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イノベーションと環境経済学

環境経済学は、基本的に「政策の研究」を行う分野です。
制度・政策を変更する、あるいは新しい政策を導入することで、環境問題に取り組むことを考えています。

しかし、制度変更や新しい政策の導入にも時間がかかることがあります。
また、環境政策がみなさんの「日々の暮らし」や「ライフスタイル」や「仕事内容」にまで影響を及ぼすことがあります。

これまで通りの暮らしのままで、環境問題だけが無くなる方が楽だと思いませんか?
気が付いたら、発電や自動車移動の過程から温室効果ガスが出なくなっている。
もっと言えば、「気が付かないうちに新しいテクノロジーが導入され、私たちの生活を何も変えなくても環境問題が解決」されていたらどんなにいいでしょう。


イノベーション(技術革新)で環境問題に取り組む

いつの時代も、人類は「イノベーション(技術革新)」によって環境問題に取り組んできました。
研究者やエンジニアが「研究開発(Research and Development)」を行う。
そして、新たな技術を発明する。
生み出された新たな技術を試し、量産し、生産にかかる費用をなるべく下げる。
そして、広く普及させる。

このプロセスによって、既存の経済活動の「やり方を変えること」でも環境問題を緩和することが可能です。

環境経済学では、環境政策の研究だけでなく、これらイノベーションによる環境問題の緩和に関しても研究してきました。
ただ、率直に言うと、必ずしも環境経済学のメインストリームではありませんでした。
決してその種類が多いわけではないのですが、この記事では「環境経済学×イノベーション」についての主要な研究トピックを3つ紹介します。

環境イノベーションと価格変化

どのような状況で環境問題を緩和する新技術が生み出されるのでしょうか?
これについての研究が環境経済学の分野ではなされてきました。
一つ目の研究トピックとしては、「価格の変化がイノベーションを生み出すか?」です。

例えば、省エネに関する新技術を考えましょう。
電気の単価やガソリン価格が上昇した時に、省エネ技術の研究開発が進み、新たな省エネ技術が創造されるかもしれません。

あるいは、カーボンプライシングなどの導入により、「温室効果ガスを出す発電方法で生み出される電気」の単価だけが上がった場合に、再生可能エネルギーでの発電技術の開発が進むかもしれません。

アメリカの環境経済学者デイビッド・ポップは1970年から1994年のアメリカにおける特許データを使って、「エネルギー価格の上昇が省エネ技術の革新を誘発したか?」を分析しました。[Link]

とても素朴な疑問から出発したポップは、単純に価格と新規特許数の関係を見ただけではなく、「それまでの関連特許の蓄積」や「蓄積された特許の質(引用数で重みづけ)」も考慮した上で価格と特許の因果関係を統計学的に推論しました。
データ分析の結果、「それまでの関連特許の蓄積」も考慮すると、エネルギー価格の上昇が省エネ技術特許(の全特許に占める割合)を増やしたことが分かりました。

価格シグナルが変わると環境によいイノベーションが起きうることを歴史的なデータから明らかにしたのです。

環境政策とイノベーション

二つ目の研究トピックは、「環境政策がイノベーションを生み出すか?」です。
燃費効率の基準や有害廃棄物の規制などの環境政策が技術革新を促すか?
カーボンプライシングが技術革新を促すか?
これらの問いは環境経済学者にとって大きな関心です。

環境政策は本質的に環境問題を緩和することを主眼に置いており、そもそもはイノベーション促進を意図しているわけではありません。
しかし、環境政策の「意図せぬ効果」としてイノベーションを促進するのではないか?
この「仮説」をアメリカの著名な経営学者マイケル・ポーターが1991年に発表したエッセーの中で主張しました。
ポーターはさらに1995年に公刊した論文の中で、「より厳しい環境規制はイノベーションを促し、さらには一国の産業競争力をあげうる」と主張しました。
この主張は後に環境経済学者の間で「ポーター仮説」と呼ばれることとなり、その仮説の理論化とデータに基づく検証がなされてきました。

現時点では、端的に言うと「エビデンスはまちまち」で、「厳しい環境規制がイノベーションを促す時もあれば、そうではない時もある」という見方が支配的です。
この状況を受けて、近年の環境経済学者の関心は「どのように環境政策をデザインすれば、環境問題の緩和と同時にイノベーション促進と産業競争力の向上につながるのか?」に移っています。

環境イノベーションの普及

イノベーションを起こすことに成功し、よりクリーンな製品やグリーンな製品を開発できたとしましょう。
あるいは、同じ製品をつくる生産・供給プロセスをよりクリーンまたはグリーンにできたとしましょう。

でも、そうして生まれた製品は既存の製品よりも値段が高いことがほとんどです。
そうすると、なかなか消費者や企業は購入してくれません。
技術革新が起きたとしても、その新製品や新生産プロセスが実社会に普及(Deploy)しなければ環境問題は続きます。

どんな消費者や企業がいち早く新技術を採用するでしょうか?
どんな政策があれば、新技術をより多くの人に採用してもらえ、より早く普及させられるでしょうか?

三つ目の研究トピックは、「環境イノベーションをどうすれば普及させられるか?」です。

太陽光発電パネルを設置するのはどういったご家庭で、どうすればそれをより一層普及させられるか?[Link]
LED電球や電気自動車をどうすればより多くの人が購入するようになるか?[Link]
生態系の保全に配慮した食品をどうすればより多くの人に購入してもらえるか?

また上記のLED電球を始めとして、省エネ家電などは「製品の値段は高いけれど、ランニングコストは安い」ということがありえます。
省エネ性能の高いエアコンはより低いエアコンよりも購入時のお値段は高いでしょう。
しかし、その分、毎日使用する際の電気代は節約になり、5年、10年使えば、総支出は安くなるかもしれません。
環境によい新製品はしばしばこういったジレンマを抱えます。
長い目で見てもらえれば、「本当は安い」のに、製品価格が高いがために購入が増えない。
このパラドックスに注目した研究にも多くの蓄積があります。[Link]

これらの背後にある消費者心理や企業の意思決定をミクロ経済学理論的に数式で表現し、実際の購買データを集めて仮説を検証する。
そんな研究が多数あります。

まとめ

今回の記事では「イノベーションに関する環境経済学」について紹介しました。
そのトピックとしては、

  1.  環境イノベーションと価格変化

  2.  環境政策とイノベーション

  3.  環境イノベーションの普及

があります。

さて、環境経済学全体を見まわした時、その主要な研究テーマは、

  • カーボンプライシングなどの「経済的手法」と呼ばれる政策手段の開発・評価

  • 環境汚染から被る悪影響や自然環境から享受する好影響の評価

などだと筆者は考えています。
つまり、「イノベーションで環境問題に取り組む」ことの研究は必ずしも中心的なテーマではなかったとの認識です。
ゆえに、研究の蓄積もまだまだ不足しています。
一方で、環境経済学ではない、別の応用経済学分野としての「イノベーションの経済学」もこの20年ほどで進歩しています。
そういった隣接領域の進歩も取り込んでいければ、「イノベーションの環境経済学」研究とその成果の社会実装も進むのではないでしょうか。

筆者は今後、このテーマの研究ニーズが高まり、研究成果が増えていくと予想しています。

2023年7月 横尾

関連文献の紹介

1)本稿と同様に「イノベーション促進政策」の研究がもっと必要だと主張しているレビュー論文として、Hepburn, Pless & Popp (2018)があります。おすすめです。
2)環境経済学の研究では無いのですが、「イノベーション促進政策の経済学」の到達点としては、Bloom, Van Reenen & Williams (2019)によるレビュー論文がまとまっています。







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