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ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね。塩田千春『魂がふるえる』展。

山あいの盆地で育った。山と川と田んぼと……結構な田舎町だったと思う。小学生の初夏から秋にかけては毎日のように校庭の草むしりをさせられた。特に夏休み明けは、かなりワイルドな状態になっていて、自分の腰ほどに伸びてしまった雑草を絵本の『大きなかぶ』よろしく、全身の力を使って抜いていたと思う。

小さい頃の夏の記憶

大きい雑草だけでなく小さな雑草も、引き抜く時には程度の差こそあれど、プツプツという感触があった。根が土の中で細かく切れていく、大地と根をひきはがす際におきる決別の音。「雑草も生きているのに、なぜ花壇の花は生きながらえて、こちらは死ぬ運命なのか」「この雑草は何のために生きたいと思い、それを知らない私がそれを止める権利などあるのか」などと、自分がなにかいけないことをしているんじゃないかという気持ちになりつつも、それを淡々とやり続けている自分に怖さを覚えていたりもした。プツプツ、プツプツ……夜、布団に入り、昼間の蝉の声が嘘のように静まり返った部屋で目をつむると、その感触が手に戻ってきて怖くなったりもしていた。

森美術館で開催されている塩田千春さんの『魂がふるえる』展に足を運んだ。

「子供の頃、毎夏、高知県にある祖父母の家に行った。墓参りに行き、土葬された私の祖母の上に生える雑草を引き抜く時に感じた恐怖感とその手の感触」。それは塩田が「死」に対する恐怖を感じた初めての体験だった。「雑草を抜きながら祖母の呼吸が聞こえてきそうで怖かった」という彼女は、その時の記憶を起点に、生命の起源でもあり、死後に還る場の象徴とも考えられる大地や土をしばしば作品に使っている。(展示より)

この言葉に、思わず息を飲んだ。すっかり忘れていた小さかった頃の夏の記憶が甦ったのだ。30年以上も前の、あの時の感覚がフラッシュバックしたことで、塩田さんの作品が自分の問いかけてくるパワーが俄然力を増した。

ボルタンスキーと塩田の「死」の捉え方

日々、死生観を考えることはほぼない生活を送っているけれど、近くで開催されているボルタンスキー展と続けてみたことで、かなり自分の中の感受性のアンテナが強く働いていた状態だったのだとは思う。

ボルタンスキー氏は衣服を、「主体を示すオブジェ」ととらえ、塩田さんは衣服を「第2の皮膚」ととらえている。たくさんの顔写真を使用する作品で、ボルタンスキー氏は「彼らが死すべき歴史的な理由をもたなかったから」と新聞の死亡告知欄に掲載されたスイス国民の写真を使い、塩田さんは親戚のポートレートを使う。

「父も母も叔父も叔母も生まれる前からみんな親戚だった。私がドイツに来て、いろんな人に出会いいろいろな年も町も渡り歩いた。私ひとりが遠くにきて随分変わってしまったように思えたとき、どこへ行っても自分には帰り道がないような気持ちになったとき、ふと父と母が生まれたあの高知の土地と親戚の人たちの顔を思い出す。川も山もいつまでも変わることがない。もう帰ることのないあの田舎の風景を」(展示より)


まとめ

ふたりの死の捉え方はそれぞれに違うけれど、答えのない問いに問いかけ続けられるのがアーティストであり、すぐにヴィヴィッドな感覚を忘れてしまう私のような人たちのためにアートはあるのかもしれない。

体が去った後、私たちはどこへ向かうのでしょうか? 

この展示を通し、塩田さんの問いかけを私は時折思い出すだろう。

本展冒頭にある<手の中に>では、今にも壊れそうな儚い造形物が、両掌のなかでかろうじて守られている。これは「ふるえる魂」の象徴として置かれている。(図録より)


【今日の一冊】

なぜか、無償に読み返したくなり、引っ張り出して読んだ岡崎京子さんの物語集『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』。ユラユラとたゆたう文章(漫画ではないです!)の浮遊感が格別。すべての短編に、リアルとファンタジー、記憶と忘却、死と生の境界面が漂っている。

岡崎さんの文は、もう目を閉じればいいのにと思うくらいに苦しくて痛いのに、透明な目で何も見逃すまいとまっすぐにはるかな前方を見つめているような文だ。その痛みに耐えうるのは見ている先が、決してたどりつけないが明るく輝く美しい光だからだろう。 よしもとばなな

それにしても、祖父江慎さんの装丁が素晴らしい。



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