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うずまき・うずまき

2009年3月11日~3月21日 アイルランド紀行5
3月12日曇りときどき晴れ Dublin - New Grange - Drogheda

ニューグレンジは難しい


タラの丘出発時にカーナビに「NEWGRANGE」と入力。
川を越えてスレーン(Slane)という街を通過し、ナビが指し示す方向へさらに15分。モンゴルの大きいパオのような白いニューグレンジ(Newgrange)の円形墳墓が目の前に現れ、観光客がその周りを歩いているのが見えた。ニューグレンジはケルト以前の巨石文化の総本山ともいえる場所で、ダブリン近郊の訪れるべき観光地の一つでもある。

New Grange

ガイドブックには、ビジターセンターに行かないと見学は不可能とある。いまそのビジターセンターを探して、墳墓の回りをすでに小1時間はグルグルと回ってる。日がだいぶ高く差しかかってきた。そしてビジターセンターがどこにもない!

あっちの道はどうだ、こっちはどうだと行きつ戻りつ…地図上ではあっているはずなのに…おかしい。すでに真昼は過ぎ、民家の庭先の黄スイセンが太陽に照り輝いて美しい。
3度往復した道の行き止まりに「ここから先は公の車しか入れないので、通行禁止」と書かれた看板がどうも気になり、ついに我が乗用車は進入禁止エリアに突っ込んでいった。

はたして、そこにはニューグレンジ行きのバスが止まっていた。虎穴に入らずんば、虎児を得ずだ!ちらほらと観光客もいる。しかしチケット売り場のような場所はない。

「ここはビジターセンターですか?」
「ちがうよ。」

新聞紙を手にした初老の運転手はバスを降り、壁に書かれた周辺地図を指しながら、現在位置とビジターセンターの場所を説明してくれた。

かなりざっくりな地図ですが…こんな地理関係です

な、なんと、ビジターセンターは、今いるバス乗り場の川向こうにあるらしい。対岸に渡る橋は15分先のスレーンの街はずれにあり、つまり今来た道を戻る必要がある。さらにビジターセンターに辿りつくには、渡った先の川沿いを同じく15分間走らなくてならない。

そして急激にトイレ(小)に行きたくなった。今日はタラの丘のトイレに鍵がかかっていたので、朝からトイレ行く機会がなかった。しかし、ここのバス乗り場にもない!

「トイレ~」

助手席でうなる妻のために、夫は車をガンガン飛ばしてくれた。

かつてスペインのマラガ行きの長距離バスに乗ったとき、ビールの飲みすぎで、発車まもなくしてトイレに行きたくなった思い出がよみがえってきた。
長距離バスにも関わらずトイレが付いておらず、目的地まで3時間ノンストップ。だんだんと悲壮な表情になり切迫した私を見兼ねて、一緒に旅をしていた友人が買ったばかりの美しい塗りのサラダボウルを差し出し、
「いざとなったら、ここにしていいからね。」と真剣に言ってくれた。
さすがにサラダボウルで用をたすことはしなかったが、冗談抜きでその気持ちがありがたかった。マラガに着いてトイレへダッシュしようとしたが、膀胱がパンパンで走ることができず、腹をよじりながらトイレにたどり着いた。あの感覚がふたたび!

橋を渡り、川沿いを延々と走った先に「Bru na Boinne Boyne Valley Centre」と標識が出ていた。これがニューグレンジのビジターセンターの道しるべらしい。ゲール語(アイルランド語とも言われる)だろうか。

「ゲール語で書かれたらますますビジターセンターってわからんやん、英語で書いて~!!」トイレを我慢しながら怒る。
標識を左折して着いたと思いきや、駐車場と建物は結構離れており、マラガの時ほどではないが腹をよじりながら走る。

受付に無事たどり着き、
「ツアーに参加するが、とにかくトイレに行かせてくれ!!」と真顔で迫ると、「そりゃ、一大事!」と、係員が慌ててトイレに案内してくれた。
ふーっ、ひと段落。

ビジターセンター入口

ほっとして、再び受付に戻ると、
「橋を渡った先にバスが待っているから、それに乗っていくように」
と、受付のインテリっぽい金髪のお兄さんに指示され、「3:15」というツアー開始時間のシールを胸につけられた。

ビジターセンターの施設を出て、小道をいくばくか歩くと、ゆるやかに蛇行した川に出た。岸辺のやわらかい緑野を、およそ浸食することがなさそうにみえるゆったりした流れで、ひねもす眺めてピクニックをしたら、さぞ心地よいだろうと思われた。

その和やかな景色も時計のねじを210年前に巻き戻すと、川を血で赤く染めた戦いが行われていたのだから驚きだ。
1690年、ここから1,2キロ先の下流で、イギリスを追われたジェイムス二世をを担いだアイルランドとフランス軍が、イギリス軍と激突。
世にいうボイン川の合戦で、2万5千人のアイルランド・フランス軍は敗退の一途をたどった。
この川辺に兵士たちの亡骸が横たわっていたことを想像すると……いかんいかん、ピクニックは中止だ。

River Boyne

川にかかる吊り橋を渡り切ると、さっき車を突っ込んだバス乗り場があった。なるほどこういう地理関係になっていたのかと合点がいった。
「おっ、来たか」と言わんばかりに、さきほど道を説明してくれた運転手のおじちゃんがほほ笑んでくれた。
10数名の見学者を乗せ、ニューグレンジに向けてバスはいよいよ出発した。

うずまき・うずまき

ケルト以前、5000年以上前の巨石文化で、これほどまで大きく、きちんと整備された遺跡はアイルランドでは類をみない。
古墳の直径は約90m、高さ10mで、入り口には大きな横石が横たわり、見事なうずまき紋様が刻まれている。

この横石には見覚えがあった。
かなり昔に観た、龍村仁監督の映画「ガイアシンフォニーⅠ」のエンヤの章で紹介されていた石だ。

墳墓の中は細い通路で20名ほどしか入れないため、前のツアーが出てくるまでその巨石の前で写真撮影をしたり、触ったりして、石と親しんだ。 一筆書きのような単純な渦巻きを見ていると、原始の血・本能にアクセスするのか、なぜだかワクワクしてきた。

墳墓に足を踏み入れた。
暗い。

奥に向かう約20mの細い道は最初はあまり高さがなく、これからもっと狭くなるのかと思いきや、だんだん高くなり、最後は高さ6m、横縦およさ5,6mの石室へとつきあたった。墓室は正面と、その手前左右に一つずつ、計3つある。その空間に10数名が肩を寄せ合い、ガイドの説明に聞き入っている。なかなかの人口密度だ。。

石室の最初の印象は空気がカラリとしていることだった。
ここは常に10度に保たれているらしく、雨や曇天のアイルランドでこの乾燥を保てるのは不思議だとガイドが語った。
帰国後、本で調べたところ「天井石がどれもわずかに外側に傾いていて、しみこんできた雨水を墓室外に流し出してしまうからなのだそうだ。」(「ケルトの島・アイルランド」堀淳一著 ちくま文庫)
エジプトのピラミッドしかり、イギリスのストーンヘッジしかり、古代文明の高度な建築技術には感嘆する。

ガイドが天井を懐中電灯でかざした。その光の先にミツウロコの三角形模様が照らしだされた。よーく目を凝らしてみると、壁や天井のあちらこちらに渦巻き、同心円、波模様が刻まれていることにも気付いた。
そこは、原始サインの宝庫だった。
死者がUFOと交信したのかしらと思うくらい、たくさんある。ゾクゾク。

その中で正面の墓室内側の壁に深く刻まれた三つ巴の渦巻き模様がもっとも目をひいた。弔われた死者にみえる位置に、あえてそれは描かれているようだった。
ケルト文化では渦巻きが輪廻転生の象徴だというが、ケルト以前の古墳にも描かれているとはどういうことなのか。古代の人間も巡りくる生を感覚的に知り、死者を慰めるためにこの印を彫ったのだろうか……想像の翼がどんどん広がっていった。

そして冬至の日には、この正面の墓室まで入口上部の窓から細い通路を通って、ニ十分ほど日の光が差し込むらしい。(そのため、ニューグレンジは太陽信仰の研究が多い。) 
実際は冬至のみならず前後6日間は日が差し込んでくるらしく、それを見るための観光客の応募が9月くらいから始まり、計100人くらいがその権利をゲットするが、天候にめぐまれない曇りがちのアイルランドでその現象を見れるラッキーな人は、ほぼ2日間で約40人弱らしい。

墳墓からでた後、バスの出発時間までまだ間があったので、自由時間になった。暗い内部から明るみに出ておだやかな丘陵地帯をのぞむと、とてもほっとした。死から生の世界に出てきたようだ。産道とはこのようなものかもしれないと、ふと思った。

丘陵の左手、白い家の向こうにコンモリ見えるのがダウス遺跡、そしてここからは見えないが近くにノウス遺跡があるという。
ノウスはニューグレンジ以上に原始美術があふれ、壁中びっしり、うずまき、波模様、ひし形紋様で埋め尽くされ、月の満ち欠けを表した石もあると本にあった。すばらしく興味そそられる遺跡だ。
しかし(英語の聞き取りが確かであれば)ダウス遺跡は入り口が瓦礫だらけで入れないらしく、ノウスはイースターでなければ見学不可能ということだった。
アイルランドはイースターが様々な観光地の開始日らしく、私たちが訪れた3月はどっぷりオフシーズンだったのだ。

何をするでなく古墳の周りを歩きはじめた。
やがて古墳を支えるようにぐるっと配置された縁石にも、渦巻き紋様がほどこされていることに気づいた。
入り口の巨石と同様にすばらしい石彫りも中にはあった。
渦巻きとひし形の組み合わせ、幼少期の聖徳太子の横髪の房のような模様…そのデザインはあまりに見事で、当代一の石工に彫らせたのではないかとイメージが膨らんだ。

↑ 中央あたり:聖徳太子の横髪の房のような模様(笑)

※この旅行記は以前に閉じたブログの記事に加筆して、2023年3月noteに書き写しています。
 
                    

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