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#1 井本勝幸さんをお招きし、ミャンマーでの支援活動について伺いました。(日本占領時代の東南アジアの傷跡を巡るスタディツアー)

日本旅行アジア・サンライズツアーズ(マレーシア)主催
3回シリーズでお届けする
日本占領時代の東南アジアの傷跡を辿るスタディツアー

最終回は、ミャンマーにて支援活動をされている井本勝幸氏をゲストに迎え、対談形式で
『次世代に語り継ぐアジア太平洋戦争・平和のためにわたしたちができること』
を実施しました。

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(フライヤー)マレーシア 3回シリーズでお届けする 日本占領時代の東南アジアの傷跡を巡るスタディーツアー

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第一回第二回のまとめはこちらからお読みいただけます。



井本さんのお話しから紐解く現在のミャンマーの現状

今年2月にミャンマー国軍によるクーデターが勃発し、民主派の抵抗が日を追うごとに激化し、現地では国軍が自国民を傷つけるという非道な方法で、多くの民間人が犠牲になっています。

井本さんのお話では、少数民族は大きく分けて8つ。
さらにそこから枝分かれして130〜160もあるのだそうです。
それぞれが異なった宗教観や文化を持ち、高度な自治を求めているにも関わらず、ビルマ族から構成される国軍は、それぞれの民族の自由を奪いコントロールをしようとしているために、過去何十年もの間絶えることなく紛争が続いているそうです。

※筆者は日本生まれの日本育ちです。29歳で結婚を機に日本を出てアメリカや東南アジアで暮らすようになるまで、一つの言語と一つの文化を保つ世界でも稀有な国である日本で暮らしていました。だからこそ、このミャンマーで起きている現実を理解することが、日本人にとってとても難しいことだと感じています。

井本勝幸さんとミャンマーの出会い〜現地の人々との深い交流・捕まって投獄?!

井本さんが最初にミャンマーの地に入ったのは2008年。

大型台風がミャンマーを直撃し、多くの方が困っていると聞き、当時お坊さんの井本さんは苦しんでいる人々を支援しようと、内戦の続くミャンマーの外国人立ち入り禁止のエリアに足を踏み入れます。

少数民族武装勢力のエリアで、日々色々な人たちに出会い、困っている人への支援活動を続けていた中、日本人だということが当局にバレてしまい、その行動を怪しまれる事態となり、なんと!!めちゃくちゃ怒られてミャンマー国内の政治犯を収容する刑務所に投獄されてしまったそうです。刑期を終えて解放された井本さんは「二度と戻ってくるなよ!」と国外追放に・・・。出国後は、ブラックリストに載ってしまい、正規のルートでは入国ができなくなってしまったそうです。

一度は追い出された地にまた舞い戻った理由

こうなったら、おそらくほとんどの人は、諦めると思いますが・・・井本さんは違いました。

ミャンマーを追い出されて間も無く、支援活動をしていた当時に仲良くなった少数民族武装勢力のリーダーたちから「戻ってこいよ!」と声がかかり、タイの国境などから秘密裏にまたミャンマーの地に戻ることができたそうです。

・・・お話がひたすらドラマチックになっていきます(ワクワク)

「この日本人は使えるかもしれない。」当時の大統領からの白羽の矢

時代は変わり、井本さんが投獄の末に国外追放されたタンシュエ大統領の時代から、テインセイン大統領の時代へ。

国軍出身のテインセイン大統領は、長く続く国内の紛争で国が疲弊していることを嘆き、国益のための停戦を模索されました。

その結果、少数民族武装勢力のリーダーたちが心を許している井本さんに白羽の矢が立ちました。

首都ネピドーに招かれた井本さんは、和平交渉の立会い人としての役割を打診されたのでした。

・・・さらにさらにドラマチックな展開になってきました(涙)

和平交渉が成立し全土停戦へ 民主的なミャンマーの誕生

今回の対談企画は、わずか1時間でしたので、この歴史的な出来事についてはお話を詳しく聞くことは難しかったので、ここでは書ききれません。
もっと詳しく知りたい、ワクワクが止まらない、続きが知りたい!
という方は、ぜひ井本さんの著書を手に取られてください。

「これが僕の天命なのかもしれない。」 少数民族武装勢力のリーダーたちの驚くべき提案

ついに、井本さんや関係者の皆様の平和的なアプローチで、少数民族武装勢力のリーダーたちとビルマ国軍や政府と対話を重ね、ミャンマーの和平が実現しました。

そこから、さらにストーリーは急展開します。

少数民族武装勢力のリーダーたちから、井本さんの多大なる貢献に対し、お礼がしたいと、ある驚くべき提案をされます。

「太平洋戦争の時に、4万人を超える日本人の兵士たちが栄養失調やマラリアなどの病気でこの地で亡くなり、その遺骨はそのままここに残されている。今もなお日本への帰国を待ちわびているだろう英霊たちの遺骨を、われわれが発掘するお手伝いをしたい。それが、あなたが私たちのためにしてくれたことへの恩返しだ。」

その提案に、井本さんは衝撃を受けたそうです。

自分は、遺骨を収集することを目的として、外国人未踏の地であるミャンマーの奥地に入ったのではない。

ただ、いくつものご縁が繋がり、こうして家族ぐるみでお付き合いするようになった人たちに導かれ、このような提案を受けたのだから、自分にとって、これは「天命」なのではないか・・・。

挫折の連続を支えるもの

そうして、その提案を受け入れた井本さんは、現地の皆さんの協力のもと、遺骨発掘作業に取り掛かります。2012年のことでした。

それから8年間、新型の感染症により鎖国状態になってしまった昨年2020年の始め頃まで、ミャンマーの各地で作業は続けられ、いまではミャンマー全国に遺骨収集のチームが12もあるそうです。その間、民間の皆様からのご寄付によって続けてきた活動は、幾度も資金難に陥り、挫折を感じる瞬間が井本さんを襲います。そんな時も、「あれがない。これがない。と言わずに、集まった分だけで、出来ることを一つずつやっていく。」その想いでこれまで続けてこられたそうです。

その後、日本の厚生労働省にも協力を得られるようになり、全日空さんの協力で、日本にすでにご帰還したご遺骨もあるそうです。ご参加くださった方からの質問で、井本さんがお話くださった収集されたご遺骨のDNA鑑定についてのお話はまた次回の記事で詳しく書きます。

日本人が足を踏み入れることのないミャンマーの奥地にて、1万6千柱(はしら)のご遺骨がすでに回収され各地で大切に保管されています。今日も日本への帰国を待ちわびています。


長くなりましたので続きます!

もっと井本勝幸さんの活動についてお知りになりたい方はこちらから。

日本ミャンマー未来会議公式ウェブサイト
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