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探検ごっこで息子がみつけた〝月のカケラ〟の話。

「あっ!月のカケラだ!」


ある日曜日の夕方。

旦那が外出していたので
息子達と私で遊んでいた時のことだ。

すっかり暗くなるのが早くなり、
外も寒いので
家の中で遊ぶ時間が増えた。

しかし、男の子2人の相手となると
なかなか頭を使う。

自然な流れに身を任せると
遊びば『戦いごっこ』になる。

色んな設定を考えて私に指示をだす
6歳になった長男。
セリフにもこだわりまくる長男。
武器をブロックで作り、
自分を強くしようと準備を怠らない長男。

vs

長男の考えた設定を
1ミリも守らない3歳の次男。
長男が作り上げた武器を
自分のものにしたい次男。
長男の真似をしたいのに、
同じものがないと怒り出す次男。

戦いごっこの準備段階で
長男vs次男の構図が生まれ、
息子達の戦いは既に始まってしまう。

そんな訳で

「戦いごっこしよー!」

と、声があがったとしても、
『戦いごっこ 〜準備編〜』で
遊びが終了することが往々にしてある。

何回かに一回、
準備がスムーズに行った場合は
『戦いごっこ 〜本編〜』が始まる。

そうなると、
相変わらず演出にこだわる長男と
とにかく力いっぱいぶん殴りたい次男が
敵役の私に襲いかかってくる。

長男の指示に従いつつ、
次男のありえない力加減の攻撃をくらいつつ、
敵っぽい動きと声で
強過ぎず弱過ぎない
ちょうど良い敵を演じなくてはならない。

ツライ。

敵役を旦那がやってる時は
私はゲラゲラ腹を抱えて笑っているし、
なんなら「もっとやれー!」と
ここぞとばかりに煽りまくっているし、
息子達と結託して
どうにかして旦那を倒そうとするのだが、
自分となったら話は別。

戦いごっこには
息子のどちらかが思い通りにならずに泣く結末か、
容赦なくぶっ叩かれた私が
痛過ぎてキレる結末しか待っていない。

ツライ。
控えめに言って、ツライ。

戦いごっこは、
断固として阻止する。

だって、ツライから。


そこで私が思いついたのが、
『探検ごっこ』。

部屋中の電気を全部消すと、
夕方でも家の中は真っ暗になる。

それだけで息子達は

「キャー!」
「ドキドキするー!」

と、喜びはじめる。

勿体ぶって、アイテムを渡す。

アイテムは懐中電灯や、ペンライト。
100円のガチャガチャで当てた
指につける小さいライト、等々。

アイテムを渡すと、
息子達はこれまた盛り上がる。

暗い部屋に手元の明かりだけ。

これだけで、
またしばらくは喜んでいる。

長男が1番明るい懐中電灯を手にすると、

「にぃにー!ぼく、これがいい!」

と、次男も同じ懐中電灯を握る。

フッフッフ。
普段ならこのまま取り合いになり、
一歩も譲らぬ喧嘩が勃発して
〜準備編〜 で終了してしまうところだが、
探検ごっこだと秘策があるのだよ。

私は長男に耳打ちする。

「次男はまだ怖いから、
この懐中電灯は貸してあげれば?
長男は勇気があるから、
光が弱いコレできっと大丈夫だよ!」

私が光の弱いアイテムを渡すと
長男もニヤニヤしながら

「えー…?これじゃ怖そうだけど…
でも、これでいいや。
ぼく、これでいく!」

気持ちよく次男に懐中電灯を譲る。

弱い光=勇気の象徴。
勇気の象徴=カッコいい。
カッコいい=お兄ちゃん。
っていうか、探検ごっこ=楽。
探検ごっこ=サイコー。

そんな、最高な方程式だらけの探検ごっこ。

隠したものを見つけるのか、
場所を指定して行くのか、
隠れている誰かを見つけるのか、
あとは、お好きに決めていただいて。

シェフの気まぐれサラダのように
あとは、もうママの気まぐれで。
たまには気まぐれに生きたいのよ、ママは。

それに、
どれだけ気まぐれでやったところで
大喜び間違いなし。

サイコー。
控えめに言って、サイコー。

探検ごっこは
遊びで悩めるママ達に推奨したい。

だって、サイコーだから。


ある日曜日の夕方は、
皆で行きたい部屋を決めて、
そこまで3人で
ライトを照らして歩いて行った。

3人一緒だから怖くないんだけど、
息子達はキャーキャー喜んで
階段を登って寝室へ。

「よし!じゃあ次はベランダに行ってみよう!」

と、すかさず私が言って
すっかり暗いベランダへ。

すると、空に
三日月よりも少し太った月がいて
長男と次男はもっていたライトで
月を照らそうと
ユラユラと揺らして空に向ける。


突然、


「あっ!月のカケラだ!」


何かとてつもない大発見をしたみたいに
長男が大きな声を出した。

続けて次男が

「あっ!おつきさまだ!」

と、真似をした。


〝月のカケラ〟という響きに、
私はてっきり月の近くにある
星かなんかを想像した。

月が砕けて、
そのカケラが輝いてるみたいに見えたのかな?
でも、それだったら
そんなに驚かないよね?

私は空に向かってユラユラ揺れる
息子達の光を辿って、
月を眺めた。

「月のカケラ?どれ?」

私がたずねると

「ほら!アレ!
月がさぁ!なんか!ホラ!
まんまる!」

長男が興奮しながらライトを揺らす。

「月がまるいんだよ!」

長男の大きな声が
辺りに響く。

その声につられて、次男も

「みて!おつきさま!」

と、嬉しそうな声を響かせる。



長男が見つけた〝月のカケラ〟の正体は、
月の暗い影の部分だった。

それは、本当に
息子の人生の中の大発見だった。


「すごーい!長男!
よく気が付いたね!!!」

「でも、なんで?
なんで月のカケラがあるの?」

拍手喝采を浴びながら
長男は不思議そうにたずねる。

そこで私は
秘密のことを教えるみたいに
私が知っている月について
簡単に長男に教えた。

ふむふむ、へぇー、
と、感心しながら
長男は月を見つめていた。

途中で質問をしながら話を聞いていた長男が
最後に少し大人びた顔で

「ということは、
月はいつもまるいんだ。
見えてなくても、まるいんだ。
そういうことだよね?」

と、小さな声で言った。

「うーん、多分ね。」

また月が見れたら、
一緒に月のカケラをカクニンしてみよう、と
2人で約束をした。

いなかったり
細くなったり
半分になったり
猫の目みたいになったり
まんまるになったり

形を変えているように見えていた月は
実はいっつも
まんまるだった。

それは、本当に
息子の人生の中の大発見だった。

世紀の大発見だった。

3歳の次男は、
光る月を見つけ、喜ぶ。

6歳の長男は、
暗い月のカケラを見つけ、驚く。

36歳の私は、
2人の見ている月を、
一緒に見上げてみる。

すると、当たり前にそこにある月が
なんだかとてつもなく特別なものに見えてきた。

光っている所も、
暗い影の所も、
特別なものに見えてきた。


今までは次男と同じように見えていた月が
長男にはこの瞬間から
違う月に見えるんだろう。
暗いカケラを携えた月に。

誰かに教えてもらったのではなく
自分自身で見つけ出したからこそ、
その大発見は
とてつもなく特別で、
とてつもなく価値のあるものになった気がした。


同じものでも
見えているのは
ほんの一部かもしれない。

同じものでも
見え方が違うだけで
世界は広がるのかもしれない。

今日3人で見てる
月みたいに。

息子達はそんな世界の
入り口に立っている。

これからどんどん手を離れ
私の知らない息子達が作られて
カケラが出来上がっていくのかもしれない。

いや、もしかしたら
もう既に息子達には
カケラがあるのかもしれない。

私が気付いてないだけで。

でも、その方がいい。

何事にもカケラがあると思うだけで、
世界には奥行きが生まれるし、
どんなものでも
隅から隅まで全てを知りたがるのは、
野暮な気がしてしまう。

カケラがあるくらいが
ちょうどいい。



これからも、
私はこの月を何度も見る。

その度に、
光る月を喜ぶ次男と、
月のカケラを見つけた長男を
淡い光の中で思い出すんだろう。

そして、きっと
息子達のカケラについて
少しだけ想像してみるんだろう。


当たり前にそこにあるものでも、
子どもといると
子どもの目を通すと
特別で大切なものになる。

ツルツルの石ころも
たんぽぽの綿毛も
赤や黄色の落ち葉も
そして、
光っている月だって
暗いカケラのある月だって。

私はまた一つ、
特別で大切な時間を
息子達に与えてもらった。

やっぱり、
探検ごっこはサイコーだし
子育てもサイコーだな、と思う。

でも、息子達の敵役を
あと何回出来るのか分からないから
今度は戦いごっこも頑張ってみるか、なんて
月の下でヒッソリと思った。

戦いごっこにも、
実はカケラの部分があるのかもしれないし、ね。

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