ポジティブなバイブスは限りがあるから
キラキラとしたスポットライトにあたっていたい。こんな欲求を常に私は持っていた。かっこいいと思われることが何よりも快感だったし、スポットライトを浴び続けるために多少の無理は喜んで! と日々フルスロットルで走り続けていた。
私にとっての「かっこいい」とは、いつでも自信満々で、口から溢れる言葉はいつもポジティブなもの、そして笑顔でよく笑い愚痴を言わない。こんな要素でできていると定義していた。
ふふふ、今振り返るとかわいらしいとさえ思う。過去の私。頑張っていたのね。
昔の私が勘違いしていたこと。ポジティブなバイブスは尽きることなく湧き出てくるものと信じ切ってしまったこと。前を向いて歩いてさえすれば、道は開ける。さぁ、進もうと大きな旗を振っていた。
人生はイケイケゴーゴーと盲信していたあの頃から1年ほど経った今、言えること。
ポジティブなバイブスは有限だ。
そう、自分を把握して必要なメンテナンスをしていかなければ、ポジティブなバイブスはすぐに枯れてしまう。私はこのことに気がつかず、ただやみくもに自分のポジティブを消費してしまっていた。
絞り出す。笑顔も、元気に歩く姿も、前向きな言葉も。
何かおかしいな? と感じたのは去年の春頃。いつもどおり、キラキラとした仕事もプライベートも絶好調! な日々を過ごしていると思ってたんだけど。
モヤモヤと心と身体が重くなるような、梅雨の日の空のような。頭もボーッとして冴えない。誰かといるときは、相変わらず笑顔で明るさを振りまける。だけど一人でいるときは、信号が赤になったなんて、こんなささいなことにイライラして。
気持ち悪い。穏やかで前向きなのが「東洋子」じゃないか。
自分に何度も言い聞かせた。頑張れっ私。
なんだかおかしいから始まった、不調はだんだんと悪化していった。いつの間にか私の顔から笑顔がなくなり、心の中でしんどいしんどいという声が消えなくなった。
ある日、鏡を見てビックリした。
眼の前に現れたのは、ひきつった笑顔、疲れ切った表情の私。
こりゃ、キラキラポジティブなんて言ってる場合じゃないぞ! とすぐさま思った。それぐらいにひどかったのです。
そこから私は何を始めたのか?
すごく簡単なこと。
自分が感じたすべての感情を許し、記録していくのだ。
今日は
体調が、悪かったな
仕事がはかどらなかったな
イライラしてたな
不安を強く感じたな
自分が感じたことを全部認めてあげる、これだけ。
そして余裕があるときには
なぜ私はイライラしているんだろう
私が不安に思うことの正体は?
私がごきげんでいられる環境は?
と、いちいち振り返るようにした。
最初はてこずった。
ネガティブで暗いものは私の中に存在していない。そんな風に思っていたから。蓋をして見ないふりをしていたモノを、認めてあげることはかなり辛い。だけど続けていくうちに、傾向と対策がみえてくる。
そして今までこれをやらねばと力を入れていたことが、実は私にとってマイナスだったり。だからそれがやりたいと思っていたことであっても、ポジティブなバイブスが十分に補充できるまではお休み。
キラキラと光を放っていないので、集まってきてくれる人は減った。でも数少ない人と、気兼ねなく話し、時には愚痴も言い合える、笑って受け流し合う。そんな環境が気に入っている。
鏡を見ると、まぬけではあるけれど自然に笑えている自分がいる。
SNSを見ていると、インフルエンサーと呼ぼれている人はみなポジティブ(のように見える)だ。でもね、彼らの進み方に流される必要はなくて。自分をとことん可愛がって、まずはポジティブなバイブスをゆっくり溜めていいけばいい。
進むのはそれからでも遅くないから。
何度でも、止まって歩いて止まって歩いてを繰り返していこう。
新生活を始める、自分に贈るnoteでした。ぼちぼち行こうぜ! 東洋子さん。
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