年での酒造りが行われています。これは、ホノルル日本醸造で生み出された作戦が応用されています。醸造所を氷で囲って温度を下げ、酒を醸すという点からヒントになったそうです。当時はハワイにクーラーは存在しなかったので、氷で囲ったのですね。

また、ステンレスタンク。木桶が主流だった当時、ハワイでは手に入らないのと、温度が高いので衛生上好ましくない、ということで、パイナップル工場で使用されているステンレスタンクを使用しました。ステンレスタンクは、現代の酒蔵では主流となっていますね。

更に、専門的な話にはなりますが、タンクの利用効率を3割も改善する「低泡酵母」の発見もあります。現在日本では「泡なし酵母」として多用されています。

ホノルル日本醸造で生み出された数々の技術や知恵が、日本へ逆輸入され、日本での日本酒造りの進化を後押ししているのです。

ハワイは、当時アメリカの中でも最も日本酒が輸出されていた場所でもあるのです。

このように、日本酒という点からも深いご縁のあるハワイ。また創業者が私と同郷の広島出身ということで、更に強いご縁を感じずにはいられません。

ホノルル日本醸造は、1986年宝酒造の傘下となり、現在ハワイには存在しませんが、その「心」というものはハワイの人々の中に息づいています。

Joy of Sake という大きな日本酒イベントが毎年開催されます。これはそのホノルル日本醸造を讃える意味で開催されています。

今は日本人の皆さんはハワイには観光では来れませんが、またいつかその時が来たら、ぜひハワイと日本酒の歴史を感じながら、ハワイで美味しい日本酒を味わってみてください。

今美味しい日本酒が日本で飲めるのも、ホノルル日本醸造が一役買っているとも言えます。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?