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ポワラーヌで学んだバターの凄さ


子供の時からずっと好きだったけれど、今ではもう無くなってしまって食べられないものっていくつかある。
例えば子供の頃、下北沢の名前も忘れてしまった中華屋さんの塩五目ラーメンが大好きだった。そこに行けば必ず注文していた。
母に「何時もそればかりねえ。たまには違うもの選びなさい。」とよく言われていたのは覚えている。
確かにおそらくそこにはもっと美味しいものがあったのかもしれないけれど、その店にいくとどうしてもそれが食べたくなるのだから仕方がない。

中華屋さんの他のメニューは通常栄養バランスが良いとは言えないものが多い中で野菜たっぶりの一品を選ぶ私は褒められたとしてもたしなめられる事はないと思うのだが、今思うとそれは母の教育の一環で、平凡に落ち着かないで様々な事にチャレンジしなさいと言いたかったのかと思う。

そういえば小学生の時のランドセルについても、クラスで女子の中で私だけ紺色だった。
今私が赤と紺のうちでどちらのランドセルを背負って学校に行きたいかと問われたら迷わず紺だけれど、その時は泣いた。

結局その後も私は人と違うものを選ぶ人生を送り続け、それはフランスに来てからも変わらない。
いや、益々激しくなったと言うべきか。


フランスで、生まれて初めて食べて美味しかったものといえばいくつもあるが、塩五目ラーメンの思い出に勝てるものはない。
それでも研修先の山羊チーズ、友達のお母さんの自家製フォワグラ、カスレあたりは記憶に残っている。
カスレは特にカステルノーダリまで行った位だったので気合が入っていたはずなのに、そのわりに相変わらず抜けている私はレストランの下調べもせずに行きあたりばったりで決めた店であったが、とても美味しかった。
レストランの名前は覚えていないがよくあるような平凡な名前。内装もいかにも田舎のといった感じだった。

不思議なのは今でもその時の食感が私の味覚の中に残っていて、それが印象深かった事。
塩でも味の素でもなく、やはり出汁?フォン・ド・ヴォーからきているものなのか?これは<旨味>の効果なのだろう
か?

少し前に某有名シャンパーニュの生産者を訪ねたとき、醸造の課程で澱は旨味の素だからワインと共に残しておく(澱引きをしない)と強調していたが、これには何気に納得した。

UMAMI(旨味)は普通昆布や鰹などに含まれていて、フランス料理でも頻繁に語られるようになってきたと思う。
ただし私も含めて皆が完璧に理解しているのかは定かではない。

フランス人の友達の中には抹茶のことだと思っている子もいた。

それは自信を持って否定したが、感覚的に理解させるのは容易ではなかった。

<美味いと旨味は別物>ということはわかっても、それを上手く伝える事は難しい。


さて数日前、とても暑かった日の朝。 
この日の写真を後からみるといつもの青空の爽やかさとは違って、何かゆらゆらと湯気がでて、空気が曇っているような雰囲気だった日、
もう食欲はなくて、冷蔵庫にある中のものにも食べたいものが一切ない。
レストランに行く気もしない。
でも何か食べないとバテそうだし。

そんな時に丁度有名老舗パン屋の<ポワラーヌ>の近くを歩いていて閃いた。

「ここのタルトかショーソンなら食べられる。」


美味しいと誰もが認めるポワラーヌの林檎のタルト或いは林檎のショーソン。
どちらも好きだが、ショーソンの方がバターがたっぷりで元気の素になりそうな気がした。

確認しておくが、ここで言うショーソンとはフランスのパン屋でよく見かけるショーソン・オ・ポムのことである。ショーソンとはフランス語でスリッパのことで、形が似ている事からその名がついた。

ポワラーヌは1932年の創業以来今日まで常にフランスで愛され続けている。
カフェやレストランで<ここではポワラーヌのパンが食べられます>とか、<ウチではポワラーヌのパンでタルティーヌ・サンド(オープンサンドウィッチ)をつくっています>とメニューに記載されているところは結構多い。
また、スーパーマーケットでパンやサブレもよく見かける。

それほど長い間トップの地位を保ち続けているパン屋って他にある?

サブレがまた当たり前のように美味しいのだけれど、しばらく食べないとその美味しさを忘れていて、気がついて食べるとこれがまた素朴だけれど優しくていくらでも食べられてしまう、そんな存在。

塩五目ラーメンの代わりにこれからも頑張ってほしい。

ポワラーヌの林檎ものに関しては、私にとってこの世でナンバーワン、絶対的な地位を確保している。

けれど林檎のタルトやショーソン、フランなどはスーパーなどにはおいてなくて店まで行かないと買えない。


で、今回店内に到着した私はショーケースを見て一瞬凍りついた。

どちらも並んでいない。

スタッフの女性が確認してくれた。
「今出来上がったばかりです」って。

焼き立ての熱々か?

いつもなら嬉しいが、こんな猛暑の日というと事情は違ってくる。

しかしながらポワラーヌの林檎のショーソンをいつもとは異なった状態で食べられるなんてこんなハッピーなことは滅多にない。
結局ためらいもせずにチョイスした。
店外に出るともう12時近かったのでいよいよ目眩がしそう。
でも渡されたショーソンは温かかった、いや熱いに近かった。

どうしても我慢出来なかった私は直ぐに端っこをかじった。
「おっ美味しい!」

バターが浮き出てくるような感じ。
分離とは全く違って、バター以外の生地とバランスよく、かつ主張してくるのだ。
これがバターの旨味効果なのか?
カッコつけて言ってみると、そうそう、口の中で広がる〜って感じ。

家に戻ってもまだほんのり温かい。
バター感も決して押し付けがましくなく、林檎のコンポートとマッチする。
やはりこれが旨味効果からくるものだろう。
林檎の甘味と酸味とパイ生地が仲良く手をつないで踊りだす。

そうだ、マティスの<ダンス>のような感じ。


暑さで頭がおかしくなったのか?

いや、そこまでまだイカれていないはず、私にとってはこの絵以上にポワラーヌのショーソンに含まれるバター(勿論構図の中でのダンサー全員)をわかりやすく表しているものはないのだ。

ああ、スッキリした。
これからも自分が食べてみて美味しいと思ったものは芸術作品で表現してみよう。我ながらグッドアイディア。

では、近いうちにカステルノーダリのカスレを見事に語れる作品を考えてみるか。

そこで思い出したが、料理学校時代に
隠し味的にバターをちょいちょい調理中の料理に入れるシェフがいた。

勿論常にバターはポマード状の柔らかさになっていたのはソースに馴染みやすいからだろう。

今思えば、そのことによって味だけでなく食感にも良い影響が出るからそうしていたのかなと。

そうするとバターって本当に偉大な存在なのだなとわかる。


ポワラーヌのショーソンの美味しさは単に良い材料を選んでいるからだけでなく、使い方にもあるのだなと思うが、様々な要素が噛み合って今日に至る見事なものだなと心から思った。

二代目のリオネル・ポワラーヌ氏が2002年にヘリコプターの事故で亡くなった時は本当にショックで、その時のテレビニュースはまだ記憶の中に残っている。

でも後を継いだ娘のアポロニアの力も凄い。先代の後を立派に引き継いでいるのだから。
先日店の前を通った時には少しだけど行列があったし。

その近くで一人の男性に聞かれた。

「パン屋さんはどこ?」

近所に他にパン屋はない。
名前を言わなくても皆ポワラーヌの事だとわかってしまうなんて。

ああ、またショーソン・オ・ポムが食べたいな。







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