コロナウィルスとベトナムの人たち
毎日のようにニュースでは、新型のコロナウィルスがもたらした現状を伝えている。感染者はいまだに増え続け、死者も少なからず出ている。
私は今ベトナムに住んでいるので、日本のテレビが見られない。だからネット上の、しかもテキスト情報を見るしかないのだが、なんだか怖いなと感じている。
一時帰国時に購入したマスクもそろそろなくなってきて、ベトナムで購入した布を何重にも重ねて作られたマスクを今は使っている。小さな小さなウィルスなんて余裕で繊維の隙間から私の体内に入ってくるに違いないんだけど。
姿が見えない私たちに悪さをするモノが、すごい勢いで世界中に広がっていると聞くと、どうしたらいいのかパニックに陥ってしまう。もしかすると今私がいるオフィスの中にいるのかもしれない。隣に座っている人は、すでに感染しているのかもしれない。
そう思うと、どこにも行きたくない。誰とも会いたくなくなってしまう。そう中国から来た人とは特に…、同じ空間にいたくないと思ってしまう。
そして危険人物と思われたくなないので、街で会う人に聞かれてもいないのに「私は中国から来ていないよ、日本から来たの」なんて。
拒絶されたくがないために、必死のアピールをしてしまうのだ…。
一昨日、ローカルの食堂に入った。まだ夕食には少し早い時間で、お店のスタッフたちは楽しそうにおしゃべりをしていた。不特定多数の人が訪れる食堂で、マスクもつけずに。
チャーハンと生春巻きを食べて、お会計をしたときに店主が私に聞いた。
「あなたはどこから来たの?」
私は、あぁ警戒されているのかしらと思い、早口でまくしたてる。
「日本からよ! 日本!」
慌てて答える私を見て店主はケラケラと笑った。
「そういう意味じゃないの。あなたが中国人だろうが関係ないわ。ただあなたの顔を見て、ベトナム人と思ったけれど注文は英語でしたから。どこから来たのか興味が出ただけよ」
私は思わず聞いた。
「怖くないの? 新しくて恐ろしいウィルスが」
さっき以上に店主は大きな声で笑う。魔女の宅急便のおそのさんみたい。
「私はベトナムの政府と医療を信じているから、まったく心配していないわ」
「信じてる?」
「ベトナムにもコロナウィルスの感染者はいるけど、もう2人も回復したのよ! 一人は中国人で、一人はベトナム人。すごいよね〜。ホント、良かったよね〜」
満面の笑みで彼女は言った。
チャーハンがすごく美味しかった、おいしい食事をありがとうと伝えて、私は店を出てバイクで自宅へ向かう。その間、小さな食堂の店主の言葉を反芻した。
「信じているから。回復した人がいる。良かった」
今まで経験したことがない事物に出会い、それが恐ろしいものである時。ついつい私たちは悪いニュースばかりに反応してしまう。そして姿が見えないばかりに、過剰に反応し良くない想像を続けてしまう。
でも
本当にもう絶望的で救いがなくて、日常生活を一変させる必要が、今の自分に必要なのか? と冷静に考えてもいいのではないか。
良いニュースはないのか? 必死に対策をしてくれている人に思いを馳せる瞬間があってもいいのではないか。
もちろん感染に備えて、日頃の生活態度を見直す必要はある。だけれども、今私が住んでいるダナンでは少なくとも感染した人はいないし、人を、特定の国籍の人を過剰に恐れる必要はないと思う。
そして回復する人もいる。
もし感染しても助かるのだ。今私にできることは、ストレスを貯めず、よく食べて運動して寝ることだと思う。
不安が不安を呼ぶ、薄暗い循環の穴に落ちないように。少しでも前向きに、客観的に状況を判断できる余裕こそが、新型コロナウィルスとの向き合い方では? と、小さな食堂の店主から教えてもらった。
少しでも早く、収束しますように。と願う。
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