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私と書道のはなし ⑥
❋ばらかもんを見ながら習字や書道の話しをつらつらと書いていこうというnote
夏休みでしばらく出かけていたため、5話、6話はまとめて視聴。
まず5話目は東京に戻ってからのあれやこれや。
島で書き上げた『星』は館長さんにも褒められて何より。1話目での無礼も謝れたしね。が、自信の無さから館長さんの言葉を待たず先走って、『星』の書は試作と言ってしまったため新たに作品を書く羽目になってしまった清舟クンなのだった。
この場面で私が気になったのは、『星』の書よりも、隣り合わせに置かれていたお父さんと清舟クンの作品であった。あ〜やっぱり書きっぷりが似ているな、と。まぁ、実際は監修の書家さんが両方書いておられるのだろうから当たり前と言えばそれまでだが。
ただ、これは門下生の書展あるあるのようで、「会場に並ぶ書がすべて◯◯先生の書の作風なのよね〜」と聞いた覚えがある。その先生の元で学んでいる以上そうなるのは自然なのだろう。
しかし、ふたばの森の生徒展は例外。古典をふまえた正統派の書ではなく、自分の想いをいかに伝えるかに重点を置いた作品があふれていた。清舟クンが島で書いた『楽』であり『星』であったと思う。どの作品も本当に自由でキラキラして書いた人そのものの書ばかりであった。
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思えば、私は双雲さんの書よりもその生き方や感じ方、考え方、表現の仕方に惹かれ大いに刺激を受けあの教室に通い続けたのかもしれない。たぶん他の方も同じであり、だからこそふたばの森の生徒展は書体ではなく表現の作風(?)が似たものとなりあの会場の空気感を作り出していたのであろう。
さて、話しをもどしてばらかもん……あらたな作品が書けずにスランプに陥ってしまった清舟クンであったが、島でのあれこれを思い出したり、子どもたちと電話で話しているうちに、自分の中にある大切なものに気づき筆をとった。書き上げたのは島の人たちの名前。タイトルは「石垣」
ここで4話目の石垣を作る手伝いをしたことの伏線が回収されたのだった。
6話目は再び島へ。
こちらはまたのちほど。
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