Sorry we missed you
公開されれば必ず観てしまうケン・ローチ監督。最新作の『家族を想うとき』を観た。2019年の最後に観た映画ということになると思う。原題は、『Sorry we missed you』。
STORY イギリス、ニューカッスルに住むある家族。父のリッキーはマイホーム購入の夢をかなえるために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立。母のアビーはパートタイムの介護福祉士として、時間外まで1日中働いている。家族を幸せにするはずの仕事が、家族との時間を奪っていき、高校生のセブと小学生の娘のライザ・ジェーンは寂しい想いを募らせてゆく。そんななか、リッキーがある事件に巻き込まれてしまうーー。(Filmarksより)
ケン・ローチ監督(83歳)が映画を撮る原動力は、おそらく社会に対する怒りだ。引退宣言をしても、それを撤回して今作を撮った。ちなみに、撤回するのは2回目だ。社会が変わらないどころか、どんどん悪くなっている状況に、隠居していられなくなったのだろう。
ちなみに、是枝監督が「いちばん尊敬している監督」としているのがケン・ローチ監督。1月5日に2人の対談が再放送されるのでご興味ある方は是非!
というわけで、今作は、ケン・ローチ監督がいてもたってもいられずメガホンをとったわけなので、これまでの作品の中でもとりわけ超ヘビー級。頑張っているのに、まったく好転していかない英国のニューカッスルに住む家族を私たちはただただ見つめていることになる。「ここで終わるのか!」という場面で映画は終わるが、映画館を一歩出てはたと気がつく。映画の続きは、私たちの生活として続いていることに。英国で起こっていることも日本で起こっていることも、何ら変わらないことに。
原題の『Sorry we missed you』は、宅配便の不在票に書かれる文言。そして、もちろん、そのままの意味で
私たち、見逃しちゃって、ごめんなさいね。
映画の中では、親が子に対しての言葉のようにも、社会が弱者に対して使う言い訳のようにもとれる。
「I」ではなく「We」。主語を私ではなく、「私たち」とぼやかし当事者意識をもとうとしない「私たち」へのケン・ローチ監督からのメッセージなのか、それとも「私たち」は一蓮托生で映画の中の家族と何らかわらないのですよという警鐘なのか……何かを見逃し続けることと、社会から存在すらないかのように扱われることと。いろいろな意味が頭の中で反響する。
Sorry we missed you
とにもかくにも、今、社会はここまできてしまった。謝ってばかりもいられない。さあ、どうする?
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