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Creepy Nutsとセルフケア

お仕事をご一緒しているライターの西森路代さんのTwitterを見て、Creepy Nutsのオールナイトニッポンをradikoで聞いた。

ニューアルバム『Case』について語られた箇所を、ザックリと箇条書きにて(主にリリック担当のR-指定さんの発言が中心です)。

・この時期ではないと、今、曲にして歌っておかないと、もったいない感情、状況がある。
・時期によって、環境も変わるから、自分の考え方も変わる。
・揺れの部分にも腹を括った(書き始めてから最近まで揺れていた。BADにも入っていた)。
・自分の書いた過去(言葉)に真正面にぶつかりすぎた。今、変わっている中で生まれてくる矛盾がる。あの時の時点(過去)のスタンスが間違えていたのだろうか、という問いが湧いてくる。
リリックを書くことはセラピーでもあるし、自己啓発でもあるけれど、一歩間違えれば自傷行為にもなる。
・過去のリリックも自傷行為だから、新しいリリックを書くことを、それに自分でさらに傷つけることにもなる。
・ちゃんと自分のこれまでのおこないにケジメ、ケリをつけようとして、俺の主観の表現に間違いはある。それを赦されようとすることは違うと気づいた。釈明しようとしてはいけない。
今は、現時点の間違いをビビらずに晒すしかない
未来の自分から見たら、きっと突っ込みどころ満載だろうけれど。
・間違ってない瞬間は今後ないし、間違えてない人もいない。確実な正義はない。
・知らず知らずに自分も正しさを、まっとうしようとしてしまっていた。
正しさは鋭利。いいという前提だからこそ、鋭利。人に向けたらえげつない。自分に向けてさえも、こんなにえげつないのだから。これは人には向けんとこ、と思った。
・全員がエゴで動いていることは自覚した方がいい(平等に愛することは不可能)。自分の愛しているもの、救おうとするものだけ。不平等に救おう(自分のエゴの範囲内だということを自覚した方がいい)。
全生物は、何かにとっての外敵で、何かにとっての栄養になる存在。
自分の加害性(言葉という鋭利なものを扱っているから)を意識しなくてはいけない。
・過去の自分たちの作品たちも尊いし、否定したいわけではない。

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・アルバムタイトル『CASE』の意味→まずは、CDの空のケース=ジュエルケース(時系列、過去の自分たちは愛おしい。その時の自分たちがあってこその今)。事象(ことがら)。ケースbyケース。自分の器(責任が増えたけど、俺の器でやるきるしかない)。俺の場合は…あたりを抽象化したタイトルに。
・現在の自分たちを物語る曲として一曲目に決めたのは『Lazy Boy』。

そして、続いて西森さんがリツイートしていた批評家の杉田さんのつぶやき。

もちろん、どうしたって、小田急線フェミサイドの件と紐づく。

過去との向き合い、自分との向き合い、正義の鋭敏さ、自らの加害性。アルバムの制作秘話を語る際に、それらを語ったCreepy Nutsのニューアルバム『CASE』(9月1日リリース)を、早く聴いてみたい。





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