見出し画像

“生涯孤独”の天才芸術家の視界が追体験できる映画『永遠の門 ゴッホの見た未来』

世紀の天才画家の晩年を描く『永遠の門 ゴッホの見た未来』を観た。生前は評価されず、生涯で売れた絵は1点だけだった。死後評価された人物と言えば、必ず名前があがるアーティストである。

今、上野の森美術館でゴッホ展も開催されているし、もう一本、アートドキュメンタリー『ゴッホとヘレーネの森 クレラー=ミュラー美術館の至宝』(この中に出てくる7作品が上野で観られるらしい)も公開されている。


すべてコンプリートしてから記事を書こうと思ったが、思ったことを忘れてしまいそうなので、とりいそぎ。

評判通りウィレム・デフォーの演技は素晴らしく(「第91回アカデミー賞」主演男優賞、「第76回ゴールデングローブ賞」最優秀男優賞において初ノミネート)、ゴッホそのもの(演じた当時のゴッホとの年齢差には目をつむるとして)。ゴッホが自殺をする2年ほど前からを描いた、つまり、精神的にかなり苦しんでいた時期のゴッホをただただ追体験できる映画である。とにかく彼の視界にこだわっている。

監督は『潜水服は蝶の夢を見る』や『夜になるまえに』を撮ったジュリアン・シュナーベル。どうやら監督自身も画家であるらしい。彼の病気の症状である視界の狭さや、彼を通して見えたであろう色彩の世界(彼は、黄視症だったという説がある)。「ゴッホの視界には、きっとこう見えていたのでしょう」が手持ちのカメラで表現される。

引っ越したアルルという田舎町での自分への風当たりと作風の変化。ゴーギャンとの交流。モネやドガなど、他の印象派の画家たちに対して感じてること……ちょっとだけ聞きかじってきたことがつながっていく。「細かく映像化していただき恐縮です」という感じだろうか。良くも悪くも、それ以上でも以下でもない。いわゆる伝記モノであるのだが、一人称がすぎるので、そこまでの客観性もない。ひとりの男がジョーカーになるまでを描いた『ジョーカー』とは対照的に、ゴッホが精神的に崩壊した後の時期に焦点をあてているため、いわゆる映画らしいカタルシスは得づらい。

孤独を深め、狂気に走ったゴッホ。とにかく彼の最期の2年間を追体験するための映画である。「彼には何が見えていたのか」に、シュナーベル監督とデフォーが挑戦した映画なのだな、と思う。

画像1

空気が乾いた黄色が眩しい銀杏の季節に観ることができて良かった。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?