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渋谷と図書館。そして、都市の富裕化のこと

図書館は、民主主義の最後の砦。

これが、映画『パブリック 図書館の奇跡』では、私の中でパンチラインとして響いた。

映画『パブリック 図書館の奇跡』

こちらの映画は、大好きな映画『ブレックファスト・クラブ(1985)』に出演ていたエミリオ・エステヴェスが、製作、監督、脚本、主演を兼任。図書室で課題を課せられる高校生を演じていたエステヴェスが、時を経て図書館映画を作り、図書館職員を演じる。ただ、それだけの情報で「観るしかない!」と選んだ一本。映画の冒頭、彼が図書館に存在しているというシーンを観ただけで、なんだかじんわりとこみ上げてくるものがあった。

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映画のストーリーは、

米オハイオ州シンシナティの公共図書館で、実直な図書館員スチュアート(エミリオ・エステベス)が常連の利用者であるホームレスから思わぬことを告げられる。「今夜は帰らない。ここを占拠する」。大寒波の影響により路上で凍死者が続出しているのに、市の緊急シェルターが満杯で、行き場がないというのがその理由だった。(HPより)

「さて、その時、図書館職員はどう動く?」というものだ。

原題は『The Public』。『The library』ではない、というのがこの映画すべてである。私はそう思った。ゆえの、「図書館は、民主主義の最後の砦だ」というパンチラインなのである。

映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』

この映画を見ながら、私は、ずっとニューヨーク公共図書館(New York Public Library)の舞台裏を記録したフレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』のことを思い出していた。

(私の過去のレビューより)
ニューヨーク公立図書館は、市民を孤立させないための「知のインフラ」機能としての図書館の意義を訴えかけてくる。権力を持った者だけに知識を独占させれば、社会的弱者は支配され続ける立場を覆すことはできない。図書館は倉庫ではない。人である。人を孤立させないために何が提供できるのか。その目的を果たす手段であって、「本=情報」が目的のすべてではない。※記事のヘッダーも『ニューヨーク公共図書館』HPより

MIYASHITA PARK

今週、宮下公園跡地に、MIYASHITA PARKがオープンした。

「(ミヤシタパークは)出発点からして野宿者を追い出して作った施設です。公開質問状や要望書を持っていっても最初から門前払い。対等に話をしようという気がまったくなくて、(野宿当事者を)自分たちの事業の邪魔をする人たちとしか捉えていない。排除のシンボルだと思います
宮下公園の変遷に見られるような、再開発や高所得者層の流入による都市の富裕化は「ジェントリフィケーション」と呼ばれる。

渋谷区広報コミュニケーション課は、「工事への着手は、野宿者の次の居場所への移動が完了したうえで行っており、強制排除はしていない」と回答。「排除」された人たちは、どこに向かったのだろうか? 言い換えるなら、今、東京のどこに向かえる先があるのだろうか?

都市の富裕化「ジェントリフィケーション」

最後の最後まで排除をしないのが Public の役割であり、ゆえに民主主義最後の砦(ノーベル賞を受賞した黒人女性作家トニ・モリスンは「図書館は民主主義の柱」と言っている)になり得る場所なのだと思う。

このままでいくと、都市の富裕化「ジェントリフィケーション」はより加速していくように思う。

「都市再開発」や「都市再生」といった用語との大きな違いは、この言葉に低所得層が立ち退きさせられることへの批判性が含まれている点だ。一方で、ジェントリフィケーションはインフラの整備や治安の向上といった恩恵をもたらすため、肯定的に評価されることもある。

自分はどう思うのか?

見方や立場を変えると、物事の見え方が全く違う意味を持つことがある。

私の渋谷に対する答えは、2018年の渋谷のハロウィンについて書かれた以下の都築響一さんの文章の中にある。私は、渋谷を歩き、新たなる変化を受け止める度に、これを定期的に読み返してしまう。

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今日のアルバム

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今日の一冊

追記 2020.08.13】

2020.08.14






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