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不滅の“14歳もの”。映画『ホット・サマー・ナイツ』

この映画に出てくる主人公は14歳ではないけれど、思春期の尊さを、残酷さを、滑稽さを讃えた作品を私を“14歳もの”と勝手に呼んでいる。大人になってしまった私たちには眩しく、当事者たちは悶絶するしかない時期=“14歳”。それは、みうらじゅんさん言うところの“DT期”にあたるものかもしれないし、“中二病”における中学二年生の意味と近いのかもしれない。

ゆえに、14歳というのは実際の年齢を指すのではなく、あくまで私の中でのキーワードだ。

1991年は激動の年。忘れられない夏がくる

ホット・サマー・ナイツ』は新世代のリバー・フェニックスと言われている『君の名前で僕を呼んで』のティモシー・シャラメが主演(先日紹介した『永遠に僕のもの』のロレンソ・フェロは南米のディカプリオと呼ばれている。美少年は、だいたいそのどちらかに例えられてしまうのが常ですね)。

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1991年は激動の年だった。湾岸戦争が始まり、フレディ・マーキュリーはエイズで逝った。日本では、CHAGE  &ASKAの『SAY YES』がメガヒット。千代の富士が現役引退。異常ともいえる土地や株価の高騰で沸いたバブル景気がはじけた年だった。

1991年に思春期の只中の設定。映画のキャッチコピーは「忘れられない夏がくる」。制作はアカデミー賞作品賞を受賞した『ムーンライト』や女優グレタ・ガーウィグの初監督作『レディ・バード』を手がける気鋭の映画製作スタジオA24。私が愛して止まない“14歳もの”の良いところをギュッとつめこんだ匂いしかしない。

疾走する尊く滑稽なリビドーは脳のバグ?

「なぜ、この頃の男の子たちは滑稽なまでの無垢なリビドーに衝き動かされてしまうのだろう?」。

脳やホルモンの側面から考えるとそれはなんら不思議はないようだ。男の子は、性的衝動に関与する脳の部分が女の子の2倍半大きく、行動や攻撃の中枢も大きい。そして、恐怖を感じ取り、攻撃を開始する脳の最も原始的な部分の処理装置(扁桃)が大きいの特徴。そして、この14歳くらいの時、ハードウェア的にはおとなの能型のデータベースに変わるのに、まだまだソフトウェアの成長は追いつかない時期なのだそうだ。というわけで、脳のハードウェアとソフトウェアの整合性がとれず、バグる。当然、誤作動が生じるというわけだ。

この映画もしっかりとその誤作動を描いた作品だ。

主人公ダニエルは、「どうしたらモテる?」「どうしたら金儲けできる?」という問いに対して、誤作動たっぷりに動きまくる。それを「尊い」と思うか、「愚か」と思うかは観た人の感じ方次第かと思う。

リアルよりリアリティ。

ただし、最後に甘酸っぱい記憶は残る。

甲本ヒロトは『14歳』という曲の中で、「ジョナサン 音速の壁に ジョナサン きりもみする ホントそうだよな どうでもいいよな ホントそうだよな どうなってもいいよな」と、ただ飛ぶことの限界を追求し続けた“カモメのジョナサン”への憧れを歌う。そして、サビの部分で、ヒロトは「リアルよりリアリティ」と繰り返す。

目の前にある「リアル」ではなく、自分にとって「リアリティ」を感じられるものは何か? 今よりもっと現実を現実としてとらえきれていないからこそもがいていたあの頃、自分にも確かにあったはずの“14歳”の記憶。

“14歳もの”映画を観ると、自分の「リアル」と「リアリティ」に、少し苦しくなる。


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