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「美容の本質はズル」である

美容というジャンルの編集に携わって20年くらい経ってしまった。さらにいうなら、現在はファッション誌の中の美容担当ではなく、美容誌における美容担当である。最新の美容知識は自ずと蓄えられていく。

しかしながら、語弊を恐れずに言えば、私は美容が人一倍好きなわけではない。自分に置き換えて言えば、できることならはしょりたい。必要最低限でやり過ごせるものなら、やり過ごしたい。

例えば、コスメ好きな方は、釣り好きな中でも、釣具が好きな人なのかな、と思う。新しい釣具を吟味し、釣果を想像し、興奮する。そして、購入し、釣りを楽しみつつ、気持ちは次の釣竿へ。一方、「釣りは瞑想」と言った知人がいたが、ただ釣糸をたらし、ボーッとする時間が好きだと言う人もいる。コスメの中でもメイクアイテムが好きな方もいれば、スキンケアが好きな方もいる。さらに、それを使ったメイクやお手入れ方法など、テクニックへの追求に萌えがある人がいる。美容好きと一言にいっても、そうやって、どんどん細分化されていく。

私はいろいろなことにハマりやすい体質なので、「沼」に落ち、浸る快楽は知っている。その気持ちと照合し、チューニングして、美容好きな方に向けての情報と日々向き合っている。

以前、おしゃれ迷子中の方に、「自分はおしゃれが趣味の人」なのかどうかを考えた方が良い、というnoteを書いた。

自分にとって、おしゃれは手段なのか、目的なのか。まずは、そこから考えたい。

美容もこれと同じで、美容が趣味(目的)の人たちの情報で溢れかえっているために、美容は一つの手段であると考えている方たちが多く脱落していってしまっているのではないか。

・美容誌って伏魔殿っぽくて怖い。
・美容誌って密教みたい。中で何が行われているか、まったく分からない。
・美容誌言語がわからなすぎて外国語の教科書みたい

これが知人からこれまでに言われた言葉である。

美容が趣味な人と自分を比べ、「自分は、ズボラなんで、美容とかまじ無理っす」みたいな気持ちになる人が、実は大多数であると私は考えている(なぜなら、私がそうだから、その感覚がとても理解できる)。美容はナルシスティックな行為だと考えてしまうことで、自分から美容を遠ざけてしまう人もいるだろう。いちばん美容の魅力を伝えたい人たちに、実は美容誌が一番それを伝えられないというジレンマを抱えている。

急にこんなことを書いたのは、美容ジャーナリストと言えばの齋藤薫さんと漫画家・伊藤理沙さんとの対談に久しぶりに目を通したから。僭越ながら、私が今考えているようなことがズバリ書かれていて、「私、間違えていなかった」と心新たに日々の作業と向き合えるキッカケとなった。

以下、私が響いた箇所の要約(ぜひ、全文お目通しください)。

・美容以外にもやることってたくさんある。だから、美容にすべてをかけるのは違う
・美容のイノチはズル
・(美容といってもいろいろな捉え方があるから一概には言えないが)奥の奥をさぐっていくと、真理のようなものが見えてくることがある。美容に関して言えば例えば、そんなに大真面目にやらなくてもいい、とか
・女って、キレイな自分ときたない自分をいったりきたりする生き物。一人の自分で生きている気がするから、きたない自分に落ち込むけれど、自分は2人いると思えば納得できる
・美容は情報じゃない。化粧品の名前を一ち覚えていることが美容じゃない
・美容感性のいい人は、コスメフリークとは違う。美容感性は女性の本質を表している

美容は、自分に自ら触れてコンディションを知り、自分を慈しめる行為である。そして、最も手軽に変身が叶う方法である。見た目が先かマインドが先かは卵が先か鶏が先かと同じで、とにかくどちらかを少しだけ変えてしまえばいい(見た目を変える方が絶対に簡単だとは思う)。日々をラクに楽しく生きるためのツールになりうる。

美容の本質はズル。

「決して、構える必要はない」ことをきちんと伝えていければいいな、と思う。


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