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ジュリー・マネ展


ジュリー・マネって誰?

大抵の人は聞いたこともないであろう。

では、ベルト・モリゾって?

という質問に答えられる人はかなり多くなって来る。
とくにフランス絵画ファン、さらに印象派に興味ある人はこの名前にはピンと来るはず。

ベルト・モリゾはジュリー・マネのお母さんである。

「うそー、じゃあ父親はあのエドゥアール・マネなの?」

いやいや、父親の名はウジェンヌ・マネといってエドゥアール・マネの弟なのよぉ、奥さん。

「あらやだー、私知らなかったわよ。」

知らなくてもたいしたことない。
しかしながら知っていたら世の中見る目がちょっとだけ変わってくる。

私と一緒に試してみる?
本当に変わってくるから。


実は先日パリ16区のマルモッタン美術館で開催されている<ジュリー・マネ展>に行ってきた。私は以前noteでジュリーの母親であるベルト・モリゾについて執筆したのでジュリーのことは多少なりとも知っていたが、まさかマルモッタン美術館という印象派の作品がたくさん見られて、しかも頻繁に興味深い内容の展覧会が企画されることで評価されているあの場所でとくにアーティストとしては比較的知名度の低いジュリー・マネについて特別展が開催されるとは予想していなかった。
そんなわけで広告のポスターを見た時は正直なところ少しだけ驚いた。


私にしては珍しく午後の4時すぎに(いつもは朝一番。比較的静かな空気が好きだから)会場に到着。ガラ空き。
狭いところなのでいつもは観づらかったりするからこれは良いと思ったが、逆に雰囲気が少々暗い感じがした。

内容的にはジュリー・マネの家族、父親のウジェンヌ、母のベルトを中心にエドゥアール・マネ、ルノワール、ドガ、マラルメそしてジュリーの従姉妹のポール(と言っても女の子。Paule と綴る。)との繋がりについて絵画を紹介しながら(といっても本人作はほとんどなく、ルノワール、マネ、モリゾの作品が中心であった)展開していく。
今回は(いつもそうだけど)個人的に興味を持った部分にスポットライトをあててみようと思う。

マルモッタン美術館の展示会場の構成は既に頭の中に入っているが、今回は中程の辺りがいつもと違って入り組んだ形になっていた。
展示作品数等によって様々な工夫がされているのか。こういったところを発見するのも美術館の面白いところ。

順番は展示されていた通りではないが、まずはジュリーの生い立ちについて簡単に話そう。

ベルト・モリゾ
ウジェンヌ・マネと娘のジュリー。ブージヴァルの庭で。
1886年
マルモッタン美術館

ジュリーは一人っ子である。この光景をみると、どれだけ父親であるウジェンヌが娘のジュリーのことを可愛がっているか一目瞭然だ。また、この絵を描いたのは母親のベルト・モリゾであるが、最愛の夫と娘を自然の光と花、緑で見事に包んでいることが色彩の中で特に透明感の表現を観る人達に伝えている。

ウジェンヌはベルトの才能を認め、その当時の男性としては珍しく妻が働く事を、ましてや女性画家として世に進出することを許すだけではなく応援するという理想の夫であった。

ウジェンヌの兄のエドゥアールとベルトも仲良しであった事は皆に知られていたが、どの程度のものだったかはわからない。ウジェンヌは気難しい正確であったと言われるが、ベルトを、そして娘のジュリーを限りなく愛していたのだなと言う事はこの絵からひしひしと伝わって来る。

この絵は1886年に製作されたものであるが、ウジェンヌは1892年に病気で亡くなっている。
さらにベルトは1895年にこの世を去っている。
ジュリーは16歳で一人ぼっちになってしまった。どんなに辛かったことか…。

両親の友人たちはそんなジュリーを放っておくわけがなかった。文学者のステファヌ・マラルメが彼女の後見人となり、ジュリーは伯母一家と暮らすことになった。
その他の知り合いたちも常にジュリーのことを暖かく見守っていたのであった。


ポール・ゴビヤール
チュイルリー庭園内のオランジュリーでのマネ展で
1932年
個人所蔵


ジュリーの従姉妹のポールも絵を描いた。よく見ると二人の叔父であるエドゥアール・マネの名作<オランピア>が展示されているのがわかり、ポールがエドゥアール・マネの姪であることを知っていればどれだけこの娘がエドゥアール叔父さんのことを好きで尊敬しているかが明らかになる。

エドゥアール・マネ
うさぎを抱える聖母
1854年
ルーヴル美術館(2017年以来だが、現在はマルモッタン美術館に貸し出し中)


エドゥアール・マネがルーヴル美術館に足繁く通っていたことは周知の事実であったが、上の一枚はティツィアーノの作品の模写である。ルーヴルでは現在でも許可さえもらえばこの様に館内で展示作品のコピーが出来るのである。
ジュリーもポール達と一緒にカンヴァスを持って頻繁に来たらしい。

ジュリーは<Journal>というタイトルの記録誌の中でポールがいかにこの絵を気に入っていて、とくに模写のテクニックの卓越した点について褒めまくっていた事、勿論ジュリー自身もこの絵が大好きであること、またドガのアドヴァイスとして一つの構成の中でアクセントをアチラコチラにつけすぎるのは良く無いと話していることなど、このジュリーの日記には実は非常に興味深い事が書かれている。

母のベルトは姉のエダマとよくルーヴル美術館に来たそうだが、ジュリーは従姉妹のポールとの繋がりのおかげで意見交換など、充実した時を送ることができた。

ピエール・オーギュスト・ルノワール
ジュリー・マネ、或いは猫を抱いた少女
1887年
オルセー美術館


ジュリーのまわりの人物は皆まるで自分の娘のように彼女をかわいがってくれた。

ルノワールもその一人である。特にルノワールはジュリーの相談相手として色々と話を聞いてあげたりしたそうなので他の人にも話せないような悩み事なども打ち明けていたかもしれない。上の作品中の猫の表情が物語っている。猫は誰に対してもあの様な嬉しそうな、また気持ちよさそうな顔は見せない。
ジュリーの聡明な、また少々はにかんだ様な雰囲気の中にはどことなく淋しさも滲み出ている様な気がするのは私だけであろうか。この時はまだ両親とも健在であったのだが。


その後ジュリーは1900年にエルネスト・ルアールとパリ16区の区役所で結婚をする。ジュリーのポール以外の従姉妹、ジャンヌ・ゴビヤールと詩人のポール・ヴァレリーとの合同結婚式であった。この時代は画家と詩人の交流関係はかなり密だったと言われる。
ジュリーとエルネストはお互いアーティストであった(エルネストはドガの弟子であった)が、後に絵画収集家にもなった。

中央の上がコロの作品、下がフラゴナールの描いた絵である。フラゴナールはモリゾ家の家系であり、コロはベルト・モリゾの師匠である。この他にも有名画家の貴重な作品を所有していた。

夫妻には3人子供がいたそうだが、両親の死後、これらのコレクションはその子供達が寄贈してしまったそうだ。

2016年にルーアンで行われた印象派の企画展でもジュリーの日記はかなり重要な記録として取り上げられたそうだ。

現在はもうジュリーと直接話をすることは出来ないが、とくに彼女が残した日記は印象派のアーティスト達を語ることのできる貴重な資料として注目されている。

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