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私たちの“イマココ“。映画『ブックスマート』という希望

「自分が高校生の時になくてよかったなぁ〜」としみじみ思うのは、SNSとプロムだろうか。

プロムという地獄

プロムを描いたアメリカ青春映画やドラマと言うのは本当に多い。

プロムとは?
参加は原則として男女のペアであり、相手は同級生でなくても良く、上級生や下級生はもちろん卒業生や学校外の者でも構わない。また、参加は強制ではない。そのため、相手がいなくて全く参加しない者や毎回違う相手と何度も参加する者など様々である。パートナーを決めるのは男子が女子を誘うパターンが一般的で、卒業のプロムまでにパートナーを見つけられなかったり、思い通りの相手と組めなかったりすることが多々ある。(wiki)

ほぼ、それらは、プロムで壁の華と化すような、あるいは、一緒に行くパートナーがいないようなキャラクターが主人公となる。

そもそも私が通った高校は女子校だったので、プロム的なものが校内で開催される気配はなかった。けれど、よく隣の男子校と合唱コンクールや文化祭などで交流しがちだったので、その度に「かったるいな〜」とは思っていた。

スクールカーストの不在

で、昨日観た『ブックスマート』が、これまでの「高校卒業もの」を徹底的に破壊にかかってきていて痛快だった。

最も革命的だと思ったのは、いわゆるパリピ的キャラクターが出てくるものの、スクールカーストが描かれていなかった点であろうか。

誰かをギャフンと言わせようとするマインドが誰からも発令しない。これまでだったら、「コイツ気に食わないな」と思わせるキャラクターが出てきて登場人物に感情移入していくのであるが、主人公2人はもちろん、とにかく全てのキャラクターが憎めないどころか、愛すべきキャラクターに昇華されているのが凄い。

優等生がダサいキャラクターと扱われるわけでもなく、パリピがただのおバカキャラクターとして描かれているわけでもなく、それぞれがそれぞれをマウンティングすることもない。

時代のアップデート

主人公の一人がレズビアンなのだが、そのキャラクターが既にカミングアウト済みなのも良い。これまでだったら、そのカミングアウトまでの葛藤をフィーチャーしているのだろうが、もう、それをする必要がない、当たり前のジェンダーとして自然に描かれているところも心地よい。

これが時代のアップデートというものなのか、と終始笑って観ながらも、最後はその清々しい余韻に感慨深くもなってしまった。

ただ、それだけに気になったのが、日本と本国のトレーラーの違い。


完全に日本版は主人公の1人がレズビアンだと言うことには触れられていない。ミスリードを誘うトレーラーではないものの、そこをガッツリと削除する意図は、さて?

消えたマ・ドンソク

先日もNetflixで配信になった愛しのマ・ドンソク主演のドラマ『元カレは天才詐欺師~38師機動隊』が配信になったのだが、本国とのその宣伝ポスターの落差に驚いたばかり(注:Netflixではなく、一番最初に日本でこのコンテンツを配信したフジテレビが制作したものだと思われます)。

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マ・ドンソクが消えて、スヨン(左)は反転しておりますやん! 加工がすぎる。ドラマを数話観てみたが、全くもって♡がつくようなラブコメディではなかった(ほんの少しだけラブは香る)。そうなってくると、ミスリードを誘いすぎるタイトルには苦笑しかない。「若い男女のラブコメで行こう!」と決定した企画会議が目に浮かぶ。

どう考えても、コチラ↓のヴィジュアルが正しい。作品を正しく伝えるという意味だけではなく、本来のヴィジュアルの目的でもある「観たくさせる」という意味でも正しい。

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と、言うように、一番アップデートすべきは、日本のコンテンツを供給する側の「皆はこういうものが好きなはず」という思い込みなのだろう。

アップデート不足

海外の映画やドラマを見ると、日本のコンテンツを見るのが本当に億劫になってしまう。その理由は、この「皆はこういうものが好きなはず」というセンサーの鈍さのようなところではないかと思う。海外のコンテンツがあたり前のように観られるこの時代、レジャーとして観ているものに「日本はまだココにいるのか」と思い知らされる。そんな苦痛をできるだけ避けたいと思うのは必然ではないだろうか。

さらに、昨今は、メディアが作品を紹介する記事(注:『ブックスマート』を紹介する記事ではありません)で、「女装オネエ」や「レズビアンの男性役」という表現が使われ、そちらも炎上している。送り手側の感覚が受け手側の感覚に完全に追いついていないのはメディアも同じこと。コチラのアップデートも急務だ。これは自戒も込めて。

そんなことを考えつつ、俳優の池松壮亮さんのインタビューを読んで、昨夜は眠れなくなってしまった。

 少し乱暴な言いかたをすると、映画が雑になった。映画をみんなで軽くした。映画を利用し過ぎた。
 戦後の高度経済成長期なら、勢いで量産することで、誰かの心を救えていたのかもしれません。でも今、1,800円、1,900円という世界でも類をみない破格の値段をとって、さらに映画館に行こう! と財布を開けてもらうことばかりに目を向けている。
 映画のこと、日本映画のこれからのこと、ひいては社会のこと、未来のことを本気で考えれば、もっと考えていかなければいけないことは、業界の内部、自分自身の内部にあるはずなんだと思うんです。

話が逸れまくってしまった。

2020年代のコンテンツが示す世界観の標準値に『ブックスマート』は位置していく。そんな道標のような映画だと思う。

私たち、イマココ!


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