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自炊力は妥協力? ただいま自炊疲れ中

自粛生活は自炊生活である。そう言い換えてもいいくらい、1日のそれなりの時間を“買い出し時間”と“メニュー選定時間”と“調理時間”に費やしている気がする。これまで“自炊は気分転換”くらいの生活を送ってきていたので、実質時間より、体感時間が長く感じるのかもしれない。

我が家は料理以外の家事のほとんどすべてを夫が行っている。「料理くらいはきちんとしなくては」と元来怠け者の自分の尻を叩いている。自粛生活中、夫が仕事で不在の日の私の食生活には目もあてられないものがあったので、その精神的負荷は私自身の健康維持にも役立っていると思う。

淡々と自炊生活を続けてみてもまだ非日常感は拭えず、スーパーに行くとテンションが上がってしまい、あれもこれも買ってしまう。自炊生活を始めて気がついたが、我が家のエンゲル係数は自粛生活前と比べ、それほど低くなっていないと思う。これまで「外食は高くつく」とはよく言われてきたが、それは自炊力がある人だから言えることだということがよく分かった。よく足を運んでいた定食屋さんの金額を考えると、私の場合は、どう考えても自炊の方が高くついてしまう。お酒が飲めないという体質も関係しているかもしれない。

具沢山の味噌汁とご飯。そして、魚を焼く。それに梅干しか、大根おろしを添えるだけで充分。そう割り切ってしまえばいいのに、「たまごをかけるだけでも自炊です」というnoteも書いたのに……気づけば主菜に苦慮してしまう。この単調な自粛生活において、どうしても食にレジャーを求めてしまう。レシピを見て作っていても、最終的には自分が好きなようにアレンジしてしまうので、自分の味付けに飽きてしまったというのもあるかもしれない。

実は作っている時間より、私の場合は「何をつくろうかな」と考えている時間が苦しかったりする。「何をつくろうかな」は、言い換えれば「何を食べたいかな」ということ。だんだん「食べたいもの」がヴィヴィッドに思いつかなくなっている。生活が緩慢になったせいで、身体のセンサーが鈍ってきているのだろうか。とはいえ、「何を食べたいのか」を考えて疲れている場合ではない。自炊力は妥協力なのかもしれない。

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そんなことを悶々と考えていた時、いつものスーパーと自宅の間にある、輸入食材を多く扱うカルディに立ち寄った。自分では絶対にイチから作らなそうな世界各国の料理を簡単につくることができる、“ただ和えるだけ“といった調味料たちが光り輝いて見える。「もう何にも思いつかない」「もう何も考えたくない」という時にきっと私を助けてくれるはず。ついたくさん買ってしまう。ここでも、ショッピング・ハイになる。

昨晩は、購入したスパイスを使い、タンドリーチキンを作った。夕食後、そのスパイスで覚醒したのか(想像以上に辛さがあった)、さらに自分に喝を入れたくなり、J.LO姐さんを堪能できると評判の『ハスラーズ』を見る。見事に喝が入る。

さて、今日も自炊を、がんばらない程度にがんばろう。


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↓ 元気不足で、『ハスラーズ』を見る時間が無い方は、J.LO姉さんのハーフタイムショーを是非ご覧ください。




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