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「ともだち」について赤裸々に書いてみた。

おはようございます。Matahari @ マレーシア🇲🇾です。

昨日は「母の日」でしたね。
「母の日」であることをすっかり忘れていましたが、朝起きて一番に10歳の息子から

「Mom, what do you want me to do for Mother's Day. 」
と言われじんわりと嬉しかったです。

そして、ハグをお願いしました。
正直他には特に欲しいものは思いつかず。

いつもは恥ずかしくてあまりハグしてくれない息子の成長を感じる、愛情のたっぷりこもった優しいハグでした。

ありがとう、息子よ。

さてさて、今日のテーマ。
わたしの身近にいる「おともだち」について。

大人になるとともだちを作るのが難しいなんていう人がいますが、、、私はわりと大人になってから出来たともだちの方が多いタイプです。

人と人の交流ががくんと減った過去2年間ですら、新しく交流が始まった人が老若男女に関わらず結構います。

14年のアメリカとマレーシアでの生活をまるっと振り返って箇条書きにしてみると、ざっくりとこんな感じ。エピソードを含めわりと赤裸々にストレートに書こうと思います。

ちょっといろいろ書き辛いこともあるので、初の有料にしてみました。ちょっとした内緒話ということで・・・具体的に書くので、珈琲一杯分お願いします。^^

(私の直接のおともだちはご連絡くだされば無料で文章を読めるリンクをお送りしますのでご遠慮なくお知らせください^^)

若い頃からずっと変わらない友情を保ち続ける稀有な存在のともだち

誰しも、若い頃に経験したビタースィートな青春ってあると思うんですが、私は特にいろいろやらかしたタイプなので、、、思い出したくない過去も含め(笑)今の私があるのは当時の経験があるからこそ、と思ってます。

なので、当時の黒歴史と現在の私を知る友人は貴重です。物理的に離れていても、手書きの手紙に始まり、メール、そしてSNSと手段こそ変遷しても、私の変化や成長をずっと身近で見守ってくれていたともだち。彼女たちには感謝しかありません。

45歳になる今年、中三からの親友とは30周年を迎える訳です。「人に歴史あり」なんていうタイトルのTV番組が昔あったそうですが、証言やインタビューを集めるとしたら真っ先にこのカテゴリーのともだちに連絡が行くのだろうな。笑える話とそうでない話があるなぁ〜(苦笑)。

常にある一定の距離を保ちながらお互いにとって心地よく存在しているともだち

学生時代からや就職してから知り合った同期や先輩、親や兄姉を通じて知り合った人、仕事関係で出会った取引先の方やお客さん、ブログの読者さん、旅先で出会った人、近所の人、よく行く店の店員さん。

どこにでも出会いって存在しているとは思うのだけど、私はわりと心理的境界線を軽々と越えて仲良くなり、老若男女に関わらずともだちに発展することが多いです。

その理由を考えてみると、わたしが「人に興味がある」からかもしれません。知り合うとまずその人のことを「知りたい」と思い、たくさん質問をして、その人の話を聞きます。聞かれた方は、少しずつわたしに心を開き、これまで誰にも話すことのなかった個人的な話をしてくれることが結構あります。

心理学やライフコーチングを学んだのも「人に興味がある」からだし「人が好きだから」。

人と人との距離がそもそも近いこのお国柄と、私自身が人が心を開きやすくなる意味のある質問が出来るようになったことが、この10年マレーシアでたくさんのいい出会いに恵まれた一因かも?と書きながら改めて思ったりしています。

趣味を通して集まるともだち

この2年間、人と人との交流が減って孤独を感じている人は想像以上に多い気がするけれど、そんな中私がむしろ出会いが増えたと感じている理由。

それはズバリ「半径2km圏内のともだち」が出来たからでは?と自己分析しています。忙しいライフスタイルを送っていた過去の私には、ある意味無縁の出会い方だったかも。辛かったコロナ規制中の思いがけない副産物でした。

例えば、マレーシアが厳しいロックダウン中でマスク着用なら散歩が許されいた頃は、独居の高齢のおともだちが出来ました。偶然コンドを歩いてる時にばったり出会ったら、一緒にのんびり散歩しつつ、遠く海外に住むお子さんやお孫さんの話を聞いたり。コンドのスタッフさんと仲良くなり、ローカルの人だけが知っている敷地内に生息するハーブのことをこっそり教えてもらったり。

この期間に我が家で猫を飼い始めたのも大きいです。動物に触れる毎日は本当に豊かな気分にしてくれ同じく動物好きなともだちが周囲に増えて行きました。トップ画像のうさちゃんは知り合ったばかりのご近所さんから託され一晩預かりました。

また、趣味のテニスを通して年齢性別人種問わずたくさんのともだちが出来ました。別の場所へお引越ししたともだちからお誘いを受けることもあったり。

このコロナ禍の2年間テニスに没頭して来たので、ダブルスの楽しさに気付いたり、いつもと違う経験豊かなメンバーとプレー出来る機会に恵まれたり、新しく始める人をサポートできる喜びも。

メンバーは、下は10代から上は80代まで幅広い年齢層の「テニスともだち」が出来ました。生涯スポーツといわれるテニスの魅力を再確認しています。

わたしが普段書いているnoteマガジンBEFORE TOO LATEは、こんな2km圏内の出会いの積み重ねで生まれました。

わたしに何かを教えるために人生に現れ仕事が終わると去っていくともだち

ここからが、本題と言ってもいいぐらい。この記事を有料にした理由です。

実はこの十数年間に物理的にも心理的にも距離が近かったけど、離れていったともだちがある一定数います。今振り返ると、そういうともだちとの出会いは「自分を知るため」に必要なことだった、もっと言えば「譲れないことを知るため」経験を通して学ぶ意味合いが強かったように思います。

ざっくり言うと、誤解が解けなかったり、意見の食い違いが埋まらず、最終的には疎遠になったのですが、それこそ理由はさまざま。

人と人が関われば関わるほど、陰と陽のエネルギーは増幅していくのは当然でしょう。

いいこともあればわるいこともある。

煩わしいことが嫌だから人と関わりたくないと避ける人もいますが、「人が好き」な私のような人間は結局対処法を学ぶしかないですよね。

ここから有料になりますが、ともだちとの間に起きた負の経験をどう乗り越えたのかについて赤裸々に書いてみようと思います。

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