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私と書道のはなし ②

ばらかもんを見ながら習字や書道の話しをつらつらと書いていこうというnote。

さて
私が感じた「習字の壁」とは?
それこそあの館長が清舟クンに言った言葉

『実につまらん字だ』

なのである。手本のような字しか書けない、いわゆる綺麗な字だけれど書いていて楽しくない。いつも自分のまわりに『枠』があって窮屈な感じがする。
そんな時に出会った、というか衝動的に飛び込んだのが、武田双雲氏の書道教室「ふたばの森」であった。この場所に通うことによって広がった世界のことを思うたびに、常に直感でしかも速攻で動くせっかちな自分を褒めてやりたくなる。(せっかちゆえの失敗も多々あるのだが)
ここで私は初めて自分の想いを書で表現することを知ったのである。

話しはそれるが、ばらかもんの清舟クンはパッと見双雲さんに似ている。双雲さんのお母さんも書道教室の先生であり、幼少期から筆をとっていたところも同じである。が、あくまでもパッと見であり性格も書に対する考えもたぶん全然違うと思う。たぶん、というのはまだ1話しか見てないからね。これから2話3話と見ていくうちに印象が変わる可能性もあるかも?

双雲さんのことを一生徒であった私がここであまり詳しく書くつもりはないが、まぁ一言であらわすなら『陽』
とにかくエネルギッシュな方で、生徒はもとよりたくさんの人に影響を与える人だった。もちろん私もその影響を受けた一人であり、枠を外すという当初の目標は気づかぬうちに達成していたのかもしれない。

『想いを書にする』というのにうってつけだったのが、ふたばの森の有志メンバーでチームを作り、企画から場所探しその他諸々主体になって開催する展覧会であった。その都度テーマが掲げられそれをふまえて書くのだが、生徒はなんだかんだでテーマに関係なく好きなように書いていた気がする。
それまではせいぜいが地元の書道展に半切の掛け軸を出していたくらいでだったのだが、ここで初めて全紙を使って書いた。

『生』(2006年)

この書を見ると、父が急逝しいろいろと思うこともあり、なぜか般若心経にハマっていた当時が偲ばれる。青墨を薄めて般若心経を書き、そのあとで太い筆で一気に書いた。コメントボードには
『無常の世の中
 切に生きる
 死ぬまで生きる』
と書いた。
「いつかこの手が届くまで、お父さんの分まで精一杯生きるよ」という想いをこめて書いた。

ばらかもんの話しに戻るが、1話の終盤に、海に落ちた清舟クンが女の子と一緒に手をバタバタさせて浮きながら大笑いしたあとに、襖に貼った紙に力いっぱい書いた文字が『楽』
感情に突き動かされるままに太い筆で力強く書く姿から目が離せなかった。書き終えた時の満足そうな顔、映された『楽』からもそれが伝わってきた。これを見た館長さんのコメントが聞きたいな。


さてさて
今夜は2話をやるね。
どんな清舟クン、そしてどんな書を見れるのかが楽しみだ。

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