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この生活にもいつか慣れてしまうのだろうか

3月下旬から、どうしても会社でしかできない作業がある場合以外は自宅作業となった。ここ1週間は1度も出社していない。

朝起きて、窓を開けて換気。軽くストレッチをして、近くの公園に軽くジョギングに行って、noteを書いて。午前中にメールのやりとりなどのPC作業を終わらせ、午後にweb会議や打ち合わせなどを1〜2本。これからの企画のための資料を読んだり……。陽が高いうちに仕事は終わる。それから、長めのお風呂に浸かったり。早々に積ん読をくずしたり、NETFLIXを観たり。

朝は梅醤番茶を飲み、昼食と夕食は自炊。たまに、スーパーへ買い出し。掃除、洗濯は夫。得意な方、苦じゃない作業を担当する。

テレビやネットニュース、SNSは、意識的に減らすように努力。ほぼ家からでない生活をしていると自分の頭の中がほぼコロナ一色になってしまう。

オンライン飲み会が流行っていると聞くが私は一度もやったことがない。お酒も飲めないし、そもそも飲み会が得意なタイプではない。一方、仕事相手との電話での雑談は長くなっている。「いつまでも仕事できちゃうんですよね……」。突如リモートとなり、昼夜逆転に悩んでいる人が多い。

たまに、友人と電話をすると互いになかなか電話が切り難くなっている。「デートに行く」と出かけようとする高校生に、不要不急な外出だと諌める大人。もちろん正しさでジャッジするなら大人に軍配が上がるのだが、自分たちの甘酸っぱい高校時代を思い返すと、その高校生が「今じゃなきゃダメ!」と大人に歯向かう気持ちも理解はしてあげたい。そんなことをダラダラと話す。

「会社は作業する場所だと思ってきたが、社交する場所だったのかもしれない」というようなことをぼんやりと思う。作業場ではなく、社交場。作業はどこでもできるけれど、社交はそこでしかできない。構えていないふとした雑談から生まれることってたくさんあるんだよな、と。雑談が減ると生まれるアイデアも減る気がして焦る。私が携わる女性誌は不要不急なアイテムの極みのようなところがあるので、この状況でアイデアを捻出することは時が経つごとに厳しい。これまでの考え方をリセット、リセット、と自分に言い聞かせる。

最初は非日常感があったこの生活に、気がつけば慣れてきている。ぼんやりしていると、ずっとこうやって働いてきたんじゃないか、生活していたんじゃないかと錯覚してしまう。はからずしもの規則正しい生活。人間はルーティンと相性が良いのだと体感している。ルーティンにすぐに慣れてしまう自分が少し寂しい。

偶然会った人と立ち話をする。友人と食事に行く。ふらりと映画を観る……現状のルーティンの外にある不要不急がやっぱり恋しい。

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