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「テレビ」から見えてくること

テレビっ子だった。両親が共稼ぎで兄と過ごす時間が長かったことも影響しているかもしれない。

最近、視聴時間は減っている。とはいえ、映像を見ている時間の総量はおそらくさほど変わっていない。NetflixやYouTube、そして見逃し配信をしてくれているアプリなど。テレビは(再放送やビデオ録画などは一旦おいておいておくと)、基本的には決まった時間に始まり、その1回きりの放映を楽しむものである。

テレビも視聴率だけでなく、Tverなどの再生回数が重要視されるようになってきたと言われている。この数ヶ月、番宣しか入っていなかった広告枠が企業ものでまわり始めていることがその証拠だろう。

以前、書いたものだが、やはり、「いつでもどこでも」自己都合で観られることはとても重要なことなのだ。可処分時間の取り合いが一層加速する中で、個人がメディアをもてる時代に、マスメディアが担う役割は? 

テレビ番組、すべてはフォロー仕切れない代わりに頼りにしているのが、「飲用」さんのTwitterアカウント。キャッチーなコメントを抽出し、発信してくれている。

そのつぶやきから、「テレビ」という言葉を含む発言を並べるブログが、毎年、面白い。「テレビ」を定点にしているので、時代の流れがよく分かる。

テレビ番組の書き起こしをしている自分のツイッタ(@inyou_te)を「テレビ」で検索して、編集したものを羅列しています。毎年やっている企画です。

YouTubeを中心とするSNS台頭で、テレビだけが主戦場ではないと気づいた方たちの発言。それでもテレビの魅力を信じる方たちの発言。「テレビ」を軸に語られる悲喜交交。「テレビ」を自分の携わる業種に置き換えると、身につまされることも大きい。

テレビは「語りがいのある“祭”をつくる」もの(テレビ東京の佐久間プロデューサーの言葉)

実家の親は、毎年、変わらずに箱根駅伝という”祭”にチャンネルを合わせている。


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