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パリで人気者になるには


パリで一番最初に何かの為に並んだのって何時だったのか覚えていない。
数年前の外出制限の前日に某日本食料品店前に何を買うのかもハッキリせずに何十分か並んで取り敢えず米かなと思ってその方角に向かったら後ろにいた女性にサッと追い抜かされた。

残っていたのは餅米ひと袋で、「これでは毎日赤飯だなあ。」と、自分でも可笑しくなって結局何も買わずにその場を去った。

おそらくその時以来、食べ物の為に長い時間を費やすのが億劫になったような気がする。
昔はたい焼きの為に並ぶのも楽しかったし、一度なんか、母親との京都旅行の際に焼き芋の為に長時間待った記憶があったが全く苦にならなかった。
その芋は本当に美味しくて、今では正確に表現出来ないけれど良い思い出になったのであった。


さて、私が初めてセドリック・グロレの名前を聞いたのは複数の雑誌の記事の中でほぼ同時にであった。
ホテルのランキングは普通5ツ星が最高だがそれ以上のものをパラスと格付けする。
<ル・ムーリス>ホテルはまさにパリのパラスのうちの一つである。


<ル・ムーリス>のパティシエとして、また世界パティシエコンクールで優勝した人物として、セドリック・グロレは凄まじい勢いで注目され始めて来たのであった。

何よりケーキの写真が私を惹きつけて話さなかった。
ケーキと言うより<輝かしい林檎>と言う表現がピッタシであった。
そう、つやつやしていて、「コレ一体何味と言ったら良いのであろうか?」
と、人の頭を悩ますお菓子であった。

写真で見ると色も自然とは言いきれないが、人目で見てこれは林檎とわかる。

それにしてもどうやってこんな色合いを創り出したのだろうか?
セドリック・グロレって画家で言えばセザンヌのような人なのか?

単純に考えるとそうかもしれない。

ポール・セザンヌ
<林檎の静物画>
1890年
エルミタージュ美術館

セザンヌは林檎が大好きで、この絵を描く前に何回もフォームや色を研究したという。

ではセドリック・グロレの林檎と比較してみよう。

やはりこうして見て、どちらの林檎を食べたくなるかというと個人的にはセザンヌの林檎に勝敗があがる。
絵画の世界の巨匠だからか?
かじったらジューシーな歯ごたえと、ほんのり甘みを含んだスッキリ酸味が私を誘う。
何よりもぎたてを感じさせる素朴だけど新鮮さがなんとも言えない。

対してセドリックの林檎は綺麗で華やかである。
敢えて切り口が見える写真を用意した。

実際に私はこのケーキを一つ購入するために並んだことがある。
店は2018年にオープン、しかしながらすぐに簡単には行きそこねていた。

先ずはその人気具合から、情報収集など少々準備が必要であったからだ。

一緒に並ぼうと言い合った同僚曰く、オープンは昼の12時だが品切れ次第店仕舞。

では一体何時に行けばよいのだろう?
12時過ぎてから到着したのでは遅すぎるだろうし。かと言ってあまり早くから行って待ち構えているのも馬鹿みたい。

そう考えてから数日経った後に決心して11時45分に到着して待つことにした。
それ以前から待っているのはやはりかっこ悪いかなあと思ったのは、一緒に行こうねと言っていた同僚が間際になってやはり行けなくなっちゃったから一人で行ってきて下さいと言ってきたからである。

そうだよなあ、万がいち一人で並んでるところを誰か知り合いに見られたら少々恥ずかしいものなあ…。
その知り合いが一緒に並んでくれるような人ならともかくね。

結局私は11時45分に店の前に到着したのだけれどそこには誰もいなかった。
一度店の前から離れて再び戻ると、今度は10人位並んでいた。

店の扉は12時ピッタリに開いた。

と、なんとパティシエ数人が順番に出てきて待っていた客一人ひとりに握手を求め始めた。

皆驚いたが、実に感じの良いものだったので嬉しそうにその挨拶を受け入れた。

中に入れるのは一度に一組。

私は林檎のケーキは決まっていたものの、ここまで愛想よく対応されると一つだけではちょいと気まずいかと思い、もう一つ頼むことにした。
せっかくだから全く異なるものにしよう。

確か私は<パリ・ブレスト>を選んだと思う。林檎が20ユーロに対してこれは12ユーロであった。
少し「あっ」と思ったのは白い小箱に入れたあと、若い女性の店員が奥から呼ばれ、私のパリ・ブレストの上にミニデコレーションをしたことだ。
彼女はほんの少しだけ指示を受けたあとに恐る恐るホイップクリーム(クレームシャンティー)を絞り出した。
某製菓学校の劣等生であった私としては人のことをあーだこーだと言える立場ではなかったが、せめてもっと潔く実行して欲しかった。

しかしながら、彼女があっさりとやり遂げたところで我々客の立場としては当たり前のことで、拍手するわけでもないことなのだから、あの場所でのあのパフォーマンスは私としては必要性を感じるものではなかった。

それにしても林檎のケーキの味は最高であったが、値段を考えるとそう頻繁に買いに行くわけにもいかなかった。
しかしセドリック・グロレの名はどんどん広がっていき、彼のマスタークラスは特にアジア各地で開催されるようになった。
多くの若いパティシエが彼のテクニック、そして人気の秘訣を求めて集まるようになった。
雑誌のインタビュー記事もよく見かけるようになった。
「自分は30歳迄何もなかった。」という見出しがとても目立った。
そう、今や大スターなのである。

ル・ムーリスのパティスリーはヴァンドーム広場のすぐ近くであるが、次にはオペラ大通り沿いにプランジュリー(パン屋)をオープンさせるというスムーズな段取り。しかもそちらはセドリック・グロレのフルネームが丸々店名に使われている、セドリック・グロレのブランジュリーなのだ。

店前はよく通るので気にはしていたが、オープンしてすぐの頃はぼちぼちと賑わってきたし、中のクロワッサンの写真も撮りやすかった。
順調なスタートといったところか。

ところが中がそんなに広くないこともあるが、入りきれなくてオペラ大通りにはみ出して行列を作る人々の数が日に日に増えていった。

とある日にはそれまで見たことのない人数が通りに溢れていた。
クロワッサンの写真を撮ろうとしても何も見えない状態。

クロワッサンと店内



一人場所を譲ってくれたので辛うじて一枚写せたが内部の様子は全くわからなかった。
ここにはティーサロンもあるのだが、その場合の列は反対側にある。
そちらの待ち行列はさほど長くはない。

ということは長蛇の列の人々は殆どこの3ユーロほどの大きなクロワッサンが目当てということになる。
そう考えるとあなたのこの行列現象に対する意見はどうであろうか。

クロワッサンのためにこの行列の最後尾に並ぼうと思うのであろうか。





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