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ラスト・ギネスとクランベリージュース

2009年3月11日~21日 アイルランド紀行30
3月20日 晴れ
Dublin

ホテルの扉を開けると,、朝の川岸の空気がひんやりと頬にあたった。
生まれたての初春の太陽の光は、まだ淡くて弱かった。ケリーのお天気が東へ流れてきたのだろうか。おとといの霧はどこへ行ったのやら、ダブリンはすこぶるよい天気になりそうだ。

ガラガラとトランクを引く音が川岸のデコボコな石畳に響く。前を行く夫は肩からかけるバックがお土産で膨らみ、とても重そうだ。オコンネル橋で右折し、白亜のアイルランド銀行の建物前からバスに乗り、ストの始まる8時前に何事もなく空港に到着した。

免税店がひしめく通路のはじっこのベーグル屋で、朝食のベーグルサンドをほおばり、いくばくか余ったユーロで、目の前のミュージック・ストアでアイリッシュ・アーティストのCDを購入した。
シャロン・シャノン、チーフタンズ、もちろんU2のベストもゲットした。
ザ・クラレンスに泊ったからには、メンバーの区別がつくようになりたいものだ。

お土産をまだ買いたい夫とは別行動で、私はベーグル屋の隣の小さなパブでアイルランド最後のギネスを飲むことした。日本で飲むこともできるが、やはり現地で飲むのは格別だ。それはオリオンビールは沖縄で飲むのが一番と感じるのに似ている。ビールは生産地の温度や湿度にもっとも適した味やのどごしに精製されているように思う。

「私のラスト・ギネス!私はギネスを愛している!」
カウンターのおじちゃんに叫びながら、ギネスを半パイント注文すると、
「それなら、これは混ぜたことはあるか?」とカウンターの下からクランベリージュースの瓶を出してきた。
「これはギネスとなかなか合うんだ。」小さい紙コップに、クランベリージュースを4分の1ほど入れ、勢いよくギネスを注ぎ入れる。
「飲んでみな。」
ギネスの苦みが消え、果実のやわらかい甘み広がった。
「おいしい!新しい感覚。でも申し訳ない!やっぱりラストギネスはプレーンがいいや。」と伝えると、そうかそうかとおじさんは、笑顔でグラスにギネスをついでくれた。

これが最後のギネスでもあり、アイルランド最後の人との交流だった。
旅の間中、アイルランドの人はいつもホンワリとあたたかい気持ちにさせてくれた。ユーラシア大陸最西の島国と、最東の島国……真反対にも関わらず、シャイでさりげない気遣いは、どこか日本人と通ずるものがあり、とても居心地がよかった。

搭乗時間ギリギリに、お土産が足りないと困るのでアイリッシュ・トフィーを買いこみ、慌てて飛行機に乗り込んだ。離陸するとあっという間にグリーン・アイランドは眼下になり、そして視界から消えた。

イギリスのヒースローでのトランジットは相変わらずわかりにくく、巨大な空港をターミナル5から3へ電車を使って移動した。
成田行きの搭乗口近くに来て、ようやっと一息、あとは飛行機に日本まで連れていってもらうばかりだ。
数年前のイギリス旅行のポンド余りを持ってきていたので、その範囲で飲めるビールを飲み物スタンドで注文し、二人でシェアした。

「乾杯!いい旅だったね!」
「うん、いい旅だった。」

フリーランスの夫は携帯に電話がかかってきて、さっそく帰ってからの仕事を手帳に書きいれていた。
日常が始まるのだな……。
旅が終わったのだ。そして旅は終わるものなのだ。
ヒースロー空港で、甘い旅情が捨てきれず、一人ごちた。

ロンドンから成田まで、眠っては映画を見て、また眠り、機内食を食べてはまた眠る。そのうつらうつらした中、斜め前方の席で乳幼児をあやす母親の顔が聖母マリアのように美しいとしばし見つめ、そしてまた眠りに落ちていった。

成田到着後はいつも空港で和食を食べるのだが、今日は家の近くのコンビニで思い思いのカップラーメンを買って、家ですすることにした。そのジャンク加減が長旅のあとにぴったりな感じがした。

海外から帰ってくると、東京に向かう電車でいつも建物の雑然とした感じが目につく。それは、ああ日本に帰ってきたという安堵感とともに、ヨーロッパの石畳やレンガの色が統一された街をまた近い内に見に行こうとも思わせるのであった。(了)

※この旅行記は以前に閉じたブログの記事に加筆して、2023年春にnoteに書き写してます。



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