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日記ではなく日誌を書いてみるのすゝめ

自己肯定感が高いと、人生で可視化できるポイント(お金がたくさんある、いい会社で働いている、結婚している云々)が世間で良いとされている基準に達していなくても、幸せだと思えるらしい。

また自己肯定感が高い人は、失敗を恐れない。だからチャレンジをし続け、いつかは自分のやりたいことをやれるようになっているらしい。

自己肯定感が高い人は、己を卑下することもないし、他人と自分を必要以上に比べることがないので、人間関係の中で負のエネルギーが生まれくいらしい。


もし自己肯定感ってやつが上記のように、私たちの生活に影響してくるとして。過去の私は、自己肯定感が異常に低かったように思う。虚勢を張ることもあるんだけれど、その心のなかでは「私なんか」って常に思っていた。



だけどね、今、私は少し自己肯定感との付き合い方を変えた。高いか低いかはよくわからないけれど、それに悩まされることは減ったと思う。

だからこそ。自己肯定感ということばを聞くと、ほしいほしいと思いつつも、ちょっとうんざりしちゃう過去の私と、それに似たあなたに。私なりのヒントを置いておきます。


身近な人の変化に気づけますか?

私の家には体重計がない。引っ越ししてから、そこそこ運動するようになり、以前と比べると外食する機会がぐっと減った。そんな環境で数ヶ月過ごした後、実家へ戻ると「痩せたね!」とみなが言う。

そうかしら? 本当?

と私は思う。毎日鏡を見ているけど、太った痩せたって気づかなかった。でも家族いわく、あごのあたりが少しすっきりしたらしい。


毎日一緒に暮らす家族が、日々変化をしていることって案外気づきにくい。ましてや、自分の顔や身体の変化って、私たちが思っている以上に気づきにくい。毎日細胞が生まれ変わっている感覚を持っている人はいない。

だから自分が日々0.001レベルであったとしても、少しずつ少しずつ「上がって」いると気づけないのだ。

過去の私はそうだった。毎日「自分なんてダメだ」って思っていて、その負のエネルギーで自分の変化が見えなくなっていた。


どんなに小さいことでも、書いていく

そこで私が始めたのが日誌だ。日記ではない、日誌だ。感想をできる限り排除して、自分の生活を記録していく。

朝何を食べて、何時に家を出て、どんな仕事をして、帰宅後何をしたのか。淡々と書いていくだけ。1週間ほどすると色々見えてきて面白い。

昨日と比べると、早くお風呂に入れたな。とか、今日はおやつあんまし食べなかったな。とか。他人とではなく日々の自分を比べてみると、案外「イケてる」日って少なくない。

そして最後に1日でできたことを3つ書く。これはどんな小さいことでもいい。例えば

・シャンプーの詰替をした
・食事後すぐに洗い物をした
・自分から挨拶できた

など、小さいできたことをただ毎日記録していく。シャンプーの詰め替えをできて、嬉しかった。などと、書いてはいけない。できるだけ感情は乗せない。


こんな淡白な日誌をしばらく続けていくと、あらま私は毎日何かは「できて」いるのね。と客観的に自分を見れるようになる。自分を評価する基準が世間から離れ、この日誌基準になってくる。



人生は気の持ちようで変えられる!

確かにそうだろう。毎日をHAPPYと、小さな出来事に感謝をして、嫌なことがあったとしてもすぐに切り替えていくことができるなら、いい。

だけど、感情に振り回されてしまう、負のエネルギーが身体と心に充満している時、「気の持ちよう」では対処できない。

だから日誌をつけるのだ。感情を抜いて、自分ができたことだけを書くのだ。気の持ちようっていう目に見えないものではなく、可視化された自分の変化を書いていく。



私は自分の記録魔だ。日々の予定を管理するのではなく、日誌を毎日10ほどかけてつけている。そのおかげで「自分がいい感じなのか、そうじゃないのか」を他人と比べなくなった。身近すぎるからこそ、気が付かない私の変化に真っ先に気づけるようになった。



自分に自信がなくて、どうしたらいんだろう。って思っている人がもしいるのなら。まずは日誌をただ淡々とつけてみてほしい。たったひとりであったとしても、ちゃんと見てくれている人(私だけど)が、1人でもいるって救われることなのよ。

私はいつも自分に感謝している。肯定感はあるのかわからないけど、やさしく見てくれて、ありがとうって思っているよ。


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