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初めて父親と杯を交わしたこと

最近一段と寒さが増してきましたね。
いよいよ師走ですね。
今年1年も新型コロナウイルスに翻弄された1年でしたがなんとか生き抜けた事を嬉しく思います。(まだ1ヶ月あるけどね)
さてさて、今回の記事は備忘録です。
先日東京に出張に来ていた父親と初めて杯を交わしました。
父親が東京に出張に来ると聞いた日からきっと誘われるからどのように言い訳を作ってお誘いを断ろうかと頭を悩ませました…
お酒はもちろん一緒に飲んだことがないですし、2人で食事をとることさえ中学一年くらいが最後な気がします。(もはや覚えていないレベル)
共通の趣味もなければ考え方もまるで違うし正直僕の嫌いな大人像が実の父親(実のっていうと別の父親もいるように聞こえますが居ません笑)だったのでずっと避けてきました。
何が合わないかと言うと僕は基本的に理論的に物事を考えたいし、しっかりと辻褄のあった説明をされないと納得できないタイプなのですが、父親は根性論や精神論が軸にあるのです…
考えが違うからと言って否定は出来ないので避けてきたという訳です。
そして案の定お誘いが来ました。
最初は「バイトがある」とか「勉強が忙しい」とか適当な理由をつけて断ろうと思っていたのですがなんだか苦手なことから逃げている気がして嫌だったので予定を合わせて会うことにしました。
するとなんということでしょう。前日の夜から死ぬほど緊張するではありませんか。彼女の父親と初めてお会いした時でもここまでの緊張は無かったのに実の父親とご飯食べるってだけでこんなに緊張するとは思いもよりませんでした。
結果から言うと行ってよかったかなと思います。特に深い話をした訳では無いけれど、すでに実家を出ている自分は父親と食事を共にする機会も限られているだろうし、たまには良いかなと。まぁ本当にたまにでいいですけど…笑
今まで"父親"としか見ていなかったけれど、家ではなく外で会ってみて話をしてみると一人の"人間"なんだなと会話をしながら感じました。親も親である前に一人の人間であるという当たり前のことに気付かされました。
父親としての発言は固定概念に縛られた精神論しか言ってこないけれど、一人の人間としての発言では多少は多様性のある柔軟な意見を言ってきた時に特に強くその事を感じました。
最後駅でさよならする際にすごく不思議な気持ちになりました。家族だけど、父親だけど、僕は僕の家へ父親は滞在しているホテルへと共に違う場所へ帰路に着く。
18年以上同じ屋根の下で暮らしていたのにもう今はそれぞれが違う場所に帰るんだなと時の流れを上京3年目にして感じました笑
決して暖かい家庭で育ってはいないし暖かい父親ではないし、考え方も全て違うから合わないけれど今後はもう少しだけ距離を縮めてみようかなと思いました。

という自分自身に対しての備忘録でした。
以上!!!!

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