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幸せは無限大なんだって、教えてくれた人

今年の3月からベトナムに住んでいます。もうすぐ5ヶ月経ちます。まだまだ言葉は不自由ですが、ここで生きる人たちの営みを見ながら、それなりに楽しく暮らしています。

海外に住むことで得られる一番大きなものは、「新しい幸せの発見」。日本で幸せだと思われていたことは、海の外に出ると何も価値がない。こんなことがよくあります。


例えば、太陽がカンカン照りの日曜日、涼しい室内でアイスクリームを片手にNetflixを見る。日本人ならみんな「おぉ、それいいじゃん!」と言ってしまいそう。でもベトナムの人はどんなに暑くても、外に出て木陰に銭湯にあるような小さなプラスティックの椅子に座り、ワイワイと友だちと話す日曜日に、心ときめきます。

また彼らは家族で過ごす時間を一番大事にするので、親元を離れて自立していく姿を見て、近所のおじさんは「親不孝だぁぁ」と半泣きで娘さんに詰め寄っていました。ちなみに私の親は、私が実家を出るとき、両手を上げて喜んでいました...。



人間関係、良い人生らしきもの、欲しい物、なりたい姿。日本を出て初めて、唯一のものなんて何ひとつないと気付きました。もちろんインターネットがあるので、海外の情報は入ってきます。でも外に出て、実際に楽しそうに笑っている現地の人の顔を見て、インターネット上の情報は本当かどうか腹に落ちてきます。

そう、ネット情報は間違っていることも多いのです。あるときは完璧に間違っていたり、またあるときはネット上の情報よりも、事実は300倍素晴らしいこともあります。


幸せは、きっと無限大。

これまで、北京と台北とハノイに住みました。根っこを張って生活をして分かったことは、幸せな瞬間は場所が変われば全く違うってこと。私が思いつきもしない状態を、ありがたいと言ってニコニコする人たちがいるということ。


日本に住んでいるときは、同じ日本人だという意識が邪魔してしまい、他人の幸せと自分の幸せが違うことを素通りしてしまっていました。でも日本を離れると、私は日本人で周りにいるのは外国人。ハナから違って当たり前精神で、物事を観察できるのです。

私とは違う人たちと共に生きていくことで、言葉にはできないくらいの学びを得ました。だからこそ、日本にいても人と自分は違うんだ、ってちゃんと理解したい。もし叶うなら…理解し合いたい。

ハナから違って当たり前精神で、周りの物事を見てみたい

でも、これ実は超絶難しいことなんですね。言葉も通じるし、だいたい同じような教育を受けてしまっている私たちは「違って当たり前」って事実を、頭では分かっていても、全身で消化することができないのです。私もいまだにうまくできません。

ただ、違って当たり前! と思えないときで「〜に違いない!」というフレーズが思い浮かんだら、頭の中で剣士に登場してもらい、「〜に違いない!」をスパスパっと切り刻んでもらいます。そして「〜かもね」くらいに、落ち着かせるようにしています。


東京五輪が開幕すれば、世界中から色んな人がやってきます。この大きなイベントがきっかけで、ハナから違って当たり前精神が私にも、そして私のまわりの人たちにも広がっていけばいいなと思います。幸せの違いを、身近な人と楽しめたら、もっと毎日がキラキラしそうです。


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